商品としての美術はどのように生まれたのか?
西岡文彦『ビジネス戦略から読む美術史』(新潮新書・2021年)
近年、アートと市場、価格、お金、ビジネスなど言ったテーマの書籍が注目されている。特に、日本においてもIT産業の勃興で、新興富裕層が形成され、新しいコレクターが誕生していることも要因にあるだろう。オークションで何十億、何百億といった価格で美術作品が競り落とされることも連日ニュースになっている。しかし、長らく日本の美学・美術史において、お金はタブーのように扱われてきたし、伝統的に資本主義的に対抗的な作品が重視されてきたので、経済の観点から見た知識や理解が専門家も含めて、かなり欠如しているというのが実態だろう。
本書は、端的に言えば、商品として形成されていく西洋美術の歴史を論じたものだ。しかし、タイトルに「ビジネス戦略」と銘打たれているように、その射程はもう少し広い。商品として成立するためには、当然ながら顧客がいる。需要のある顧客の集まりが市場を形成するのだが、美術市場は自然発生的にできるわけではない。生活必需品ではないニーズは喚起・創造する必要がある。特に、美術品のような高級嗜好品の場合なおさらである。本書のいう「ビジネス戦略」には、いかに市場が個性のある登場人物によって戦略的に創造されてきたか、という観点が含まれている。著者は、美術大学の教授であるが、広告や出版などを実践的にプロデュースしてきたキャリアがあるので、商品開発や市場開拓という視点で貫かれているのが新鮮であるしユニークである。
本書では、第1章「パン屋の広告だった!?フェルメール」、第2章「ルネサンスを生んだメディチの闇金融」、第3章「リモートワークに乗り遅れたダ・ヴィンチ」、第4章「レンブラントの割り勘肖像画」、第5章「「科学」を武器に職人ギルドを征したアカデミー」、第6章「「元祖インスタ映え」ナポレオンのイメージ戦略」、第7章「「ガラクタ」印象派の価値を爆上げした金ピカ額縁と猫足家具」、第8章「美術批評のインフルエンサー・マーケティング」という8章からなる。今日風にわかりやすく刺激的なタイトルが付けられており、登場するアーティストも著名な作家ばかりなので、初学者の人も想像しやすいだろう。
大きく分ければ、2・3章イタリア、1・4章オランダ、6・7・8章フランスという形で、舞台が移っていく。それぞれ興味深いエピソードが多いのだが、特に西洋美術史を理解するためには、宗教的な背景と対立を知る必要がある。
そして、経済的な観点から言えば「ルネサンスの闇金融」は西洋社会を知る意味でも最も重要であろう。そもそもキリスト教では、聖書により不労所得にあたる利息を禁じられていた。金融業者は教会での葬儀を拒否され、リンチで殺害されることもあったという。しかし、メディチ家のコジモ・デ・メディチは、国際貿易する際に、為替取引を巧みに使い、実質的に利息をとって莫大な地位を得ていた。その贖罪意識により、莫大な献金を法王庁など行っていたのだ。その息子のロレンツォは芸術振興に熱心で、ボッティチェリ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロらのパトロンになった。つまり、キリスト教の罪の概念が、芸術振興の原動力であったといえるのだ。ルネサンスの背景に「闇金融」があると知ったら少し見方も変わるかもしれない。ルネサンスの時点までは、教会が主たるスポンサーであり、当時の作品は著者が「不動産」と指摘しているように、教会の壁面などに描かれており、流通することはない。芸術家に対する対価も労働報酬であり、食客のような形で生活の保障がされ、作品としての価値に対する対価ではなかった。
その後の芸術文化の変遷もキリスト教が関連している。16世紀に宗教改革が起こり、聖書の教えに従い、偶像崇拝を禁止したため、多くの教会の絵画や彫刻が破壊されてしまった。そして、教会というスポンサー、キリスト教という題材を失い、新たなスポンサーを探さなくてはいけなくなったのだ。そこで生まれた新たな題材が静物画や風景画であり、新興のスポンサーである市民というわけである。本書では、フェルメールの《牛乳を注ぐ女》(1659)が、3年分のパンの代金として、パン屋に納品された作品であると指摘している。つまり、この時点で作品は貨幣と同等の価値として取引され、「動産」と化しているということになる。
あるいは、《真珠の耳飾りの少女》(1665頃)は、「トロニー tronie」といわれた不特定人物の顔を描く作品で、オーダーメイドの肖像画ではなく、既製品として販売されていたので、誰もが感情移入できる「没個性」で無名な作品が求められたという。その点では、AIが作り出したフェイクの人物に近いかもしれない。その逆に、今日につながる既製品の展示販売による絵画市場の登場は、注文制作と違って、作家の「個性」が求められるようになる。つまり、商品の差別化が必要になり、題材や手法に独自性を求められるになったのは、作家の天賦の才がもたらした自発的なものというより、市場競争とニーズによるものということになる。
このように、イタリアとオランダ、カトリックとプロテスタントという変革の中で、絵画市場が立ち上がり、新たな顧客とが画風が必要になっていく。イタリアの教会、オランダの市民とは別に、カトリック国フランスでは王室という顧客の存在が描かれている。しかし、そこでも新旧の争いがある。アカデミーと同業者組合ギルドである。言い換えれば、学術と技術、理論と実践の差である。現在のアカデミズムにも継承されている、技術(技芸)や実践を下位に置き、学術や理論を上位に置く考え方は、17世紀のフランスに起源があるという。
ギルドの持つ強い同業者規制を逃れるため、王室と結びつくことで、その威光の下にアカデミーを置き、徒弟制度に対抗する教育体制を敷いていく。それが現在の作家の下に職人を置くといような体制のルーツになっている。それを考えると、フランスにおける対立が原因で今日に至るまで職人が過度に貶められていると思わないではない。ただし、王室は、フランス革命で解体され、ナポレオンによって新たな美術によるプロモーション、イメージ戦略が駆使されていく。ナポレオンの治世は長くは続かないが、ナチス・ドイツやアメリカのホワイトハウスなど、国家的なブランディングに影響を与えた。また、ナポレオン美術館(後のルーヴル美術館)を作り、ナポレオンの行軍によって得た美術品が収集されることによって、現在でも世界で冠たるコレクションを持つ美術館として君臨している。
なかでも本書のクライマックスは、印象派についての記述であろう。フランス革命が起き、市民社会が台頭するが、継承されていたアカデミーやサロンに対抗した印象派がなぜここまで世界的な人気を勝ち得たのか。19世紀の画商ポール・デュラン=リュエルという存在を抜きに語れない。本書でいう「ビジネス戦略」の体現者は、主にデュラン=リュエルのことを指していると過言ではないだろう。デュラン=リュエルは、本サイトで、伊藤賢一朗が紹介しているロバート・ジェンセン著の『世紀末ヨーロッパにおけるモダニズムのマーケティング』においても主要な人物として登場している。
デュラン=リュエルは、サロンから離脱し、自主的な展覧会を興すも、酷評されていた印象派を、フランス王室美術で使用されていた「金ピカ額装」に入れ、「猫足家具」を配した部屋に展示することで、高級商品として販売することに成功した。そこでは、セレブのように顧客を扱い、クラシックな演出が行われていたという。もちろん、そのような宮廷のバロック・ロココ様式と、19世紀の大衆社会を描いた印象派とは、内容的にはまったく似つかわしくないのだが、高級で貴族趣味的な外側の意匠によって、中身の価値を上げるという「ビジネス戦略」をとったのだ。特に貴族がいない新興国アメリカの顧客に、名誉貴族的な気分を味わさせるアイテムとして絶大な支持を受け、印象派は大ヒット商品となった。
先見の明のあるデュラン=リュエルの「ビジネス戦略」は、マスメディアと美術批評の活用にも及んでいる。17世紀のオランダには批評家のようなアーティストとコレクターをつなぐ評者はいないが、19世紀になり新聞雑誌が登場することで、そこに寄稿する評論家のレビューが作品の価値を左右するようになるのだ。デュラン=リュエルは、そのような新聞雑誌の影響力を十分承知しており、自身で雑誌を創刊したという。それが『国際美術骨董批評』(1869)であり『両世界芸術』(1889)である。もちろん、それは中立な批評誌ではなく、販売促進も目的とした広報誌の意味合いが強いが、判断基準のない当時のコレクターにすれば十分にお墨付きを与える役割を果たしただろう。
デュラン=リュエルは、編集長に大ベストセラー作家、エルネスト・フェドーを招聘し、執筆陣には一流の新聞雑誌の批評の常連寄稿者、ルーヴル美術館の主任学芸員、内務省美術部門の要人、国立美術学校教授、大物美批評家など、当時の美術ジャーナリズムや美術行政に影響力を持つ人々を擁したという。このようにして、デュラン=リュエルは市場を作り、価値体系を作り、そこでプレイする人々の役割や仕組みまで作っていったのだ。
ここで本当に今日の芸術を作ったのは誰なのか、という問いが立ち現れる。実は、2014年からデュラン=リュエルを主人公にした展覧会が、仏英米三国で開催されたという。ロンドンのナショナルギャラリーでは「印象派の発明:ポール・デュラン=リュエルと現代美術市場/Inveniting Impressionism:Pall Durand-Ruel and The Modern Art Market」、パリのリュクサンブール美術館では「ポール・デュラン=リュエル:印象派の賭け/Pall Durand-Ruel:Le Pari de L’ Impressionisme」、アメリカのフィラデルフィア美術館では「印象派の発見:ポール・デュラン=リュエルと新しい絵画/Disscovering the Impressionists:Pal Durand-Ruel and the New Painting」である。少しずつタイトルが違い、デュラン=リュエルや印象派に対する認識や立場の違いが表れているが、やはり、ナショナルギャラリーの「美術市場」という視点がもっとも重要であろう。
もちろんアートはお金だけに還元される価値ではない。しかし、一定程度価格に還元されたり、市場として成り立たない限り、持続することはないだろう。特に日本においては、西洋とは異なる背景を持ち、市場を支えていた戦前の富裕層は解体されてしまったので、戦後はそのGDPと比較して極めて小さい市場しかなかった。その逆に、漫画やアニメ、ゲームなどの大衆商品は巨大市場を築いたこともあり、一面だけを見て良し悪しは語れないが、いずれにせよ、個人の作品の創造だけではなく、それを支えるプラットフォームの発明やそのプロデューサーの働きはもっと注目されてよいだろう。日本では美術市場の開拓はこれからであり、その意味で本書の指摘する「ビジネス戦略」という観点はますます求められるのではないか。