『フランスの色景-写真と色彩を巡る旅』の内容は、港千尋さんと三木学が7年間、断続的に行ってきた色彩研究を基にしている。
最初は、自然文による画像検索エンジンのめに制作した、画像から色名を自動抽出する解析システムを改良することから始めた。それを港さんにお見せしたら、写真の色を色空間(色立体)に分布させたいという意向があったため、色名を抽出する機能に加えて、色空間に分布させる両方の機能をつけることになった。
そこから、各地域の色名が、色空間のどこに分布しているかわかるようになり、色名の粗密を空間的に把握できるようになったのだ。色名の粗密は、国、民族、地域による語彙の違いを表してているので、その基にある色彩感覚の違いがおぼろげながら見えてくる。
そこでまずは、フランスという、日本と対照的な色彩文化を持つ地域に絞り、写真から色空間による配色分析と、色名分析で比較することでその色彩環境と色彩感覚の違いを文化的、科学的に解明しようとしたのが本書である。
港さん自身が、フランスと日本を行き来しており、フランスと日本の両方の色彩感覚を共有しているということも大きかった。それは言語だけではなく、知覚レベルでの理解であるといっていい。また、いわゆる観光写真ではなく、フランスに長い間滞在し、日常風景をフィールドワークをしながら撮影している写真である、ということも大きな意味がある。そこには観光という動員のための過剰な演出はない。
色彩分析をしていると、港さんの写真から驚くべき法則が見えてきた。通常、港さんのようなスナップショットの撮影方法だと、瞬間の判断であり、配色を厳密に計算して画面構成することは難しい。そもそもスナップショットの速度で、風景の配色をどこまで知覚できるかは脳科学でも解明されていない。しかし、ことごとく、配色のバランスがとれているのだ。
配色のバランスとは、色空間上において、補色といわれる色相環の反対色が天秤のように配置されていることである。日常風景のスナップショットにおいて、そのような色相環の対立構造によるバランスが見られるケースは珍しい。それはフランスという色彩環境と港さんの色彩感覚の両方が噛み合ったときに見られる現象といってもいい。しかし、さすがに日本では、港さんでもそのような写真をとることは難しい。
その理由は何だろうか?色彩分析をするうちに、文化の根幹にある感覚の違いを知るために、色彩は一つの鍵になるのではないかと思うようになった。日本の場合、江戸時代までは天然染料や顔料が主流であり、あざやかな色を出すのも限界があったし、色相環における補色や、色空間でのトーンを合わすなど、対立する色同士の配色や空間性のある配色の感覚はほとんどない。
西洋とは根本的に配色の体系が異なるといえる。絵画において、西洋が立体性を求め、日本が平面性や装飾性を求めたように、色彩においても西洋は空間性があり、日本は十二単のかさねの色目のように、平面性と織による透過性を追求してきたところがある。
どちらが素晴らしいとは言えないが、今日に至るまで、西洋的な彩度の高い色を、対立する色相で配色する感覚は日本人にはほとんどない。しかし、どのようにそれが共有できていないか、今回のような試みがなければ理解されることはなかっただろう。またその感覚の違いは、思想の違いとも関係しているように思う。
今、フランスをはじめ先進国は、移民問題にゆれているが、感覚の違いを理解し共有することは、人類の相互理解にとっても有効だと考えている。色彩の歴史から見ると、フランスの色彩文化が北アフリカや中東から受けた影響は計り知れないものがある。近代絵画の色彩革命もまた南仏と北アフリカはその震源地だった。
現在のように、文化が衝突する時代だからこそ、言語や思想の基層にある色彩の知覚の研究が相互理解の道標になればと考えている。本書の試みは小さいかもしれないが、その方向性を示すための一歩になれば幸いである。
初出『shadowtimesβ』2015年3月30日