「秋丸知貴著『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』晃洋書房・2013年」小林道憲評

2014年度 比較文明学会研究奨励賞(伊東俊太郎賞)受賞作

秋丸知貴著『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』(晃洋書房・2013年)

小林 道憲

本書は、セザンヌ(1839-1906)の造形表現の様々な成立要因の一つとして、鉄道乗車視覚の影響の可能性を指摘するものである。もちろん、セザンヌの造形表現の成立には様々な要因があり、著者もそれらを否定するものではない。しかし、ここでは、セザンヌ絵画における蒸気鉄道による視覚の変容の反映という美学美術史上の新しい学説が、斬新な所論を通して展開されている。

実際、セザンヌは、蒸気鉄道の鉄橋や蒸気機関車そのものを画題としても多数描き、〈自然と近代の対比〉への関心を示している。とすれば、セザンヌは、従来信じられてきたようなただ単なる〈自然愛好画家〉ではなかったことになる。

著者は、セザンヌの造形表現の特徴を、様式分析によって10個あげている。〈視覚の複数化〉〈対象の歪曲化〉〈構図の集中化〉〈筆致の近粗化〉〈運筆の水平化〉〈前景の消失化〉〈画像の平面化〉〈形態の抽象化〉〈色彩の純粋化〉〈共感の希薄化〉である。セザンヌは、視点を複数化したり奥行きを縮減したりして、ルネサンス的リアリズムの特性である一点透視遠近法を様々に変形し、絵画に構造性を回復したと言われる。また、セザンヌは、よく知られているように、対象を〈円筒体〉〈球体〉〈円錐体〉に還元し、形態を抽象化することを推奨した。さらに、対象を色面化し、色調を段階化するとともに、水平線には広がりを見出し、垂直線には深さを読み取った。そして、画像を平面化しつつ、次第に前景を描かなくなってきている。著者によれば、これらのセザンヌの造形表現の特徴は、鉄道乗車時の視覚現象と呼応している。鉄道乗車時の変容された感覚と画面が一致するように調整しながらセザンヌは運筆したのだと、著者は推理するのである。

セザンヌは、絵画を〈自然の再現〉だと言う。自然は〈感覚〉であり、その〈感覚〉を実現するのが絵画表現だと考えたのである。セザンヌにとっては、自然からモチーフとして感受した視覚的印象を画面上に構成するのが絵画表現だったのである。セザンヌは、外光に照射された自然を風景として全体的に感受し、それを、色面化したり歪曲化したり、平面化したり抽象化したりして、構成していったのである。このセザンヌが実現しようとした感覚は、蒸気鉄道による視覚の変容と関係があると、著者は言う。

有名な1887年頃の作である「サント・ヴィクトワール山と大松」も、蒸気鉄道による視覚の変容自体を一種の感覚として、つまりモチーフとして絵画上に実現しようとしたものだと、著者は推定する。事実、セザンヌは、蒸気鉄道で通過する時のサント・ヴィクトワール山を「何と美しいモチーフだろう」と、エミール・ゾラ宛書簡で語っている。セザンヌは、1861年以来晩年までエクスーパリ間を20回以上往復しており、セザンヌの人生の発展と19世紀後半のフランスの蒸気鉄道の発達とは平行している。その疾走する汽車から眺めたサント・ヴィクトワール山が、あの連作になったのだと、著者は推測するのである。

セザンヌは、印象派の画家たちの中でも最も早くに蒸気鉄道の近代性を総合的に内面化し、芸術的に昇華した画家であり、同時代の事物に敏感な新世代の〈近代生活の画家〉であったと著者はみる。セザンヌは、自然の風景に蒸気鉄道による視覚の変容を適用して、近代的視覚の内面化とその創造的昇華を行なったというのが、著者の所論である。

確かに、19世紀に登場した蒸気鉄道は、その直進性や高速性によって視点の常なる変化をもたらし、変化し続ける画面を提供して、自然を、抽象的で超現実的な一続きのパノラマに変貌させた。それとともに、われわれの視覚を、飛び去る景色を傍観する視覚に変容させたのである。この蒸気鉄道が創出した近代的な新しい視覚は、人類史的にみて画期的な視覚の革命であった。この高速移動の経験と芸術表現が結びつかないはずはない。現に、この蒸気鉄道をはじめとする近代技術によるメンタリティーの変容こそ、19世紀後半以降の西洋美術の写実表現から抽象表現への変化を起こさせた要因の中で最大のものと、著者は推定している。

主体と環境の相互作用から認識は生まれる。主体が環境の中で動きつつ環境を写し取ること、それが認識に他ならない。主体が行為を通して環境に働きかけ、環境を切り取り、その新しい意味を創造する働きが認識である。だから、この行為的認識においては、行為のあり方によって世界の現われ方も違ってくる。

芸術も、趣味や情緒ではなく認識であり、行為と環境の相互作用から生成発展してくるものと考えねばならない。だから、動く主体と動く環境の呼応するところで知覚される経験の表現が、また芸術の表現にもなる。

この場合、主体と環境の間に介在する身体の延長としての道具の発明によって、環境の意味や価値が大きく変化することにも注目しておかねばならない。動物や人間の視野は、道具の使用によって拡大し、環境の意味も変わる。道具の使用という行為によって、世界は開かれてくるのである。技術は、一般に、道具や機械を媒体にして環境に対して積極的に働きかける能力であるが、その技術が新しい認識を生み出す。技術を通して、環境は、われわれ人間に新しい相貌をもって迫ってくるのである。

19世紀が生み出した蒸気鉄道という高速移動の技術が、新しい視覚を生み出し、感覚を変容させ、世界を変化させたことも事実である。それが芸術にも表現されうるということは確かである。

著者も、近代技術こそ近代絵画を発展させた根源であり核心であると言っている。このことから、セザンヌの絵画芸術を、人類史的な近代技術による視覚の変容の美的・歴史的・文化的記録として、著者は再評価するのである。著者の言うように、蒸気鉄道による視覚の変容がセザンヌの造形表現に大きく影響したとすれば、セザンヌの芸術は、19世紀において人類一般の生み出した文明の象徴的な文化的所産であったということになる。

技術が文明を生み出し、それが感覚の変容をもたらし、世界の意味が変えられ、それが芸術としても表現されるとすれば、芸術はまた文明の表現であり象徴でもある。

(哲学者・元福井大学教育学部教授/哲学・文明論)

 

※初出 小林道憲「書評 秋丸知貴著『ポール・セザンヌと蒸気鉄道』――近代技術による視覚の変容」『比較文明』第32号、比較文明学会、2016年、221‐223頁。

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