美術評論の新たな尺度
川畑秀明『脳は美をどう感じるか―アートの脳科学』(ちくま新書、2012年)
神経生物学者セミール・ゼキが著した『脳は美をいかに感じるか―ピカソやモネが見た世界』(日本経済新聞社、2002年)は、モダンアートの画家が独自に開拓してきた手法を、脳の機能や働きという観点から読み解いた名著である。印象派以降、具象から抽象へと絵画は向かっていき、さらに、線や色などの要素に還元されていった。その美術的価値はクレメント・グリーンバーグが提唱したフォーマリズムによって評価されてきたが、なぜそこに惹かれるのかという説明はなかなかつけられなかった。ゼキは、それを脳の機能と働きから上手く説明し、「優れた芸術家は優れた神経科学者である」と唱えたのだ。
ゼキは視覚野の専門家であり、視覚情報処理について数々の発見を行ってきた。特に第四次視野(V4)と言われる色を処理する部位の発見で知られている。ゼキは、「美術は視覚脳の機能と極めて類似した総合的機能を持ち、事実上視覚脳の延長であって、その機能を遂行する上では視覚脳の法則に従わざるを得ない」[i]と指摘している。神経科学者が、脳の機能を調べるために行う実験のようなことを、画家は行っているという。印象派やキュビスム、フォーヴィスム、モネやピカソ、セザンヌ、マティス、モンドリアン、マレーヴィッチなど、特にモダンアートのアーティストに絞り、画家がどのような視覚野の機能を使っているのか推察する。そして変化する環境の中で変わらないものを同定する脳の「恒常性」の働きと同じように、「美術も恒常性と本質的なものを探究している」[ii]と述べる。
本書は、ロンドン大学のゼキの研究室で研究をしていた川畑秀明による一般向けの啓蒙書であり、慶應義塾大学日吉キャンパスで大学1年生向けに開講している「心理学Ⅰ」をもとにしている。ゼキはその後、それまでの知見を活かし、脳の働きから芸術を理解する研究分野として「神経美学(neuroaestheics」というジャンルを打ち立てており、川畑もそれを開拓している一人である。神経美学とは、「認知神経科学の一分野であり、脳の働きと美学的体験(美醜、感動、崇高など)との関係や認知プロセスや脳機能と芸術的活動(作品の知覚・認知、芸術的創造性、美術批評など)の関係を研究する学問」[iii]とされる。まだ誕生して20年弱程度の学問であるが、大きな成果を出していることは間違いない。
20世紀のアートの解釈は、長らく精神分析によって行われてきたという経緯がある。解釈だけではなく、それを創作のテーマとしたのが、シュルレアリスムである。現在では、「無意識」というのは当たり前のこととして認識されているが、自分を認識する意識以外の無自覚な意識があり、かつ、その抑えられた意識によって行動が左右される、という無意識の発見は、近代的自我によって成り立つ西洋社会を揺るがす革命的な発見であった。ただし、精神分析は、診断者の恣意性が高く、20世紀後半になりMRIなどはじめとした脳を科学的に調査する機器が発達したため、精神分析が担っていた一部については、客観性が担保できる脳科学、神経科学に代替されはじめたといってよいだろう。
アートや美学の解釈も例外ではない。確かに現代アートに関して言えば、90年以降、リレーショナル・アートやソーシャリー・エンゲイジド・アートなど、オーディエンスの関与や社会との関与が重視されるようになり、プロジェクト型の作品も急増しており、その複雑な要素を脳科学のみで解釈したり、評価したりするのはほとんど不可能だろう。とはいえ、そこで表現されるもの多くは、「視覚脳の延長」であり、視覚脳の法則に従っているのも事実だろう。
また、現代アートにおいて、美しさがもっとも重要なテーマではないということも留意しなければならない。岡本太郎が「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」[iv]と指摘するように、上手くて、美しくて、心地よい作品というだけでは評価されず、むしろ安易で迎合的であるとされる可能性もある。とはいえ、太郎の言葉は、反語的ではあるが、美や快という尺度が有効であるというということも証明している。例えば、脳が「美しさ」を感じる部位は、「内側眼窩前頭皮質」であることはすでにわかっており、報酬系と呼ばれる脳内機構の一部である。内側眼窩前頭皮質が反応するかどうかで、美が芸術を構成する要素なのか、あるいは違うのかわかるだろう。
本書では、そのような神経美学の知見をもとに、第1章「アートの脳科学とは何か」、第2章「脳の中に美を探して」、第3章「アートの進化をたどる」、第4章「創造性の源泉」、第5章「アートに習熟する脳」第7章「アートの法則と美の行方」という7章構成で、心理学や生物学などの研究やアート作品などの例を挙げながら、アートと脳の関係について広範囲に紹介している。
特に、興味深いのは、動物との比較で、アートの法則を導き出そうという動きだ。著名な脳神経科学者、ラマチャンドランは、動物が色や模様など特定の刺激に対する生得的なメカニズム「生得的解発機構」を持っており、誇張した刺激を与えて行動を起こさせることと、生得的ではくても報酬を与えることで、特定の刺激を区別できるようになったり、誇張された特徴に好みを示すようになる行動を調べた。それを「ピークシフト仮説」として、アートの普遍的な法則の一つとしたという。例えば、ラマチャンドランは、インドのチョーラ朝時代のパールヴァティ像が、大きな胸と細い腰、背中から腰にかけての湾曲など、官能美が誇張されていることを例に挙げている。
著者は、モンドリアンの『コンポジション』のような抽象的な作品も、ピークシフト、すなわち、「他者の反応が強くなるように特定の特徴を最大に誇張(強調)した効果」[v]を使っていると考えている。脳の視覚情報処理は、網膜に投影された後、脳の後ろ側にある後頂葉に送られる。最初に、第一次視覚野(V1)で、特に線や色、動き、両眼視差などが分析され、V2、V4、下側頭皮質(IT)を経由して、前頭葉に至る。モンドリアンの作品は、色の情報処理を行うV1、V4が活性化する。さらに、V1では線の方位(傾き)に反応するニューロンがあり、斜めよりも、垂直や水平の方が強く反応するニューロンの数の方が多いという。つまり、モンドリアンはそれらの視覚脳の基本的な働きを最大化しているというわけである。その意味で、モダンアートが進めた還元的な表現は、そのような視覚脳の働きを最大化する、ピークシフトするように発展していったともいえるだろう。
一方で、そのような純化していくモダンアートとは逆に、現代アートでは矛盾する状態をつくり問題提起するような作品が多くなる。それについても著者は、脳の面から光を当てている。2つのまったく異なるものを組み合すことは、シュルレアリスムやデュシャンなどでも多用され、異化といわれる効果を生み出す。脳研究では、2つの異なる物の組み合わせを観察した時、背外側前頭皮質(OLPFC)の活動が大きく変化するという。対象の不一致感や奇異性が、対象を捉える働きを脳に強めると同時に、曖昧さを解決するように働いている証拠となっているということだ。
ともあれ、地域や社会問題と強く結びつき、多様化した現代アートをすべて脳から解釈するのは不可能だ。とはいえ、今まで評論家の個人的な知見か、市場によって評価されていたアートが、もう少し生物学的、神経学的な客観的な基準を持つことは、大いに歓迎すべきことだろう。かつて精神分析や哲学者の言葉を借りて、恣意的にアートを解釈してきた美術評論家にとって、神経美学的な要素を取り入れるのは必須になるかもしれない。
著者が「アートや美にはある程度法則はあっても、それを裏切ることが、さらなる美を生むこともある。脳科学はアートの現れを説明し続けるが、アートもまた脳の働きについて新たなことを示してくれるだろう。そのような関係をこれからも明かしていくことがアートの脳科学の使命だ」[vi]と締めくくっているように、従来の表現や美を覆して発展してきたアートは、それ自体が脳の新たな働きの開拓になっている可能性がある。アートの脳科学が、アートを楽しむ新しい視点としても大きく発展することに期待したい。
[i] 『脳は美をいかに感じるか―ピカソやモネが見た世界』河内十郎監訳、日本経済新聞社、2002年、p.34。
[ii] 同書、p.40。
[iii] 石津智大『神経美学 美と芸術の脳科学』共立出版、2019年、ⅴ—ⅵ。
[iv] 岡本太郎『呪術誕生』みすず書房、1998年、p.55。
[v] 本書、p.221。
[vi] 本書、p.256。