限界状況とアート「猪股剛編著/ヴォルフガング・ギーゲリッヒ他著『ホロコーストから届く声――非常事態と人のこころ』左右社・2020年」秋丸知貴評

心理臨床家達によるホロコースト論 抑圧された無数の悲哀と向き合うために

猪股剛編著/ヴォルフガング・ギーゲリッヒ他著『ホロコーストから届く声――非常事態と人のこころ』(左右社・2020年)

秋丸 知貴

本書は、主に1965年から1985年生まれの現代日本の精神科医・臨床心理士達が、第二次世界大戦中にナチス・ドイツが強制収容所でユダヤ人等に行った組織的大量虐殺、いわゆる「ホロコースト」について考察した書物である。

というと、当然すぐに次のような疑問が湧く。なぜ無関係な戦後生まれの日本の50代から30代の心理臨床家達が、既にこれまで心理学はもちろん、文学・哲学・歴史学・政治学・社会学等で散々議論が積み重ねられてきた遠い異国の75年以上昔の事件を改めて取り上げるのだろうか?

しかし、少し考えればこれが生半可な覚悟でないことはすぐに分かる。なぜなら、ホロコーストについては、部外者が安全な位置から発言すればするほどまずその非当事者性を批判されるのは目に見えているからである。普通に考えれば、それは現役で活動する臨床家達にとって害にこそなれ益にはならない。従って、わざわざ勤務時間外に膨大な労力を費やしてまで陰鬱な大量虐殺のテーマに取り組む必要はないはずである。それでは、なぜ著者達は敢えてこの研究に取り組むのだろうか?

必然性は、ある。つまり、ホロコーストの犠牲者・生存者達に向き合うことと、心理援助の専門職としてクライエント達に向き合うことは、心理的に相似的なのである。

基本的に、どちらも当事者は何らかの許容限度を超えるショックを受けている。彼等は、その不安や恐怖や苦悩を誰かに話したくてたまらない。しかし、それはもし話しても実際に経験していない他者にはうまく伝わらない。たとえ伝わったとしても、想像を絶する非人間的な出来事であれば他者には理解や慰撫は難しい。やがて、被害者達は心を閉ざし言葉を喪失してしまうだろう。そうした他人の心の奥深くに抑圧されたトラウマを、私達は、個人として、社会として、一体どのように受け止めれば良いのだろうか?

この難問に取り組むには、例えば広島・長崎の被爆体験はある意味で身近すぎる。つまり、同胞として主観的・批判的に感情移入せざるをえないので、一定の距離を保って客観的・学問的に議論を開きにくいところがある。その意味でも、この本の主題には必然性がある。

そして、この書物が今日性(アクチユアリティ)を増すのは、現在新型コロナが猛威を振るっているからである。不可視の暴力的な死に晒されつつ、他人や社会との隔離が進み、生活も否応なく統制されていく中で、ホロコーストと現代社会もまた一つの相似形を描いている。私達の周囲に名もなき悲哀が蔓延しつつあることは、今や誰もが肌身に感じているはずである。

これらを背景として、本書は先行研究として、哲学者としては、プリーモ・レーヴィ、ヴィクトール・フランクル、ジョルジョ・アガンベン、テオドール・アドルノ等に言及する。また、心理学者としては、分析心理学を専門とする著者達らしく、C・G・ユング、ジェームス・ヒルマン、河合隼雄等を多く引用している。特に、ヴォルフガング・ギーゲリッヒによる寄稿「抑圧された忘却 アウシュビッツといわゆる〈記憶の文化〉」は貴重である。

本書の心理学書としての特徴は、収容所体験の本人への影響や周囲の反応の具体例として、かなり紙数を割いて様々な芸術作品に注目していることである。文学では『アンネの日記』、音楽ではスティーヴ・ライヒの《ディファレント・トレインズ》、美術ではクリスチャン・ボルタンスキーの《発言する》、メナシェ・カディシュマンの《フォーレン・リーヴズ》、グンター・デムニッヒの《躓きの石》、さらに建築家ピーター・アイゼンマンと彫刻家リチャード・セラの共同設計による《虐殺されたヨーロッパ・ユダヤ人のための記念碑》等が論じられる。直接ホロコーストについてではないが、悲惨な戦争体験の昇華の例として、舞踊ではピナ・バウシュや大野一雄等も取り上げられている。

その一方で、この分野の有名映画である、命懸けでビザを発行し続けた『シンドラーのリスト』や悪の凡庸さを究明する『ハンナ・アーレント』がコラムで触れられるだけなのは、本書の主眼がホロコーストに対する人間性/非人間性にではなく被害者のトラウマ体験の心理自体にあるからだろう。同時に、関係者への長編インタヴュー集である『ショア』への言及も少ないのは、過去の事実の表象の不可能性よりも可能性の方に関心があるからだと思われる。

他者は理解し辛く、孤独は癒し難い。それでも、日常的自我と無意識的自己の調和は、社会における自己実現の道を開き、万人を心の奥底で結合する普遍的共同性へも通じている。言語以前の夢や芸術表現は、その道しるべとなるだろう。

生死の内容を、どう意味づけ、どう物語るか。正直、ホロコーストの非人道性に意味を見出すのは至難の作業だが、それでも極点で問題が浮き彫りにされる分だけ私達の日常生活にフィードバックしやすいともいえる。混迷の度合いを増す時代に、足元を照らし出す一冊である。

 

※初出 秋丸知貴「猪股剛編著『ホロコーストから届く声』左右社・2020年」『週刊読書人』2021年1月29日号。

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評者: (AKIMARU Tomoki)

美術評論家・美学者・美術史家・キュレーター。1997年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業、1998年インターメディウム研究所アートセオリー専攻修了、2001年大阪大学大学院文学研究科文化表現論専攻美学文芸学専修修士課程修了、2009年京都芸術大学大学院芸術研究科美術史専攻博士課程単位取得満期退学、2012年京都芸術大学より博士学位(学術)授与。2013年に博士論文『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』(晃洋書房)を出版し、2014年に同書で比較文明学会研究奨励賞(伊東俊太郎賞)受賞。2010年4月から2012年3月まで京都大学こころの未来研究センターで連携研究員として連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の研究代表を務める。主なキュレーションに、現代京都藝苑2015「悲とアニマ——モノ学・感覚価値研究会」展(会場:北野天満宮、会期:2015年3月7日〜2015年3月14日)、現代京都藝苑2015「素材と知覚——『もの派』の根源を求めて」展(第1会場:遊狐草舎、第2会場:Impact Hub Kyoto(虚白院 内)、会期:2015年3月7日〜2015年3月22日)、現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展(第1会場:両足院、第2会場:The Terminal KYOTO、会期:2021年11月19日~2021年11月28日)、「藤井湧泉——龍花春早 猫虎懶眠」展(第1会場:高台寺、第2会場:圓徳院、第3会場:掌美術館、会期:2022年3月3日~2022年5月6日)等。2020年4月から2023年3月まで上智大学グリーフケア研究所特別研究員。2023年に高木慶子・秋丸知貴『グリーフケア・スピリチュアルケアに携わる人達へ』(クリエイツかもがわ・2023年)出版。上智大学、滋賀医科大学、京都芸術大学、京都ノートルダム女子大学で、非常勤講師を務める。現在、鹿児島県霧島アートの森学芸員。

(『週刊読書人』WEBでも書評を掲載中 https://dokushojin.com/)

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