現代の神秘にまつわるヴィジュアル資料集
S・エリザベス『オカルトの美術』(青幻舎・2021年)
【目次】
第1章 宇宙
I 真の形:アートに見る神聖幾何学
II 星を見上げる:アートに描かれた占星術と十二宮
III 元素のイメージとインスピレーション
IV 錬金術と芸術の精神
第2章 神
V 神聖と不死の存在 芸術に見る神の表現
VI 芸術の源泉としてのカバラ
VII アートに表れた神智学の思想
VIII 神秘主義の伝統と芸術
第3章 実践者
IX 霊薬、迫害、力:芸術に見る魔女とその魔力
X 心霊芸術と心霊主義
XI ひらめきと神聖なるインスピレーションの象徴:芸術のなかの占い
XII 儀式の魔術:芸術の精神を呼び覚ますもの
ヒルマ・アフ・クリント《Group X No.1. 祭壇画》1915年
2020年に原著が出版されて世界的に話題を読んだ、S・エリザベスの『The Art of the Occult: A Visual Sourcebook for the Modern Mystic』の邦訳である。米フロリダ在住の著者は、秘教的芸術に関する専門家で、各誌にエッセイやインタヴュー記事等を寄稿している。
意外なことに、本書の冒頭で語られているように、本来「オカルト」という言葉に奇怪な意味はなく、ただ「隠された」という意味である。つまり、「オカルトOccult」という言葉は、「覆う、隠す、秘密にする」という意味のラテン語Occullereに由来している。
それでは、一体何が隠されているのであろうか? オカルティストならば、それは「より高次の智識」と答えるだろう。すなわち、この世界には日常意識や科学技術では認識できない目に見えない普遍的な真理と法則があり、そうした秘教的智識を学ぶと共に、自らの潜在能力を活性化し、日常生活を賦活していくことが、自他の真実の幸福に繋がるという信念である(これが、単なる利己主義に陥ると悲劇を招くことには十分注意しなければならない)。
その際、世俗の価値観に縛られないという点で、芸術と神秘思想には親縁性がある。むしろ、難解な神秘思想は芸術を通じてより直感的に表現しやすくなり把握しやすくなる。ここに、時代や社会や文化を超えて様々な秘教的芸術が存在する理由がある。
「オカルト芸術とは、本質的には、自分自身やこの世界にまつわる隠された知識を手に入れたいという心から生じるものなのだ。」(7頁)
この観点から、本書は古今東西の神秘的な図像を豊富に紹介する。それらは、宇宙、神、実践者という三部に分けられている。各章や各節ごとに、それぞれ必要となる神秘思想についての簡にして要を得た解説が付いていて初心者にも参考になる。
本書の見どころは、四大元素、神聖幾何学、カバラ、黄道十二宮、曼荼羅、神智学、薔薇十字団、ユング思想等にまつわる図像や、魔術、錬金術、占星術に人々が抱いてきたイメージ、トランス状態で制作された絵画作品や心霊写真等である。これに加えて、セビリャの聖イシドールス、聖女ヒルデガルト・フォン・ビンゲン、自然科学者エルンスト・ヘッケルの珍しい図版も引用されている。
有名画家としては、レオナルド、アルチンボルト、ブレイク、フュースリー、ウォーターハウス、ジャン・デルヴィル、ルドン、エルンスト、レオノーラ・キャリントン等の神秘的傾向の強い作品が紹介されている。また、ピカソ、メッツアンジェ、リキテンスタイン、バーネット・ニューマン、アンゼルム・キーファー、ジュリアン・シュナーベル等が挙げられていて意表を突かれるが、この流れで見せられると不思議と納得させられるところがある。
さらに、純粋抽象絵画のパイオニアとして知られる、カンディンスキー、クレー、モンドリアン、クプカ、ヒルマ・アフ・クリント、チュルリョーニス、オルガ・フレーベ・カプスタイン(エラノス会議の設立者)等の図版も興味深い。これらはいずれも、目に見える具象的な物質世界の背後にある抽象的な精神世界を描こうとして抽象化を推進しているように感じられる。
特筆すべきは、20世紀最大のオカルティストの一人アレイスター・クロウリーの水彩画や、彼と縁の深いマーガレート・フリーダ・ハリスやマージョリー・キャメロンの貴重な実作も収録されていることである。さらに個人的には、アウトサイダー・アートに分類される、エレーヌ・スミス、マリアン・スポア・ブッシュ、マッジ・ギル、オーギュスタン・ルサージュの作品に大きく関心を引かれた。
そして、本書の最大の特徴は、この系統の2010年代に至る新しい作品も多数掲載されていることである。本書で初めて知った1970年代から80年代生まれのアーティストの作品も多く、こうしたオカルト芸術の水脈は枯れるどころか今日もなお水源豊かに伏流していることが強く感受される。
なお、本書の学説史的位置付けについても触れておこう。
戦後、近代絵画史についての解釈の主流はフォーマリズムであった。これは、クレメント・グリーンバーグが「モダニズムの絵画」(1960年)で決定付けた、一種の美術における発展史観である。そこでは、何が描かれているかではなく、如何に描かれているかが問題にされ、絵画における価値の指標を「平面性」と見なし、その純粋還元の展開を跡付けるものであった[i]。
しかし、こうしたフォーマリズム解釈は、内容については一切触れずに形式だけしか扱わないので、絵画本来の魅力を十分に説明できていないのではないかという反論を呼び起こすことになる。その反論の一つは、特に19世紀のロマン主義に由来する神秘思想が、20世紀初頭における純粋抽象絵画の成立に与えた影響についての考察を巡って展開した。
その代表的研究として、シクステン・リングボム『カンディンスキー―抽象絵画と神秘思想』(1970年)[ii]、ロバート・ローゼンブラム『近代絵画と北方ロマン主義』(1975年)[iii]、ロサンゼルス・カウンティ美術館で開催された『芸術における精神的なもの――抽象絵画 1890-1985』展(1986年)[iv]、キャスリーン・J・リージャー『近代芸術における精神的イメージ』(1987年)[v]、ロジャー・リプシー『20世紀芸術における精神的なもの』(1988年)[vi]等を挙げられる。
つまり、近代美術における神秘主義についての研究は、美術史学の正当な研究テーマの一つなのである。そして、本書もこの学問的系譜の一つに位置していることを付言しておきたい。
ただし、この『オカルトの美術』の魅力は、むしろ単なる学問的な範囲に留まらないところにある。難しい解説を読まずとも、各ページをめくってその図版や構成を眺めるだけで読者は様々な霊感(インスピ―レーション)を受けるだろう。その意味で、本書は脱聖化(デ・エンチャンティッド)された世界を再聖化(リ・エンチャンティッド)し、日常生活を賦活するための刺激的な発動機(ジェネレーター)なのである。いわば、この本自体がオカルティストであるS・エリザベスによる一つの芸術作品と言えるだろう。
[i] Clement Greenberg, “Modernist Painting,” Forum Lectures, Washington, D. C.: Voice of America, 1960.
[ii] Sixten Ringbom, The Sounding Cosmos: A Study in the Spiritualism of Kandinsky and the Genesis of Abstract Painting, Åbo, 1970. 邦訳、シクステン・リングボム『カンディンスキー――抽象絵画と神秘思想』松本透訳、平凡社、1995年。
[iii] Robert Rosenblum, Modern Painting and the Northern Romantic Tradition: Friedrich to Rothko, New York, 1975. 邦訳、ロバート・ローゼンブラム『近代絵画と北方ロマン主義の伝統』神林恒道・出川哲朗訳、岩崎美術社、1988年。
[iv] Exh. cat., The spiritual in art: abstract painting 1890-1985, Los Angeles County Museum of Art, 1986.
[v] Kathleen J. Regier, The Spiritual Image in Modern Art, Quest, 1987.
[vi] Roger Lipsey, The Spiritual in Twentieth-century Art, Random House, 1988.