変り続ける写真というイメージを追いかける
「Temporary Contemporary Photography」
会期:2024年6月1日(土) ~2024年6月22日(土)
会場:YOD Gallery
「Temporary Contemporary Photography」と題された展覧会が、大阪市北区西天満のYOD Galleryで開催されている。企画したのは勝又公仁彦。出品作家は、勝又公仁彦、鈴木崇、田中和人、多和田有希であり、京都を拠点に活動し、写真というメディウム自体を問うアーティストという点で共通点がある。今回の展覧会は、今日における写真表現を考えるというだけではなく、写真の起源にまで遡行している点が特徴的だ。
2024年は写真誕生から185年となる。といっても、1839年にルイ・ジャック・マンデ・ダゲールの開発した「ダゲレオタイプ」を公式の写真の発明とするなら、ということであって、光を化学的な方法で像にするということで言えば、ジョゼフ・ニセフォール・ニエプスが世界最初に実現したとされ、1824年頃のことになるので、今年で約200年ということになる。
しかしその間、写真は耐えまない進化を繰り返し、写真というメディウムの特性を捉えたかと思うと、逃げ去っていく。まさに写真こそが「逃げ去るイメージ」(アンリ・カルティエ=ブレッソン)と言ってもよい。1835年にはフォックス・トルボットによって、複製可能なネガ・ポジ法による「カロタイプ」が開発され、1904年にはリュミエール兄弟によって最初のカラー乾板「オートクローム」が開発された。デジタル化以降の進化の速度は更に速い。
写真はその機械の眼によって、人間には認識できなかった「写真的現実」を写し出す。それがあまりにも“リアル”だから、人間の眼ではく、機械の眼こそが現実なのではないかと、倒錯してきたのが実態だろう。そして、それが人間の記憶のように不確かなものではなく、光によって物理的に刻まれた像であるからこそ、「それはかつてあった」(ロラン・バルト)と形容されたのだ。しかしご存知のように今日の写真は、AIの登場もあって「それはかつてあった」とは限らない。「写真とは何か?」と問うある種のモダニズム的な姿勢は、絶え間なく分裂していくことでもある。
夜の長時間露光や多重露光による写真で知られる勝又公仁彦は、さまざまな手法を用いて、写真とは何かを問い続けているアーティストでもある。しかし、それは表層的なレベルに留まらない。自身の母方の叔父が戦ったという硫黄島をモチーフに、現在も続く政府による島の管理状況や、自衛官であった父親と実家周辺で開催される自衛隊の実弾演習などを関連づけた作品「硫黄島へ」や、長い闘病生活の末に自害した実妹が残した家族写真を巡る映像インスタレーションなど、写真というメディウムをその形式だけではなく、個人史や社会史にまで広げて表現している。
今回、勝又が展示した作品は、建物のコーナーを撮影した「Right Angle」シリーズを展開し、プリズムを積み重ねて、ライトを当てて回転させたり、ギャラリーのコーナーに鏡を巡らせたりして、光が当たる角度や鑑賞者の見る角度によって、さまざまな色面が鑑賞者を含めて回りの物体に投影されるようにしている。また、もう一方の拡張として「Right Angle」によって生成された幾何学的な色面を、ペインティングによって模写する作品を壁面に展示している。さらに、プリズムを撮影した写真を大型のプリンターで出力して上から垂らし、さらに間には、透過フィルムに出力した作品が挟み込まれている。それらによって、光と物の境目が、絶えず攪乱されるという状態になる。
写真史の話を始めにしたが、光を化学的に定着することで写真が誕生する以前から、カメラ・オブスクラのように、鏡やレンズによる光学機器は、多くの画家によって使用されてきた。フェルメールがカメラ・オブスクラを使用していたことは多くの人も知っているだろう。デイヴィット・ホックニーによると1430年頃まで光学機器の使用は遡れると指摘しており、広く解釈すれば、近代の美術史はほとんど写真史と言っても過言ではない。
フェルメールがオランダで絵画を描いている頃、北海・ドーバー海峡を挟んだイギリスでは、ニュートンは、同じくガラスでできたプリズムで実験を行っていた。そして、太陽光(白色光)が当たる角度(屈折率)によって分光され、スペクトル(色の帯)が生まれることを発見した。さらに、分光したスペクトルを再び集めることによって、また白色光に戻る実験を行った。これは光学においても、色彩学においても革命的な発見であった。というのも、アリストテレス以来、色は白と黒の間に生まれると考えられてきたからだ。このニュートンの発見があるから、後にフィルム写真、デジタル写真、印刷、モニターといった色再現が可能になった。
なぜニュートンがプリズムの実験をしていたか? 実はガリレオ以来、望遠鏡は進化していったが、レンズによって生まれる色(色収差)が観測の邪魔になっていた。それを解消するために、プリズムの観察をしていたのだ。ニュートンはレンズを使う以上、完全な色収差を解消することはできないと判断し、レンズを重ねない反射望遠鏡を発明したのだった(接眼レンズにだけ使用する)。もちろんレンズを使用するカメラも色収差は今日においても課題の一つで完全な解決策はない。
つまり、勝又は化学的な像の定着以前のカメラ、レンズに遡行し、写真の起源を問い直そうとしているともいえる。それはまたギャラリーのような「ホワイトキューブ」への自己言及でもある。ユニバーサルな空間であるという、形式上のルールを持つギャラリーには、さまざまな作品が入れ替わり立ち代わり展示される。それは時間差によって変わるある種のプリズムといってもいいだろう。
そこに発生している光学的な色、プリントによる色、ペイントによる色、透過する色といった複数の色は同じように見えるがそうではない。実物のプリズムと写真のプリズムは、同じものだと認識できてしまうが、混色の原理からいったら真逆のものになっている。人間は、実体と再現を同じものだと認識できるから世界を把握できるし、その逆に、多くの錯覚を起こしているということを証明しているともいえよう。それは写真がどのように変化しても普遍的な原理の一つだろう。
同じく田中和人もまた、写真とは何か、さまざまな手法によって表現しているアーティストであるといえるが、アプローチは勝又とは異なる。田中は、プリントした写真に陰影をつけて再撮影したり、金色のフィルターを付けて撮影したり、ドローイングをしたガラス越しに撮影したり、イメージができるさまざまなプロセスに物理的に介入することで、デジタル加工とは異なる、複数の空間が凝縮されたような写真を制作している。
今回、出品されたシリーズ「Picture(s)」は、上下に分けたカンヴァスの半分にアクリル絵具で描いた抽象的な絵(Picture)を描き、もう半分を自身でカラー現像した単色の印画紙(フォトグラム)を切り貼りして、アクリル絵具の絵に近づける作業を繰り返している。
ここにおいてレンズが入る余地はない。言わば勝又とは全く真逆のレンズのない写真的行為といってよいだろう。記号論的に言えば、写真は、物理的な対象を結ぶ「インデックス(指標)」と言われるが、アクリルの絵と、印画紙による切り絵には物理的な関係は一切ない。しかも、アクリルの絵に近づけるため、印画紙は手で切られ、折られたり、丸められたりしているため、半立体の状態にある。カメラが3次元像を2次元像に変換する装置であるならば、2次元像が3次元像に変換されているのだ。しかもそれは田中のイメージと手業によるものである。
そして、抽象的ではあるが、それは極めて現実的な物質による“具体的”なものであることも重要だろう。わたしたちは2次元のイリュージョンではなく、3次元の異なる物質のコンポジションが似ていることはわかる。しかし同時に絵具と印画紙のマテリアルは全く異なる。上下に分かれた構図につくられた共通のコンポジション、異なるマテリアルという、「似ている/似ていない」ことを同時に見せられることで、さらに相互の関係が構造的に浮かび上がるのである。
多和田有希は、すでに撮影された写真をメディウムにしたアーティストである。今日において写真は、すでに一つの現実として、人々の記憶や社会の記憶をつかさどっている。写真がなければ思い出せないことも多く、写真があるから記憶が強化されたり、共有されたりして、より公共的な記憶—歴史になることもある。
多和田の場合は、写真を使って新たな記憶をつくりだすといってもいいかもしれない。本展に出品された作品は、早逝し出会うことがなかったパートナーの母親の写真と蘭を燃やし、そのレイヤーを編むようにして顔の像にした作品や、陶芸家の福本双紅とコラボレーションし、二人の顔の写真を組み合せた半・架空の人物を陶磁器に転写して焼いている作品、同じく福本双紅と共同制作によるもので、ワークショップ参加者に無言で自身の耳を粘土でつくってもらい、誰にも話したことのない鮮烈な夢をその耳に告白し、焼き付けられた作品、金色の写真用紙に星の写真を出力し、星と星を結ぶように折り目をつけていった作品が並ぶ。
多和田は、現実では撮れない、すでに過ぎ去ってしまったイメージを追いかけ、召喚し、現実の物質にして現前させている。その場合、「それはかつてあった」ものではなく、かつてはなかったが、「いまここにある」ものになる。それは生成AIによって今後無数に生まれる膨大な写真を学習した創造物に近いかもしれないが、物質的な次元に変換するアプローチが重要である。
本来なかったはずのイメージ、本来触れないはずのイメージが、さまざまな物質として現れ、触れることができる。そこに伴う、死んだ人間を蘇らせる、友人と一体化する、届かない星に触る、夢を撮影する、といった不可能性やタブーを犯しているような、写真の領域を侵犯しているような感覚を抱かせることが、むしろ、写真という輪郭を浮かび上がらせているのではないか。
鈴木崇は、写真によって今まで見えなかった知覚や認識を与える作品を制作している。写真によって生まれた「写真的現実」はすでに200年の歴史の中ですでに、人々の認識を覆っており、ある種の視覚的言語として機能している。だから、たいていの写真は、それがどのようなもの写しているか認識することができる。
そこに機械的な制限や特性があるので、モノクロ写真やフィルム写真、デジタル写真、スマートフォンがつくりだすイメージの中に、それぞれの時代性や地域性まで認識することができる。写真は決して1枚だけでは成立してないからだ。
ただし、顕微鏡写真や魚眼レンズにように、人間の知覚を明らかに超えたものは、機械の眼として分けて認識されている。しかし、人間の視野に近くても、機械の眼であることは変らない。それが生み出す新たな知覚や認識にすっかり慣れてしまっただけなのだ。
鈴木は、写真を使ってそのことを思い出させる。見慣れた街やペットボトル、スポンジ、画像検索の画面、背中、紙幣の肖像といったありふれた日常的なものごとを撮影し、再構築することで、異なる知覚や認識を生成させている。
今回、鈴木が出品した作品は、あり触れた日常といったものの異常性を問うものといってよいだろう。廃墟に大量の髑髏が積み上げられた二点組の作品は「Trophies of Righteousness(正しさの戦利品)」というタイトルが付けられている。それらは髑髏を撮影して反転させ、コピー転写をして、ラシャ紙に一つ一つ積み上げて、組み立られたという。
これはもちろん、日々ニュースで流れてくる戦争の犠牲者の隠喩だろう。ロシアのウクライナ侵攻から2年以上、パレスチナ・イスラエル紛争から8か月間経つ。誰しもがその異常事態に気付きつつも日常を暮らしている。西洋画においては、髑髏は静物画の一つであるヴァニタス(人生のむなしさを表す寓意)の主要なモチーフとして描かれてきた。しかし、これほど髑髏が積まれることはない。「Righteousness」とは宗教的な正義の意味合いがあるので、信仰の結果、多くの人々が死ぬことに対する風刺であり、そのような行為に対するプロテスト的な表現といっていいだろう。
また、1つの髑髏を転写した作品は、「See no evil」(嫌な事は見ない)とタイトルが付けられおり、その悪業を見て見ぬふりをするわたしたちの社会自体に対する、死者からの警告といってもよいかもしれない。天板のアクリルに塗られた赤い血のような影が、上からの光で額の中にうつる《Lightgraph- bloodshed》も光、つまり神の威光のもとに、血が流されることの隠喩となっている。
一見、今までの鈴木のシリーズからは飛躍しているように見えるが、写真や絵画の伝統をふまえ、さらに、写真を成立させる物理的な「光」と、精神的な「光」を組み合わせ、さらに現在の状況に対して、一人の表現者として向き合った作品といっていいだろう。
4人の作家は、それぞれ方向性は違うが、写真というメディウムに向き合い、時代精神を表した表現をしている。ただし、写真の進化の速度は速い。もう10年したら全く違う写真の技術が生まれているかもしれない。しかし、そうなったときも4人の作家は写真を追いかけ、新たな「Temporary Contemporary Photography」をつくっているだろう。