美術に隠された神秘
本書は、「オカルト」に関する175点を超える美術を集めて、編纂した書である。「オカルト」というテーマで、ここまで網羅的に美術作品を集めたのは初めてではないだろうか。
「オカルト」と聞いたらどんなものをイメージでするだろうか?Wikipedia日本版を見ると、神秘学(occultism)、錬金術、神秘学、神智学、人智学、密教、道教、占星術、超能力、超常現象、心霊主義、UFO、UMAなどといった言葉を並ぶ。なとなく、神秘的でおどろおどろしく、それでいて興味が惹かれる。ただし、それらへの強い関心は、たいていの人間にとって幼少期には卒業し、科学的な知識で理解される/あるいは排されるか、メジャーな信仰の一部に組み込まれるのではないか。
しかし、それらの関心を持ち続けて、創作のインスピレーションにしてきたのがアーティストだろう。そのことが本書では明らかになっている。宇宙、神、実践者という3つの章の中に、神聖幾何学、占星術と十二宮、元素のイメージ、錬金術、カバラ、神智学、神秘主義、魔女、心霊主義・心霊芸術、占い、魔術などの「オカルト」に関する、驚くほど豊かなイメージが繰り広げられている。大半が20世紀につくられた作品であるというのも面白い。「オカルト」という言葉は、「覆う、隠す、秘密にする」という意味の、ラテン語occulereに由来しているが、1875年に設立された神智学協会の会員が使い始めた用語とのことなので、19世紀から20世紀にかけて生まれた知識体系といえるだろう。
いっぽうで、20世紀は「フォーマリズム」のような、アーティストのインスピレーションや感情、意図を排して作品の形式的要素、視覚的特性のみで評価する批評がされてきた。そのような純化されたモダニズムの絵画の名手として評価されてきたアーティストたちが、「オカルト」に染まっていたというのも逆説的で面白い。本書で紹介されているのは、ピエト・モンドリアンの《赤・青・黄のコンポジション》(1930)、ワシリー・カンディンスキー《いくつかのサークル(Several Circles)(1926)、パブロ・ピカソ《4つのギターの秀作》(1924)、ロイ・リキテンシュタイン《「宇宙論」の研究》(1978)、ルイジ・ルッソロ《音楽(Music)(1911)、パウル・クレー《調合する魔女》(1922)などである。これらは「オカルト」という視点でないと並ばないかもしれないし、「オカルト」と言われなければ、そう認識しなかっただろう。
ただし、「最古の魔術は『芸術』と称されることとが多い」「魔術と同様、芸術はシンボルや言葉、イメージを操り、意識に変化をもたらす技法なのだ」と、作家アラン・ムーアの言葉を引用しているように、魔術と芸術の本質的な違いはないばかりか、本書をみると「オカルト」は、20世紀のもっとも創造的な芸術活動の根底にあるものということがわかるだろう。
著者のS.エリザベスはイントロダクションで、「魔術と神秘を信じる心は、人類の歴史に脈々と流れている。その歴史のなかで密やかに息づくのが、神秘の技の実践者たちであり、未知なる世界を描き、時空を超越した不思議な作品を創造する熟達の芸術家たちなのだ。芸術家や魔術師―ときに同じ役割を演じる―は、その創造の手法と作品によって、神秘の教えや哲学に光をあて、日常には目にすることができない謎めいた世界をわたしたちに垣間見せてくれる。」と述べている。
SF作家アーサー・C・クラークは、「クラークの三法則」で、「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」と述べているが、かつて魔法として表現されてきたことも、今や実現してきている。アートの語源がラテン語の「アルス」にあり、そもそもギリシア語の「テクネ」を古代ローマ人が訳したものと言われ、アートと技術の語源が同根であると同様に、魔術や魔法もまた、本質的な違いはないのかもしれない。
ここでは科学的か非科学的か、というのは問題ではない。分裂した世界の中で、全体性や霊性を取り戻そうというアーティストのインスピレーションやイマジネーションは、科学がいくら進歩しようとも変わらないということだ。21世紀の作品もいくつか紹介されることがそれを雄弁に物語っている。
個人的に気になったのは、カンディンスキーやルッソロ、アブラハム・ローウェンタール《ショー・ファーの100の音》などの音を視覚化をした作品である。共感覚など、知覚の秘密に迫る要素が「オカルト」の中にあることが興味深い。