造船の街からアートの街へ
千島土地コレクション「TIDE – 潮流が形になるとき – 」
会期:2022年7月6日(水)~11日(月)
会場:kagoo
SSK Art Fair Collaborated with 山中suplex 「の、あとのふね」
会期:2022年7月8日(金)~10日(日)
会場:Super Studio Kitakagaya(SSK)
大阪の北加賀屋がアートの街として認知されたのはいつ頃からだろか?少なくとも10年代になると、かなりの影響を持っていたと思う。今では「西の千島土地、東の寺田倉庫」と言っても過言ではない東西を代表するアートに関するメセナ企業であろう。そのはじまりは、2004年、名村造船所大阪工場跡地で開催された「NAMURA ART MEETING’04-’34」に遡る。造船所跡地の風景に刺激を受けた多くのアート関係者が集まり、多くの対話やイベントが行われた画期的なイベントで、現在も不定期的に開催されている。
大阪市住之江区、地下鉄北加賀屋駅から西の木津川河口域は、江戸時代に新田開発の推奨によって埋め立てられた場所で、明治時代に唐物商(欧米品輸入商)を営んでいた初代芝川又右衛門が千島・千歳・加賀屋の三新田を購入した。千島とは、大正区にあたり、名村造船所大阪工場跡地を所有している千島土地株式会社の名前は、そこに由来している。
もともと大正区は、大阪の近代化、重工業化の主要な生産地で、渋沢栄一と藤田伝三郎を中心に、1882(明治15)年、大正区三軒家村に日本最初の蒸気力紡績工場を擁する、大阪紡績会社が設立された。渋沢は綿糸の輸入額が莫大であったために、それを解消するべく、山辺丈夫に個人資産でイギリスの綿布技術を学ばせた。ロンドン大学で法律を学んでいた山辺は、ロンドン大学を退学、キングス・カレッジに入学して機械工学を学んだ後、世界の随一の紡績業を誇ったマンチェスターの工場で働き、その技術を習得、大阪で紡績工場を築いたのだ。後に大阪は「東洋のマンチェスター」と称されるが、大阪紡績会社に端を発する紡績産業の勃興に由来している。
大正区は、大阪湾につながる河川や運河が張り巡らされ、水運がよかった。多くの紡績工場のほか、貯木場や飛行場、製鉄所などができた。大正区の千島町を所有する千島土地は、木津川と尻無川の間を横断する「大正運河」を、岩田土地株式会社と一緒に開削し、貯木場や水路をつくるという、大型土木工事を行っている。いっぽう、北加賀屋エリアは、昭和初期から造船業でにぎわっていたが、木津川河口域の水深が浅いため、大型船の生産ができないこともあり、名村造船所が佐賀に移転。1989年に、ドッグやクレーン、工場、製図室などの施設を残したまま千島土地に返却された。造船所の移転や産業の構造転換のために、空きスペースが増えていたが、「NAMURA ART MEETING’04-’34」の開催後、名村造船所大阪工場跡地の旧事務所棟を中心に設備を改修し、クリエイティブセンター大阪(CCO)を設立、さらに、アーティストやクリエイター、アート施設を積極的に誘致する「北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ(KCV)構想」が掲げられ、今や約40か所にのぼる関連施設があるという。
今回、今年20周年を迎えるアートフェア「ART OSAKA」の新しい試みとして、大型作品やインスタレーションを展示する「ART OSAKA 2022 Expanded」が、クリエイティブセンター大阪(CCO)で開催された。さらに、元家具屋を改修したKagooと文化住宅を改修した千鳥文化では、千島土地設立110周年を記念して千島土地が約10年間で購入した美術品を紹介するコレクション展が同時開催された。若手アーティストを中心に購入された約50点の作品を、アーティストの笹原晃平が「TIDE – 潮流(タイド)が形(フォーム)になると – 」と言うタイトルでキュレーションした。名前は、ハロルド・ゼーマンのキュレーションによる伝説的な展覧会「態度が形になるとき」から着想されているが、存命作家による大陸間をまたがる同時多発的なアートシーンの新しい潮流を一堂に集めて見せるというゼーマンの試みとは少し異なる。
Kagooでは購入年順に並べられており、1つの流れの可視化といったところだろう。しかし、若手アーティストの作品が中心のため、ほぼ制作年と同じであり、時代の空気を濃密に表している。抽象的な平面作品の完成度の高さ、バラエティの豊富さは、現在のアートフェアの盛況と比例しているといえるだろう。将来的には、2010年代の関西の新しい動向を示す重要なコレクションになるかもしれない。千鳥文化では、千島土地にゆかりのある工芸品と、現代アートをうまく組み合わせて、生活の中で展示できるような可能性を示している。
なかでも蒔絵師、画家でもあった初代芝川又右衛門と日本最後期の文人画家と言われる田能村直入の合作による掛け軸と、ヤノベケンジの彫刻《Sleeping Muse (Ship’s cat)》(2022)の組み合わせや、品川美香の掛け軸風の縦長の作品と、初代芝川又右衛門が設立した「浪速蒔絵所」関係者が制作した香炉を組み合せるなど、芸術的な素養のあった千島土地創業の中心人物を源流にして、現代の潮流とつなぐ試みも、キュレーションが効いていたといえる。笹原は、おおさか千島創造財団が運営する共同アトリエSuper Studio Kitakagaya(SSK)に入居しているアーティストだが、キュラトリアルな作品を多く作っており、適任であったといえるだろう。
さらに、SSKでは、京都と滋賀の県境にある共同スタジオ、山中suplexと共催で、戒田有生のキュレーションによって、アートと交換というテーマで、「の、あとのふね」展が開催され、アーティスト側からのアートフェアへのアンサーを提示したといえる。そこでは金銭以外の交換条件も提示されており、多様性が叫ばれながら、アート業界自体が、巨大なアートマーケットの一元的貨幣的価値に飲み込まれていくことに対する、アーティストの創造的な提案が示されていたのが興味深い。
野原万里絵は今年のVOCA展に出品した大型の作品を展示したり、河野愛は「紀南アートウィーク2021」や「Study:大阪関西国際芸術祭2022」に出品した作品を展示するなど、各地の展覧会や芸術祭で展示した作品が集まっていたのも価値があるだろう。また、咲くやこの花賞を受賞した谷原菜摘子や品川美香の大型の絵画や、1階玄関前のラージスペースをスタジオにしている葭村太一の2次元的な木彫彫刻が展示されるなど、制作された場所の間近で作品を見られるのは、展覧会とは別の価値を与えていると思う。野原のドローイング作品も多数展示されており、収集している石などがドローイングになり、さらに下地の協働制作を経て、絵画へと変遷していく連続性も見て取れた。スタジオで過ごした濃密な時間が圧縮されているのがわかる。千島土地コレクションも、死蔵されているわけではなく、多くの作品が社内で展示され、社員は身近に接しているという。そのような生きた、活きたコレクションというのも重要だろう。
ART OSAKA 2022 Expanded、千島土地コレクション、SSKは、2004年からアーティストやクリエイター、アート関係者と並走してきた千島土地のさまざまな側面が見られたと思う。特に、造船業の生産拠点を転用し、アーティストが制作を断念する理由の上位である、スタジオを提供している意義は大きい。これからギャラリーの誘致も積極的にしていくとのことだが、スタジオとギャラリーが近くなることで、運搬というアートにおける見えないけども大きな負担が軽減される可能性もあるだろう。新興富裕層が増え、投資対象としてのアートが注目される中、千島土地はまさに地に足をつく形でアートを支援してきた。その種まきが功を奏し、そろそろ芽吹きはじめているが、すぐに刈り取られることのないよう、これからも地道な支援によるアーティストと街の成長を期待したい。