藤田嗣治の色彩と旅に注目した意欲的なキュレーション
現在、箱根のポーラ美術館で、「フジタ 色彩への旅」展が開催されている。豊富な藤田コレクションを持つポーラ美術館の中でも、とりわけ今回は新しい試みだといえるだろう。
すでにある程度、評価の定まったアーティストの新たな側面に光を当てる、ということは欧米の美術館ではよく行われていることだ。しかし、日本のモダンアーティストでは、世界的にそこまで高い評価を受けているアーティストはわずかしかおらず、その点で言えば、藤田嗣治(レオナール・フジタ)は、ほとんど唯一、その対象になると言ってよいだろう(存命の現代アーティストは除く)。
藤田は、1920年代に、「乳白色の肌」「乳白色の下地」と言われる、半光沢・半透明な下地に、細筆で輪郭を描く独自な手法で、エコール・ド・パリの寵児となったことはよく知られている。近年、藤田の下地は、東京藝大を中心とした本格的な組成分析が行われ、独特な「質感」を生み出す秘密の解明が進んでいる。簡単に言えば、平織りの麻布に膠の目止め剤、次に鉛白と炭酸カルシウム(または石膏)に膠と乾油性を混ぜた半油性(エマルジョン)の地塗り、その上にタルク(ベビーパウダー)を塗布する。炭酸カルシムで「乳白色」を作り、タルクで油分をとることで、水性の墨がのるようにしている[i]。
これはそのまま、皮膚の構造に似る。皮膚は、表紙・真皮・皮下組織といった半透明な多層構造になっており、最上部にある角質層の表面は、皮脂と汗からなるエマルジョンになっており、半光沢の「潤い」を与えている。つまり、藤田は、肌の「質感」をイリュージョンとして再現しようとしたわけではなく、シミュ―ションとして再現しようとしたのだ。この点が、今までの西洋絵画の歴史でなかった観点であり、日本画の教養があった藤田だからこそ思いついた技法だろう。その上で、西洋絵画のヌードの歴史に組み込まれるよう、上手く計算している。
後、近年注目されているのは戦時中の戦争記録画、いわゆる「戦争画」であるが、それもまた、近代戦争において、どのようにして西洋絵画の主題の一つである戦争画を描くことができるか考えている。《アッツ島玉砕》(1943)なども、敬愛しているダ・ヴィンチの幻の作品《アンギアーリの戦い》など、様々な戦争画の系譜に連なるものとして意識していたと思われる。アッツ島には実際に取材に行っていないわけなので、それは記録画とはもはや言い難く、藤田の美術史とそれまでの経験を踏まえた空想の絵である。
このように1920年代と40年代という2つの藤田がこれまで注目されることが多かった。
しかし、藤田は1929年の世界恐慌のあおりを受け、パリも不景気になったこともあり、中南米に旅をする。中南米では、強い日差しと鮮やかな色彩、さらにパリ時代のように、手の込んだ画材を集められなかったこともあり、現地調達の画材で色彩を多用した絵画を描くようになる。そして、現地の人々や衣装、多様な肌を積極的にモチーフにした。日本に帰国後も、秋田や沖縄やアジア各地を訪問している。その後、戦争画のためにさらに旅を続け、藤田は地球を3周回ったと言うくらい旅を重ねている。
前置きが長くなったが、本展「フジタ 色彩への旅」は、今まで取り上げられてこなかった、色彩を多用し、活発に旅を続けた藤田の30年代の絵画に注目した意欲的な展覧会である。30年代の藤田がどのような色彩を使ったのか、中南米やアジアの気候や人々の肌とどう関係し、どのような配色の法則があるのか、私はその色彩分析を依頼された。さらに、20年代から50年代までの色彩の変遷について分析している。加えて、20年代の「質感」表現の背景にある感覚や、30年代以降、どのように「質感」表現を展開したか推測している。
詳しくは、ポーラ美術館に訪問していただくか、図録を購入していただきたいと思うが、色彩においても洗練された配色、構図を巧みに使う、藤田の絵画が見られるだろう。そして、多様な人種の肌を美しく描く作品は、非常に今日的な課題と同期している。是非、新たな藤田像を見に、足を運んでいただければと思う。
[i] 木島隆康、林洋子編『藤田嗣治の絵画技法に迫る:修復現場からの報告』東京藝術大学出版会、2010年
※
藤田嗣治の分析は、中村ケンゴ、岩泉慧、ミヤケマイらと結成している、芸術色彩研究会の議論を基にしてる。詳しく以下のトークイベントをご覧いただきたい。また、芸術色彩研究会は、フジハネ(藤原さゆり、羽田美恵子)の協力のもと運営している。
芸術色彩研究会
http://geishikiken.info/
色彩と質感の地理学-日本と画材をめぐって
http://docs.geishikiken.info/?cid=1
フジハネ
http://fujihane.com/