「具体」が駆け抜けた時代、その精神が芦屋に刻んだもの 「具体美術協会と芦屋、その後」 芦屋市立美術博物館 黒木杏紀評

芦屋市立美術博物館

🔳開催概要
具体美術協会と芦屋、その後
会期:2025年7月5日(土)―8月31日(日)
会場:芦屋市立美術博物館

芦屋の地に身を置くと、穏やかな海と緑豊かな六甲の山並みに抱かれた、洗練された文化の香りが感じられる。この地で、かつて日本の、いや世界の美術史を塗り替えるほどの熱量を放った前衛芸術家集団が産声を上げたことを、私たちはどれほど意識しているだろうか。芦屋市立美術博物館で開催中の「具体美術協会と芦屋、その後」展は、戦後日本の美術界に燦然と輝く「具体美術協会」(以下、「具体」)の活動の軌跡と、その精神が解散後もこの地にいかに深く、豊かに根付いていったかを克明に描き出す、極めて重要な展覧会である。

グタイピナコテカ集合写真  1965    写真提供:大阪中之島美術館

「人の真似をするな」―具体美術協会の衝撃

そもそも「具体」とは何であったか。それは、1954年に前衛画家・吉原治良(1905-1972)を中心に芦屋で結成された美術家集団である。吉原が若き芸術家たちに繰り返し説いた「人の真似をするな、今までにないものをつくれ」という 激烈な言葉は、「具体」の精神的支柱となった。その活動は、絵具を足で塗りたくった白髪一雄のパフォーマンスや、絵具を満たした瓶をキャンバスに叩きつけた嶋本昭三の「投擲絵画」、電球や管球でドレスを仕立てた田中敦子の「電気服」など、従来の絵画や彫刻の概念を根底から覆す、過激で実験的な試みの連続であった。

展示風景

彼らは、物質そのものに生命を与えることを追求した。絵具やキャンバスといった画材だけでなく、泥、水、木材、布、さらには光や音、時間といった非物質的な要素までもが、彼らの手にかかれば生々しい表現媒体となったのだ。本展の第一部「具体美術協会 1954-1972」では、その18年間にわたる活動が「初期」「中期」「後期」の三期に分けて俯瞰される。

吉田稔郎 《作品》 1959年 ミクストメディア、布    芦屋市立美術博物館蔵

嶋本昭三《作品》1963 年頃 塗料、布    芦屋市立美術博物館蔵    🄫Shimamoto LAB Inc.

特に、1970年の日本万国博覧会(大阪万博)へ向けて、グループ全体が一つの巨大な目標に向かってエネルギーを昇華させていった後期(1965-1972年)の動向に焦点が当てられている点は興味深い。テクノロジーや幾何学的抽象といった当時の最先端の動向を取り入れ、表現の幅を大きく広げていったこの時期の作品群は、「具体」が一過性のムーブメントではなく、時代と鋭く対峙し続けた知的な集団であったことを雄弁に物語っている。

日本万国博覧会「具体美術まつり」フィナーレ 1970

美術館という名の共鳴者―芦屋市立美術博物館と「具体」の絆

この壮大な「具体」の物語を語る上で、会場である芦屋市立美術博物館の存在は不可欠である。阪神芦屋駅から南へ、閑静な住宅街を抜けた先に広がる文化ゾーンの一角に、そのモダンな建築は静かに佇む。この美術館は、単なる展覧会の開催場所ではない。「具体」という芸術運動の最も深い理解者であり、その遺産の守り手としての役割を自負する、特別な場所なのだ。

元永定正 《液体(赤)》1956年 / 2025年 真夏の太陽にいどむモダンアート野外実験展(1955年7月)   撮影:ERINA YASUKAWA

驚くべきことに、本展は「具体」の全活動期間を網羅する展示でありながら、そのほとんどが同館の所蔵作品によって構成されている。これは、世界でも類を見ないことであり、同館が1991年の開館準備時代から、いかに情熱と先見の明をもって「具体」の作品群を体系的に収集してきたかを証明している。展示室に並ぶコレクションの一つひとつが、「具体」とこの美術館との間の固い絆を物語っている。

例えば、元永定正の《作品》(1962年)は、水平に置いた綿布に油性合成樹脂塗料を流し込むことで、ユーモラスで生命力に満ちたかたちを生み出している。

元永定正 《作品》 1962 年 油性合成樹脂塗料、綿布、板     芦屋市立美術博物館蔵   🄫モトナガ資料研究室

また、松谷武判が樹脂系接着剤と合成樹脂系絵具を用いて有機的な膨らみを生み出した《作品・62》(1962年)は、物質そのものの声を聴こうとした作家の姿勢を伝える。

松谷武判 《作品・62》 1962 年 樹脂系接着剤、合成樹脂系絵具、布    芦屋市立美術博物館蔵

さらに、足で描くという革新的な手法で知られる白髪一雄の《地煞星鎮三山》(1961年)は、油彩と布が一体となり、荒々しいエネルギーを画面に叩きつけている。

白髪一雄 《地煞星鎮三山》 1961 年 油彩、布    芦屋市立美術博物館蔵

これら世界に誇るべき珠玉のコレクションを通じて、来館者は作品を鑑賞すると同時に、この地の美術館が育んできた文化的な土壌そのものに触れることになるのだ。

「その後」に宿る精神―芦屋に蒔かれた前衛の種子

本展の真骨頂は、そのタイトルが示す通り、「具体」解散「その後」の芦屋に光を当てた点にある。1972年、指導者であった吉原治良の急逝により、「具体」はその活動に幕を下ろした。しかし、その精神は決して消滅したわけではなかった。むしろ、そのエネルギーは個々の作家たちに引き継がれ、芦屋という土壌で新たな文化の潮流を生み出していくことになる。

第1回芦屋川国際ビエンナーレ 1972  撮影:堀尾貞治 Ⓒ松谷武判アーカイブス

展覧会の第二部「『具体』が芦屋へもたらした、新しい息吹」は、この歴史的継承を見事に描き出している。1972年と1974年に開催された「芦屋川国際ビエンナーレ」は、吉原に影響を受けた芦屋在住の真壁義昌の発案で、「具体」会員であった松谷武判らが企画した国際展であった。特に第2回展では、19カ国から53名もの作家が参加し、滴翠美術館を舞台に大規模な展覧会が実現したという記録は、当時の芦屋の国際的な文化レベルの高さを物語る。

菅野聖子 《母音頌》 1974 年   アクリル、布 芦屋市立美術博物館蔵 (第2回芦屋川国際ビエンナーレ)

さらに、ルナ・ホールを拠点に開催された「ルナ・フェスティバル」や、実業家・植野藤次郎が創設し、「具体」会員の吉田稔郎が運営に関わった「ジャパンエンバ美術コンクール」など、70年代から80年代にかけて、芦屋では「具体」の作家たちが中心的な役割を担う形で、次々と新しい芸術のプラットフォームが生まれていた。これらの活動は、今回の調査で発見された数多くの貴重な資料と共に紹介されており、これまで断片的にしか語られてこなかった芦屋の戦後美術史に、確かな輪郭を与えている。また、幻とされていた「第3回ルナ・フェスティバル」におけるタージ・マハル旅行団の演奏音源が初公開されるなど、学術的な発見も本展の大きな魅力となっている。

第1回エンバ賞美術展   1978 年   Ⓒ吉田稔郎資料棚

これらの事実は、「具体」が単に芦屋で「結成された」というだけでなく、その革新的な精神が、この街の文化的遺伝子として深く刻み込まれ、次世代の芸術活動を触発し続ける原動力となったことを示している。作家たちの価値は、個々の作品の素晴らしさだけでなく、彼らが地域文化に与えた影響の大きさによっても測られるべきであり、本展はその視点を私たちに提供してくれる。

現在の芦屋ルナ・ホール 開館:1970年、設計:坂倉建築研究所 (山崎泰孝、西澤文隆)設計

未来へ継承される「具体」のDNA

本展「具体美術協会と芦屋、その後」は、「具体」という巨大な芸術運動を過去の遺産として陳列するのではなく、その精神が芦屋という地域に生き続け、いかに未来へと繋がっていったかを検証する野心的な試みだ。芦屋市立美術博物館の世界屈指のコレクションを核に、「具体」の18年間の活動を振り返りながら、その解散後、メンバーたちがこの地で仕掛けたビエンナーレや芸術祭の熱気を再発見させる構成は見事である。それは、「人の真似をするな」という吉原治良の言葉が、時代を超えて地域文化の創造的実践として結実した証しに他ならない。この展覧会は、私たちに「具体」の再評価を迫ると同時に、一つの芸術運動が都市の文化をいかに豊かにしうるかという普遍的な問いを投げかけている。

山崎つる子 《作品》 1964年 ビニール塗料、綿布、板 芦屋市立美術博物館蔵  ⒸEstate of Tsuruko Yamazaki, coutesy of LADS Gallery, Osaka

上前智祐《作品》 1958年 油彩、紙、コラージュ 芦屋市立美術博物館蔵 (新しい絵画世界展―アンフォルメルと具体)

芦屋市立美術博物館「具体美術協会と芦屋、その後」展覧会ページ

 

 

 

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兵庫県出身。大学卒業後、広告代理店で各種メディアプロモーション・イベントなどに携わった後、心理カウンセラーとしてロジャーズカウンセリング・アドラー心理学・交流分析のトレーナーを担当、その後神戸市発達障害者支援センターにて3年間カウンセラーとして従事。カウンセリング総件数8000件以上。2010年より、雑誌やWEBサイトでの取材記事執筆などを続ける中でかねてより深い興味をもっていた美術分野のライターとして活動にウェイトをおき、国内外の展覧会やアートフェア、コマーシャルギャラリーでの展示の取材の傍ら、ギャラリーツアーやアートアテンドサービス、講演・セミナーを通じて、より多くの人々がアートの世界に触れられる機会づくりに取り組み、アート関連産業の活性化の一部を担うべく活動。