コロナ禍でも変化し続ける観察と制作のドキュメント
新型コロナウイルスが世界的なパンデミックになってから、すでに3年が経とうとしている。約100年前に起きたパンデミック、スペイン風邪は約3年で終息したので、今回も3年程度で終息すると考えられていた。しかし、日本は2020年以降、1日の感染者数が最大になっており、収まる気配はない。驚異的なスピードで開発されたワクチンを回避し、変異を続けている。完全に終息することはなく、否応なくウィズコロナになっていく、というのが、多くの人の見立てだろう。これまでの期間だけでも、私たちの生活を大きく変えているのは間違いない。
本書は、アーティスト、デイヴィッド・ホックニーとマーティン・ゲイフォードによる往復書簡や対話をもとにしたもので、2人の著書『絵画の歴史』(日本語版、青幻舎、2017年)の続編にあたるものだ。ただし、前回と大きく違うのは、ゲイフォードによって、ホックニーとのやりとりが再構成されており、絵画論というよりも、ホックニー論となっていることだろう。また、その途中で対面での会話がなくなっている。お察しの通り、本書の制作期間中に、新型コロナウイルスが流行し始め、移動が難しくなったからだ。とはいえ、2人の対話は途切れない。「FaceTime」を使って、議論は続いていく。
また、これは初めからの意図だろうが、メールによる2人の往復書簡やそこに添付されているというホックニーの最新のiPadによるドローイングなどが多く含まれ、前著のように、テーマ中心ではなく、日常的な2人のコミュニケーションが主体となっているのも特徴だ。とはいえ、その日常的なコミュニケーションは、ホックニーの制作の実態をより詳しく伝えるものであり、『絵画の歴史』に見られた驚異的な博学と、貪欲な知識欲が、制作に反映されていく様子もスリリングだ。
ホックニーは、美術史家から知識を得ることもあれば、逆に、今までにない知識を美術史家に与えることもある。すでに80歳を超えるホックニーは、戦後のアート・シーンのすべてを見てきており、彼らの理論が一過性のものだったこともわかっている。例えば、活動時期が重なっている戦後、アメリカの抽象表現主義の理論的支柱となった美術史家、クレメント・グリーンバーグについてはこう述べている。
「おもしろい男だったが、ばかげた考えも持っていた。たとえば、もはや肖像画を描くことは不可能だと言ったんです。すべてを写真に委ねようとしたのさ!美術史におけるフランシス・フクヤマのような存在で、絵画の歴史はカラーフィールド・ペインティングの抽象主義で終着地に達したとね。ケネス・ノーランドとジュール・オリツキーが重要なことをしていると考えていたんだ。私にはまったく理解できなかった」(p.172)
ホックニーの言うように、肖像画も具象画も写生も終わらなかった。グリーンバーグのようなモダニズム的な進歩史観の方が無効化したといえるだろう。しかし、ホックニーは古典主義者ではない。モネやゴッホ、ピカソ、マティスといった先行世代の技法を駆使し、さらに、日本や中国、ロシアなど技法を発見し、取り入れていく。さらに、写真やファックスなど新しい道具が出れば試し、現在は、「iPadドローイング」を多数発表している。まさに古今東西の知識や道具を貪欲に吸収し、発展させている。
また、インターネットやスマートフォンの登場で均一化された世界に見えるが、光や気候の変化を求めて、アトリエを変えていっている。それは、今日、アーティスト・イン・レジデンスや芸術祭において短期滞在し、場所の調査と地域コミュニティの協働によって、成果物つくるような振る舞いとは根本的に異なる。もっと長い時間そこに住み、光や季節の変化を、注意深く観察することだ。それはむしろ、低炭素社会に向いているといえよう。
本書は、2018年の秋、ノルマンディーから帰国したホックニーがゲイフォードに向けて、2019年の《春の到来》をノルマンディーで描くことを知らせるメールから始まっている。そのきっかけは、ノルマンディーに旅行したとき、ホテルでと泊まって見た夕日がゴッホの絵のようだったからだという。オランダ生まれのゴッホがパリを経て、南仏アルルの光によって絵が根本的に変わったように、写生をする画家にとって制作場所の変化は、作品を変える決定的な要素だろう。特に、印象派、新印象派、ポスト印象派の南仏、南方への移動は、色彩を鮮やかにし、画風だけではなく、感覚も変容していった。
その後、抽象表現主義やカラーフィールド・ペインティングは、光や気候との関係で語られることはなく、フォーマリズムや平面性という観点で評価されるようになったが、あまりに観念的であるといえよう。ホックニーは60年代後半にイギリスからロサンゼルスに移住し、代表作である鮮やかなプールサイドの作品を描いたが、移動が色彩に決定的な影響を与えることを体現している。
移動が決定的な要素を与えるのは、写真家にとってももちろんそうだが、線遠近法ではない多視点的であったり、雨であったり、月のように暗闇の中で光源が変化する様子は捉えることはできない。そして、描くための道具として、iPadが優れていることを指摘している。それは、印象派が、絵具のチューブの発明によって、屋外で素早くことができるようになったことと比較できる。
「屋外で描いていると、何もかもが絶えず変わっていくことに気づく-絶えずだ。そして、雲の動きがどんなに遠いかわかる。だからセザンヌは曇った日の方が好きだったんた-彼自分でそう言ったんだよ-日の光があまり変化しないからだ。モネは、描いているとき、風景の中の色合いをすべて描こうとしただろね-そうせずにいられなかっただろう。だが私はiPadを使っているから、光をすぐにとらえられる。これまで、こんなに速く描ける画材を使ったことはなかったと思うよ」(p.213)
ホックニーが述べているのは、美術史的な洞察もあるが、もっと経験的なものだ。実際、実践していないとわからない発見に満ちている。だから描く実践をしていない美術史家の観念的な解釈に抵抗を覚えるのだろう。「若い」長寿に関する専門家に対しても、同じ視線を向ける。そして、80歳を超えた今、モネやピカソ、葛飾北斎といった老境で描いた画家たちにがどのように制作に向かったか理解を深めている。
「晩年のピカソはすばらしいよ!年を重ねるごとに、前の年よりももっと気づくようになる。今の私がそうだ。花などを見るとき、すんなり貼りこめて、もっとじっくり見られるようになる」
さらに、コロナ禍の2020年4月、大規模なロックダウンが実施されるなか、iPadドローイングをBBCで公開し、『タイムズ』や『ガーディアン』紙など、いくつかの紙面で1面を飾ったという。そこで、インタビューに答え「芸術の源は愛なのです。私は人生を愛しています」(p.116)と語っている。
新型コロナウイルスのパンデミック、ロシアのウクライナへの軍事侵攻といった厳しい外部環境があり、ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)が声高に叫ばれ、複雑になるアート(業界)の中で、絵を描くことがいかに快楽や喜びをもたらすのか、人生を豊かにするのか改めて呼び起こしている。
「来年の3月、4月、5月のあいだは誰にも来てほしくないんだ。その頃が最も忙しくなる時期だからね。次の春は桜の木に専念しようかと考えている。桜の木だけを毎日描くんだ、ちょっとした変化が始まったら、たぶん毎日描けるだろうね」(p.262)
ロックダウンのために、ホックニーは絵を描くことに集中することができた。すべてを受け入れ創作の力に変えている。
「自然界では、前にも言ったように、すべては流転する。本当に、あらゆるものは移りかわっていくんだ、ロックダウン以外はね。そして、私はここですべてを絵にできる、特にさらさらと流れる川を描け、今なら、どうやって水を描けばいいかわかる」(p.269)
まさに、仏教的な世界観にようにも思える。変化すること、老いによって得る境地を受け入れること。このような人生観もまたホックニーの観察によるものであり、絵の魅力にもなっているだろう。ホックニーの作品や話題にのぼっている多数の図版だけではなく、人生について深い示唆が得られるのも本書の魅力だ。