ミュゼオロジーからミュージアム・スタディーズへ
本書は、著者がこれまでに出版した、海外の動向を扱う『美術館はどこへ?』と、国内の動向を扱う『美術館の政治学』の二冊を一冊に統合しつつ、最新の情報を大幅に盛り込んだアップデート版である。
本書の書名を見て、学芸員課程でやむなく買わされた地味で退屈な「ミュゼオロジー(美術館学・博物館学)」の教科書を連想してしまった方々には声を大にして伝えたい。著者自身が言うように、本書はそれとは異なる、近年高山宏や松宮秀治らにより開拓された、知的にスリリングで刺激的な「ミユージアム・スタディーズ」の最前線の一冊である。
私見では、ここで言う「ミュゼオロジー」と「ミュージアム・スタディーズ」の分節点は、ミュージアムという制度を自明で固定的なものと捉えるかどうかである。つまり、前者が美術館や博物館についての既存の法規を前提として作品や資料をどのように収集保管・調査研究・展示教育していくかを実務的に論じるものだとすれば、本書を含む後者はミュージアムの起源に歴史的・思想的に迫り、その読み解いた可能性の中心から今後のミュージアムの多様な「使命」を学術的に問うていくものである。
本書は、教科書と銘打たれているだけに、前者の「ミュゼオロジー」の部分も類書よりはるかに詳しく分かりやすいが、その「ミュージアム・スタディーズ」としての特色は、過去の詳細な考察と現在の目配りの良い調査を踏まえた、未来への的確な提言にある。それが読んでいて抜群に面白いのは、著者が元々現代美術の評論から出発し、各章ごとに扱う問題について極めて本質的でブリリアントな洞察を閃かせているからである。
本書で論じられる対象は、ミュージアムの中でも特に美術館である。著者の分析によれば、前著から約一五年の間に美術館を巡る状況は様々に変化した。まず、資本主義のグローバル化により、海外の有名美術館が積極的に分館を開館したり海外展開したりしている。また、二〇二〇年以来の新型コロナ禍により、先端的なメディア・アートのみならず、デジタル化を想定していなかった古風な絵画や彫刻のオンライン上での展示鑑賞も進んでいる。さらに、展覧会の対象も、絵画や彫刻等の純粋美術のみならず、デザインやファッション等の実用芸術や、マンガ・アニメ・ゲーム等のサブカルチャーにも拡大している。
海外については、知の殿堂(ムセイオン)から珍奇陳列室(キヤビネツト)を経てミュージアムが成立するまでに何が継承されて何が変容したのか。文化的向上と国際的覇権のために、フランス(ルーヴル美術館、オルセー美術館、ポンピドゥー文化センター)とアメリカ(ニューヨーク近代美術館)はどのような収集・展覧会・施設戦略を展開してきたのか。それらと、世界初のデザイン・ミュージアムであるイギリスのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館はどのように影響し合っているのか等が論じられる。
一方、国内については、ミュージアムの最初の導入例として町田久成が推進した官立の東京国立博物館が事例研究されると共に、民間から生まれた高橋由一の展画閣構想が紹介される。また、柳宗悦が設立した日本民藝館が詳述されると共に、現在の急務として国際水準のデザイン・ミュージアムの創設が説かれる。さらに、日本独特の百貨店美術展の歴史が語られ、最先端の企業美術館の系譜としてセゾン美術館から森美術館への流れも説明される。そして、仮設的な万国博覧会と恒常的なミュージアムの不可分の関係が詳論されると共に、両者には今日的課題として民主主義・文化多元主義や持続可能型社会の実現への貢献が求められていることが解説される(大阪万博から大阪・関西万博へ、アイヌ民族博物館、ICOM博物館定義の再考等)。
本書を通して分かることは、間違いなく歴史と思想と芸術はミュージアムを一つの結節点として形成されてきた事実である。なお、本書の博覧強記ぶりは、教科書のみならず事典としても重宝するように私には感じられたことを付記しておこう。
(あきまる・ともき=上智大学グリーフケア研究所特別研究員・美学美術史)
★くれさわ・たけみ=東京工科大学デザイン学部教授・現代美術研究・サブカルチャー論・美術館研究。美術評論家。著書に『美術館の政治学』『オリンピックと万博』『拡張するキュレーション』など。一九六六年生。