様々な通説を書き換えた清新な明治美術論
高階秀爾『日本近代美術史論』(ちくま学芸文庫・2006年)
秋丸 知貴
東京大学名誉教授で西洋美術研究の第一人者である高階秀爾氏が30代後半で執筆した、日本近代の重要な画家・思想家を論じた古典的名著である。
1967年から69年にかけて『季刊藝術』で連載された「日本近代美術史ノート」に、『世界』1969年4月号で発表した1章を加えて、初め1972年に講談社より単行本として出版。1980年に講談社文庫に入り、1990年に講談社学術文庫に収められ、2006年にちくま学芸文庫として復活した。
扱われるのは主に明治美術で、洋画家の高橋由一、山本芳翠、黒田清輝、藤島武二、青木繁、日本画家の狩野芳崖、富岡鉄斎、横山大観、菱田春草、思想家のアーネスト・フェノロサ、岡倉天心という、幕末以降の西洋的近代化の孕む問題が凝縮されたキーパーソン達を目配り良く取り上げている。それぞれの章は、簡にして要を得た個人の伝記研究であると共に、一冊全体で明治美術史の核心部分を通覧する概説書としても読める。
他の著書にも一貫する美術史家としての高階氏の特徴は、美術における外的条件と内的条件の有機的反応、つまり作品制作における歴史・社会・文化的条件と、画家の心理・個性・才能的条件の――どちらか一方だけではない――両方の複雑な絡み合いの様相をバランス良く読み解く点にある。
また、西洋美術史の専門家であり、20代で長期のフランス留学を経験した著者は、西洋と日本の比較文化的視点にも優れている。本書が、国際的観点から日本画と洋画を等しく日本近代美術として扱い、同時代の西洋近代美術と同等に比較し、日本近代美術史をローカルではないグローバルな位相へと進展させたことは広く知られている。
さらに特筆すべきは、本書が造形芸術における異質な感受性の直観から出発しており、その差異の分析を通じて「西洋とは何か」「日本とは何か」という問題の考察に踏み込んでいる点である。
例えば、巻頭で述べられ本書全体の基調をなす、高橋由一の《花魁》の西洋的一点透視遠近法とは異なる「破格な」表現に、著者が覚えた「違和感」と「快い興奮」とは、西洋的感受性を一度経験したからこそ如実に意識化しえた日本的感受性との内なる同胞的共鳴に他ならない。また、由一の西洋画法に対する最初の開眼を、30歳を超えた「嘉永年間」ではなく、感受性が鋭敏な20代前半の「文久年間」と見る学説も、著者自身の異文化体験に根差すところが大きいと思われる。
従来の通説に反し、印象派の日本への移植者と見なされていた黒田清輝の真の目的を、定着しなかった西洋絵画の伝統的理念としての「構想画」と洞察したり、国粋主義者として知られる岡倉天心が、西洋美術への理解から東京美術学校西洋画科の新設や日本画における「朦朧体」の創案に深く関与していたことを読解することにも、同様の問題意識が通底していよう。
学問とは直観の実証であることを実践した、清廉で卓抜した比較美術史家が開陳する、明晰で知的感動に溢れる日本近代美術史を精読したい。
※初出 秋丸知貴「高階秀爾『日本近代美術史論』ちくま学芸文庫・2006年」『日本美術新聞』2012年5・6月号。