ダミアン・ジャレ+名和晃平《Mirage [transitory]》
会期:2024年9月27日(金)-2024年10月6日(日)
会場:THEATER 010
(福岡県福岡市博多区住吉 1-4-17)
2024年9月27日から10月6日にかけて、福岡博多の「THEATER 010」で、振付家・ダンサーのダミアン・ジャレ(1976‐)と彫刻家の名和晃平(1975‐)のコラボレーションによるパフォーマンス・アート《Mirage [transitory](ミラージュ[トランジトリー])》が上演された。筆者は、最終日2回目の最終公演を鑑賞した。
実は、1年近く経った今でもまだ本作の余韻が冷めない。筆者の心は、まだあの日見た舞台から抜け出せていない。今でも、胸の中で静かに鳴り響いているあの美しい経験をどのように書き表わせば良いのかうまく言葉を見つけられない。それほど、没入感と陶酔感のある舞台であった。
内容については、既に清水穣[1]、青山新[2]、『美術手帖』編集部[3]、『AXIS web』編集部[4]等よる優れた劇評が出ている。また、本作についてのジャレと名和への『ONBEAT』の藤田博孝[5]による卓越したインタヴュー記事もある。これ以上、筆者が屋上屋を架す必要はないかもしれない。
ただ、筆者は、この当代最高のシアター・ピースの一つに対して日本の美術界の反応はあまりにも鈍いと思っている。それは、2013年にフランス芸術文化勲章シュヴァリエ章、2022年に同オフィシエ章を受章した世界的な振付家とはいえ、ジャレが日本ではまだ知名度がそれほど高くないからかもしれない。また、彫刻家として国際的に評価の高い名和が舞台美術を担当しているとはいえ、専門外の余技と誤解されているからかもしれない。
しかし、事実は正しく見定められなければならない。元々、ジャレは、アントニー・ゴームリーやマリーナ・アブラモヴィッチ等のファイン・アートの巨匠達と舞台を共同制作してきた実績がある。また、名和は、1994年の大学1年生の時に「アートキャンプ白州」に携わって以来、ダンサーの田中泯の活動にアーティストとして多大な影響を受けていると公言している。つまり、二人のコラボ作品は、双方にとって余興では全くなくキャリアの重要な構成要素なのである。
THEATER 010
そのジャレと名和は、これまで約10年にわたり協働を積み重ねてきた。本作は、パフォーマンス作品としては《VESSEL(ヴェッセル)》(2016年)、《Mist(ミスト)》(2021年)、《Planet [wanderer](プラネット[ワンダラー])》(2021年)に続く作品である[6]。今回も、全編を通して水際立った完成度を見せ、かつて誰も見たことのない啓示的で幻想的な舞台が約1時間濃密に展開された。
スタイリッシュで艶めかしい演技を見せてくれたダンサー達は、男女混合で、アメリカ、オランダ、ギリシャ、中国、日本から招聘されている。いずれも、世界の最前線で活躍する9名の実力派である(エミリオス・アラポグル、湯浅永麻、ヴィンソン・フレイリー、三東瑠璃、牧野李砂、リ・カフア、福士宙夢、加賀谷一肇 、モテギミユ)。
また、音楽は、20世紀末以来エレクトロニック・ミュージックの国際シーンを牽引し、SF漫画家松本零士とのコラボレーションも記憶に新しい、元ダフト・パンクのトーマ・バンガルテルによる。さらに、衣装は、服作りに最新のテクノロジーを取り入れ、2022年には宇宙航空研究開発機構(JAXA)と協業したパリコレクションも発表している、森永邦彦率いるANREALAGEが担当している。
そうした構成から、筆者なりに本作の全体的な印象を一言でいえば、「無国籍風の近未来世界とバリのトランスダンスの融合」である。だが、そこにはあらゆる既成のカテゴライズから逃れ、プリミティヴでありながらモダンであるとしか形容できないダンスそのものの精髄がある。
(左)ダミアン・ジャレ (右)名和晃平
現在は、本作をヴァージョンアップさせた新作のシアター・ピース《Mirage》が世界を巡回中である。本年5月にはスイスのジュネーヴ、6月にはドイツのハンブルクで上演され、9月にはスペインのマドリードで公演予定である。
ジャレと名和の舞台作品は、海外では極めて高く評価されている。実際に、第1作《VESSEL》は、2015年7月に大阪で試作が発表され、日本公演として2016年9月に京都、10月に岡山、2017年1月に横浜で上演された後、2018年3月にオランダのパース、2019年4月にベルギーのブリュッセル、イギリスのロンドン、フランスのレンヌ、5月にオランダのアムステルダム、10月にオーストラリアのアデレード、11月に台湾の台北、2020年3月にフランスのパリ、2022年9月にイタリアのトリノ、2023年1月にフランスのミュルーズ、3月にオーストリアのブレゲンツ、7月にスペインのバルセロナに巡回している。
これに対し、日本で舞台芸術としての注目がまだまだ低調なのは、《VESSEL》が東京で公演されなかったことに加え、第2作《Mist》が新型コロナ禍で舞台上演できず映像作品として発表されたことが多少影響しているかもしれない。
また、第3作《Planet [wanderer]》も新型コロナ禍のため日本上演が延期され、先に海外で公演されたことも日本人にとっては残念であった。なお、《Planet [wanderer]》は2021年9月にフランス・パリのシャイヨー国立舞踊劇場で初演され、10月にオランダのアムステルダムとフランスのルーアンで上演されている。その後、2023年10月にベルギーのシャルルロワ、12月にドイツのハンブルク、2024年3月にスイスのジュネーヴ、11月にフランスのレンヌ、12月にベルギーのブルージュ、2025年4月にギリシャのアテネに巡回している。
しかし、遂に今秋11月に、改めて《Planet [wanderer]》が東京芸術劇場とロームシアター京都で日本初上演される。ここで、本作へと至るジャレと名和の共作の歩みをもう一度振り返り、期待の高まる秋への予習としたい[7]。
参考 名和晃平《Foam》2013年
ジャレと名和の出会いは、2013年に遡る。「あいちトリエンナーレ2013」に出品されていた名和の《Foam》に感動したジャレが、名和に直接コンタクトしたのがきっかけという。二人の共同作業は、2年後に本格化する。
元々、名和は、田中泯が彫刻家リチャード・セラや音楽家ジョン・ケイル等とコラボレーションしていることもあり、ダンスを一つのジャンルではなく他のジャンルを自由に取り込める媒体のように思っていた。また、人間の肉体も新陳代謝を繰り返す物質として捉えれば、ダンスと彫刻に連続性を感じていたという。
ただ、当初マテリアルの専門家である名和は、身体表現の専門家であるジャレに対して新しい素材の提案に留まり、振り付けには口を出さずにいた。しかし、やがてダンサーの身体を3Dスキャンした彫刻を制作してからは本格的に肉体を物質として捉えるようになり、ダンサーやステージの造形的演出にも具体的に関わっていくことになる。
そこで、初めて単なる役割分担ではないアーティスト同士の協働作業が始まる。このことについて、ジャレも「偉大なコラボレーションにおいては、自分が知っているものにとどまるのではなく、互いの領域を侵害してこそ出来上がるものがある。その意味で、我々ふたりはそれぞれの専門に深く敬意を払いつつも、ときに相手の領土に踏み込むことも重要だと考えました」と述べている[8]。
今では、ジャレと名和はどこまでがそれぞれの担当なのかすぐには分からないほど息の合ったコンビネーションを見せている。元々、アーティストとして以前に人間としても相性が良かったのであろう。二つの類稀れな最高峰の才能が互いにリスペクトしつつ創造力を引き出し合っていることは、一目瞭然である。
彫刻は凍れるダンスであり、ダンスは躍動する彫刻である。また、彫刻は持続的でありダンスは刹那的であるが、どちらも永遠性を志向している。その共通言語が、形体と空間の関係である。そこに運動や質感や色彩や音響が加わると、ヴァリエーションは無限に広がる。
世界は、物体・液体・気体でできている。物理的な実体だけではなく、心理的な心象まで含めて立体造形といって良いならば、多様なマテリアルと身体表現を示す舞台は一つの時間性を具えた彫刻となる。
大自然の恵みにより肉体が培われる以上、ダンスと世界は切り離せない。循環する水の化身であり、重力に逆らいつつ進化した生命を、いかに表現するか。従来の伝統に甘んじず、いかに表現にアクチュアリティを盛り込めるか。異分野との境界面でこそ、真の相互理解と予期せぬクリエイティヴィティが発揮される。そうした協働作業のフィードバックの一つとして、毎回名和は舞台作品と併せて単体の造形作品も発表している。
参考 ダミアン・ジャレ+名和晃平《VESSEL》(部分)2016年
しかし、母語が異なるにも関わらずこれだけ長年にわたり共同制作を続けるためには、ただセンスが似ているだけではなく、思想的に通じ合うところもあるはずである。おそらく、それは生命尊重の精神であり芸術賛歌の理念であろう。
つまり、山積する現代社会の問題を解決するためには、宇宙的な視点で既成の概念や制度を脱構築しなければならない。その様々な限界を超えるためには、人には原初的な生命力と超越的な意識変容が必要である。そこに、アートは人々の精神を鼓舞し連帯させることで貢献できるという信念が二人には通底しているように思われる。その点で、ジャレと名和のジャンルを超えるコラボレーションには必然性がある。
自然の源泉に回帰し、生身の裸体と化す。あるいは、惑星レベルで有機的な要素に還元される。それと同時に、その肉体には時代の趨勢により機械化や情報化も加味される。その上で、生命の躍動と変容を通じて個々の差異や分断は統合され、バタイユのいう「連続性」を回復するだろう。
そこに見出されるのは、ある意味で古典的な「生と死」のドラマトゥルギーである。言い換えれば、人間はどのように生きるべきかという問いといっても良い。混迷の時代、根源に立ち返って自他を時代の深奥から捉え直すこと。それは、「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」という、ゴーギャンの問いの遠いリフレインでもある。
時空が融解すると、世界は過去にも未来にも異界にも見える。興味深いのは、時折舞台には「彼岸」がデジャ・ヴュのように透かし見えることである。おそらく、宇宙意識は彼岸意識でもあるのだろう。そうしたイデア界の光輝が此岸の苦悩と歓喜を照らし出す瞬間は、形容できないほど美しい。肉体は魂となり、世界は再聖化される。筆者が語るべき言葉を失ったのは、正にその美しさのために他ならない。
参考 ダミアン・ジャレ+名和晃平《Mist》(部分)2021年
それは、聖性を剥奪された時代における芸術を通じた「神話」の再生といっても良い。
事実、ジャレ自身、「三部作は『古事記』に描かれている黄泉(よみ)、高天原(たかまがはら)、葦原中国(あしはらのなかつくに)という三つの世界に照応しています」と証言している[9]。つまり、日本神話に関連して、《VESSEL》は「死者の世界」、《Mist》は「神々の世界」、《Planet [wanderer]」》は「現世」に対応している。そこでは、流転する魂の「死と再生」の物語が演じられている。言い換えれば、彼岸から此岸を捉え直すことで、より全的(ホーリスティック)な死生観がそこに表象されている。
実際に、ジャレは親日家であり、日本の芸術はもちろん古神道や修験道等の霊性文化にも造詣が深い。また、名和も、神仏の聖像や宗教建築に関心があり、日本人の感性の基盤としてのアニミズムに対する思い入れも強い。ある意味で、正に二人は舞台芸術を通じて現代に「神話」を再生するために出会うべくして出会ったといえる[10]。
ただし、ジャレのコレオグラフィも名和のセノグラフィも、常に細部に至るまで単に感覚だけではなく哲学的ともいえる思索から出発している。そのため、タイトルはもちろん、演出にも常に多様な含意がある。この三部作も『古事記』の内容を直接なぞるものではない以上、その神話性は普遍的な意味であり、必ずしも日本神話や他の既成神話に限定されるものではない。
むしろ、その神話性は物語構造そのものにあるといって良い。すなわち、ジャレと名和の舞台作品は、『古事記』がそうであるように、いずれも明確に理路の通った筋を持たず、言わば印象的なシーンとシーンの繋がりでできている。それは、左脳的な論理ではなく右脳的な直観にこそ基づいている。だからこそ、そこには常に新しい発見と多義性が生まれ、神話的に同時代の集合的無意識の結節点となりうるのである(同じことは、『となりのトトロ』以降の宮崎駿の映画作品にもいえる)。
ジャレと名和は、共に2011年の東日本大震災を国内で経験している。また、《VESSEL》のフランス・パリでの最終公演は新型コロナ禍のために中止され、《Mist》と《Planet [wanderer]」》は新型コロナ禍の最中に制作されている。そのため、ジャレと名和はこの三部作にこの二つの大災害の影響があることを否定していない。もちろん、芸術作品の全てを時代状況の産物と見ることは慎まなければならない。それでも、これらの二人の三部作は、具体的なリアリティを反映した神話的作品であるからこそ、現在地球規模で天災と人災の頻発する世界中の人達の心に強く訴える力を持っている。
参考 ダミアン・ジャレ+名和晃平《Planet [wanderer]》(部分)2021年
失われた神話的世界観の再構築自体は、この三部作で一応の完成を見ている。その上で、その続編である本作《Mirage [transitory]》は、筆者にはより深刻化する時代の混迷に応答して微かでも前向きな希望を提示しようとする試みに思える。
冒頭、客席の背後からダンサーが現われ通路を通って舞台に上がる。眼前に、一人また一人とダンサーが登場し、互いに行き交い、時々急に姿勢を止めて、また動き出す。しかし、相互に触れそうで決して触れ合わない。まるで、それぞれが身にまとった目に見えぬ脅威を避けるように。
やがて、人々は手を取り合い、軟体動物のように、節足動物のように、工業機械のように激しく身を震わせていく。躍動の中で、性差が消え、個が集団へと溶け合う。まるで、孤立に対する連帯を回復させるように。
しかし、やはり人々は離散する。立ち込める白煙の中、なおも人々はもがき彷徨い続ける。やがて、一組また一組と裸身のペアが生まれ、それぞれ天から注がれた光の粉に包まれていく。再び、人々は集まり、体を寄せ合い、複雑に組み合わさっていく。まるで、災厄に打ちのめされてもなお生活を再建しようとするように。
突然、場面は暗転する。何か、一人の女性が禁断の箱を開けたようだ。その途端、彼女は、海底に、地の底に、奈落の底に、もの凄いスピードで引きずり込まれていく。誰にもどうすることもできない、非力な墜落。切迫する衝迫。それでも、自分も一緒に行こう、落ちるところまで落ちていこうと、心が囁く。超高速の奇妙な浮遊。無言の空白。一体、私達はどこに連れていかれるのだろう?
突如、背後に巨大なトーテムポールが立ち現われる。揺らめき、鳴動する、生命力そのものの象徴。その前で、佇む一人の男性が一人の女性を後ろから優しく抱き締める。そして、穏やかに歌い出す。何の歌を? 明日への希望の歌を。
言葉にすれば何もかも零れ落ちるが、敢えて言葉にすれば、その時筆者はこのような感想を抱いていた。どのような解釈も許容する本作だが、一つ強く感じたのは、最後の肉声による生歌を通じて、舞台上の匿名の即物的な存在が血の通った温かみのある人間へと回帰したように思われたことである。
参考 ダミアン・ジャレ+名和晃平《Mirage [transitory]》(部分)2024年
なお、本作は、ビザの関係等でダンサーの到着が遅れ稽古期間が極めて短かかった。それにもかかわらず、わずか4週間(最後に合流したダンサーに至っては2週間)でこの精緻で複雑な振り付けを成し遂げたところに、コレオグラファーとしてのジャレの敏腕さがうかがえる。
また、セノグラファーとしての名和について言えば、サイトスペシフィックと言えるほど劇場の形状や土地の来歴に鋭敏である。本作のメインヴィジュアルにも使われている、ストロボライトの点滅により水泡がハイスピードで渦巻き上昇していくように見えるシーンは、螺旋状に旋回するTHEATER 010の外観を反復している。また、天井の高い縦長の舞台空間を生かして、終盤のクライマックスで6人のダンサーが垂直に高く連なって動く演出は、博多祇園山笠の聳え立つ山車が体現する祝祭のエネルギーが発想源の一つであるという。
いずれにしても、THEATER 010はダンサーと観客の距離がとても近く、本作では観客席にせり出した舞台で踊るダンサーの体温や息遣いまで伝わってくるように感じられた。それは、イマーシヴ・シアター(没入型劇場)という名称の通り、夢のように美しい恍惚とする時間であった。遠距離にも関わらず、東京から新幹線で何度も公演に通っていた熱狂的なファンがいたこともうなずける。だからこそ惜しむらくは、日本での本作の上演はこの福岡でのわずか8日間12回だけが全てで、現在再演の予定は全くないことである。
現在世界を巡回中の《Mirage》は、海外の大型劇場に合わせてダンサーの人数や演出が変えられており、今のところ本作《Mirage[transitory]》の形での再演予定はないようだ。しかし、本作をTHEATER 010で鑑賞した人ならば誰でも同意してくれるはずだが、それは筆者には惜しんで余りある損失であるように思われる。
現在、THEATER 010は、リニューアルに伴う改装工事のため本年6月28日に一時閉店している。無理を承知で言えば、ぜひ今秋の《Planet [wanderer]》の日本初上演を受けて、THEATER 010のリニューアル・オープン時には《Mirage [transitory]》の再公演を強く望むものである。
[註]
[2] 青山新|ダミアン・ジャレ × 名和晃平《MIRAGE [transitory]》(前編) – artscape / 青山新|ダミアン・ジャレ × 名和晃平《MIRAGE [transitory]》(後編) – artscape
[3] ダミアン・ジャレと名和晃平が《MIRAGE [transitory]》で見せた新展開|美術手帖
[4] 振付家 ダミアン・ジャレと、彫刻家 名和晃平によるMIRAGE[transitory](ミラージュ[トランジトリー])、福岡で初演 | AXIS Web
[6] その他、ジャレと名和は、2021年4月から2022年10月にかけて東京銀座のGINZA SIX で、中央吹き抜けのインスタレーションとARによるダンスを融合した《Metamorphosis Garden》を手掛けている。
参考 ダミアン・ジャレ+名和晃平《Metamorphosis Garden》(部分)2021年
[7] 三部作の詳細については、次の書籍を参照。ダミアン・ジャレ+名和晃平『VESSEL / Mist / Planet [wanderer]』美術出版社、2022年。
[8] REALKYOTO – CULTURAL SEARCH ENGINE » インタビュー:ダミアン・ジャレ(振付家・ダンサー)/名和晃平(彫刻家)「生と死のパフォーマンス《VESSEL》をめぐって」
[9] REALKYOTO – CULTURAL SEARCH ENGINE » 対談:ダミアン・ジャレ × 名和晃平 ——ダンス・彫刻・身体
[10] ダミアン・ジャレ+名和晃平『VESSEL』世界初演文:小崎哲哉
https://critique.aicajapan.com/11609
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