博引旁証による人類学的考察
一条真也『儀式論』(弘文堂・2016年)
現在、日本では冠婚葬祭を中心に伝統的な儀式が軽視される傾向がある。例えば、入籍しても結婚式を挙げない「ナシ婚」が増加し、身内だけの「家族葬」や、通夜・告別式なしで火葬場に直行する「直葬」や、遺骨を火葬場で処分する「ゼロ葬」までもが登場している。もちろん価値観の多様化は時代の趨勢であり、長引く不況は生活のあらゆる面でコスト削減を迫る。しかし、本当に儀式はこのまま失われても良いのだろうか。著者は、儀式の意義を多様な角度から根本的に問い直すことでこの実生活に根差した緊急の社会問題に応答しようとする。
本書は、全部で14章からなる。それぞれの章題は「儀礼と儀式」「神話と儀式」「祭祀と儀式」「呪術と儀式」「宗教と儀式」「芸術と儀式」「芸能と儀式」「時間と儀式」「空間と儀式」「日本と儀式」「世界と儀式」「社会と儀式」「家族と儀式」「人間と儀式」である。著者は、哲学、心理学、宗教学、社会学、民俗学、文化人類学等の厖大な古今東西の先行研究を辿り、議論を公正かつ普遍的な水準に高めつつ問題の核心に接近していく。
儀式はやはり必要である、と著者は結論付ける。なぜならば、困難に満ちた人生を健全に生きていくためには心に道筋を与える具体的な「かたち」が必要だからである。
著者によれば、人生は不安の連続である。成人するにしても、結婚するにしても、老いていくにしても、未知の生活は常に人を不安にさせる。中でも最大の精神的危機は、親しい人の死である。死別は、否応なく遺族を心神喪失状態のまま愛する人の欠けた世界に放り込む。悲哀と執着は、容易に遺族の心を破壊してしまう。しかし、「心が動揺し、不安や矛盾を抱えているときの心には、儀式のようなまとまった『かたち』を与えてあげることで不安が癒されることがある」。葬儀は、定められた為すべき手順を粛々と行わせることで心の拠り所となり、現実感のない死者との離別を可視的にドラマ化することで事実を現実として受け入れるのを助ける。
また、葬儀は人と人の心を結び付ける。悲哀を共有する参列者の存在が、遺族の孤独を和らげ、社会復帰の糸口となる。葬儀には、死別により欠損した世界との関係を連続性を持って再構築し安定させる機能があるのである。人類が死別の悲哀による鬱病・引籠りや自殺の連鎖で滅亡するのを防いできたのは、実は葬儀という文化装置の働きが大きい。「葬儀をするヒト(ホモ・フューネラル)」こそ、人間の定義である。
こうした儀式の重要性は、冠婚葬祭全般についていえる。七五三、成人式、結婚式、長寿祝い、年忌法要等は全て、未知への不安やストレスに対する心の安寧をもたらすと共に人間関係を強固にする。その働きは手間暇がかかるほど強化され、人は一度きりの人生の有難みや周囲からの愛情を実感できる。儀式は人間が真に充実して生きるために存在するのであり、その意味で儀式の重要性は永遠に不滅である。
ただし、問題は儀式が心を伴わずに形骸化することである。これを防ぐために、著者は古語の結合による「慈礼」という新しいコンセプトを提出する。つまり、「慈しみに基づく人間尊重の心」を大切にすることで時代に相応しい心のこもった儀式の復興を目指すのである。
年中行事や人生儀礼等の儀式は、民族的伝統に培われたアイデンティティの拠り所としても心を豊かにする。また祭礼により賦活される「聖なるもの」への敬虔さは、生きる意味が見失われ、物欲に捉われ、人間関係が疲弊し、自然環境が損壊されている現代社会に豊かな滋養と調和を供給するものでもある。正に、儀式の本質を「魂のコントロール術」と説く本書は時代の希求するアクチュアルな啓蒙書と言えるだろう。
※初出 秋丸知貴「一条真也著『儀式論』弘文堂・2016年」『週刊読書人』2017年1月20日号。