残された形に言葉を与え、読み解く方法
五十嵐太郎・菅野裕子『様式とかたちから建築を考える』平凡社、2022年
明治以降、日本でも数多く建てられた近代建築を、再評価する動きが続いている。それは、高度経済成長期を経て、多くの建築がスクラップ&ビルドで解体されてきた、という反動でもある。すっかり希少になった近代建築だが、装飾や内部空間などの面から再評価され、商業地においても、さまざまな方法でリノベーションされたり、いわゆる低階層の外観だけ残す「腰巻保存」をされながら、新たな商業的、観光的価値になったり、街並みやその土地のブランド価値を上げるものとして使われるようになってきている。
しかし、近代建築を紹介されるとき、その意匠は、ロマネスク様式にゴシック様式、ルネサンス様式などといった類型的な様式で説明され、その先の装飾や細部を深く入り込まず、理解したつもりになっていることが多い。そのような風潮に疑問を呈し、様式を構成する装飾的な細部を、日本橋に残された建築から徹底的に分析し、記述する「装飾をひもとく:日本橋の建築・再発見」展(高島屋資料館TOKYO、2020-2021年)が、建築史家、五十嵐太郎の企画により開催され、その関連書籍も青幻舎から刊行された。
本書『様式とかたちから建築を考える』は、その続編ということになるが、実は、本書の企画が先にあり、その一部の知見を日本橋界隈を題材にして発表したのが、「装飾をひもとく:日本橋の建築・再発見」展であったという。したがって、本書は続編でありながら、その背景にある理論的側面を担っており、様式に結びつく西洋と日本の建築史を概観している。「装飾をひもとく:日本橋の建築・再発見」展に関して、五十嵐太郎は「日本橋界隈における近代建築のデザインをこれだけ詳細に分析した試みは他にはないと自負している」(p.6)と述べているが、本書に関しても、国内の古典主義建築の装飾やデザイン、柱頭をここまで詳細に分析している書籍はほとんどないのではないだろうか。
それにはいくつか理由がある。西洋の近代建築が日本に輸入されたのは、いわゆる新古典主義建築の後期にあたり、その後、そのようなギリシア・ローマを範とする建築やキリスト教系のネオ・ゴシックなどの歴史主義的なデザインから分離し、分離派やアール・ヌーヴォー、アール・デコといった新たな建築技術と装飾によるデザインに移行していった。そして、ついには装飾を排した機能主義的なモダニズム建築が誕生する。
本書でも、お雇い外国人であったジョサイア・コンドルに工部大学校で教えを受けた、いわゆる第一世代と言われる辰野金吾の「日本銀行本店本館」(1896竣工)や、そのライバルとされる妻木頼黄の「旧横浜銀行本店本館(神奈川県立歴史博物館)」(1904竣工)などの古典主義の近代建築の様式と装飾が細かく分析されているが、古典主義的な規範とそれを咀嚼した建築家の工夫がみられるのは、銀行建築や一部の建築家の設計に限られるだろう。つまり、古典主義の建築を咀嚼し、設計をした時期が短すぎるため、それを理解する層も少ないのだ。それは西洋画を輸入する過程におて、アカデミーやサロンの新古典主義的な描写法と決別した印象派がすでに台頭してきていた状況に近い。
もう一つの流れとして、日本建築史の創始者でもある伊東忠太が、日本とギリシア・ローマを接続するために、アジアを縦断し、インド等の建築様式を輸入した流れがある。それらの過程で、明治以前の過去の日本の様式が見直され、洋風建築と折衷されていく。日本の古典主義建築の受容は、最初から新しい建築のムーブメントと日本やアジアの様式に挟まれて、融合していかざるを得なかった。
現在残されている様式や装飾、つまり建築の「かたち」には、明治以降の様々な様式が混ざり、ハイブリットな言語として使用されているのだが、それが元々どのような背景で使われていったか、本書では詳しく紹介されている。
1章は観察編として、日本銀行本店本館に加えて、旧横浜正銀行本店本館、旧英国領事館、旧三井銀行横浜支店、旧安田銀行横浜支店といった具合に、横浜の銀行建築を中心に様式とかたちが読み解かれる。インターミッションとして、日本橋の装飾が取り上げられており、「装飾をひもとく:日本橋の建築・再発見」展のもとになったものだろう。
2章は様式論として、擬洋風とされる開智学校、復元された三菱一号館、様式を歴史的文脈から切り離したポストモダン建築の水戸芸術館といった、日本における西洋建築の様式の受容について語られる。
3章は歴史編として、西洋の古典主義と装飾がどのように発展していったか解説されていくが、ギリシア・ローマの様式が、ルネサンスで古典主義として反復され、18世紀に新古典主義としてさらに反復されてきた歴史と、ロマネスクやゴシック、バロックといった、キリスト教文化の中で生まれた様式が、近づいたり離れたりしならが発展してきた歴史が概観される。日本の銀行建築や図書館、美術館、博物館などにも受け継がれる様式やかたちの意味はこれらの歴史を理解してないとわからない。そして、一度、機能主義や合理主義のモダニズムによって様式や装飾は排除されたものの、ポストモダン建築によって復活し、21世紀になると、構造計算と素材の発達により、構造と装飾を切り分ける必要がなくなり、新たな装飾とかたちの時代の到来を示している。
第4部では図解編として、日本国内の古典主義建築から、旧東京帝国博物館 奉献美術館(ドリス式)、旧横浜金銀行本店本館(イオニア式)、旧三井銀行横浜支店(イオニア式)など、16の柱頭を取り上げ、解説されている。さらに、G・B・ヴィニョーラの『建築の五つのオーダー』の図にもとづいて、ドリス式柱頭、イオニア式柱頭、ドリス式柱頭の解説が付け加えられている。一つひとつ細かく見ていくと、ギリシア風の柱頭として、漠然と見ていた形が、ある種の類型の中でも創意工夫がなされ、バラエティに富んでいることがわかる。
おわりにで、共著者の菅野裕子は、「人間の目は知っているものしか見ない」(p.298)と、フィレンツェ大学教授であったガブリエール・モロッリの言葉を引用し、人間がいかに理解していないものが見えていないのか指摘する。そして、古典主義建築の魅力を味わうために、知ることの重要さを挙げ、本書は専門用語を超えて理解を促すアプローチをとったことを示唆している。また、五十嵐は、「西洋建築史と日本の近代建築史を同じ土俵にのせること」(p.7)「西洋建築の様式論を日本の近代建築史に接続すること」(p.8)が本書の目的であるとし、昔の建築家は必ずしもその意図を言葉で説明しているわけではないので、残された「かたち」から私たちが読み取り、「対象を言葉によって描写しなければならない」(p.7)と指摘する。また、ジョン・サマーソンが『建築の古典的言語』と題した本を著し、「古典主義を建築におけるラテン語」(p.8)だと説明しているように、「古典主義はそもそも言語的」(p7)だと述べる。もちろん、実際、建築が残っているから深く認識できるわけで、細かく写真や図版による解説もなされている。
五十嵐が、第4部に関して「ここまで古典主義の細部を言語化した本は海外でもほとんどない」(p.9)というように、建築史を専門としてない、私たちにとって、本書によってようやく、柱頭の区別やデザインの工夫がわかるようになると思う。また、日本の初期の建築家が、いかにギリシア・ローマの古典主義の意匠を学び、日本の古い様式と折衷していったか、その苦労を想像することでもきるだろう。言わば、異なる言語を組み合せながら、1つの大きな文章をつくっているようなものだからだ。
いずれ建築言語も、グローバルなものに収斂し、このような様式や装飾は、廃れていくのだろうか?本書を読むと、やはり何らかの形で反復されるのではないかと思える。本書は、今までかたちはあるのに、見えてなかったものに言葉を与え、認識を促し、そして、新たな言語を獲得する予感に満ちているように思える。少なくとも菅野が「一度知ったら逆に、視界に入ってしまえば「見ない」ということができない」(p.298)と言うように、知らなかったときのように古典主義建築を見られないだろう。そして、使っている言語をよく知れば、「設計者との時を超えた対話」(p.299)も可能になっていくのではないか。