“Origami”, Discordance and Premonitions:宮崎啓太

「"Origami", Discordance and Premonitions:宮崎啓太」

来月刊行予定の宮崎啓太作品集へ金澤が寄稿したテキスト、日本語バージョンを公開します。
*作品集は英文のみ

作品集情報(2022年5月20日頃出版予定)
タイトル:『Keita Miyazaki』
発行者:rosenfeld、宮崎啓太 Keita Miyazaki
判型:A4変形
価格: 4500円+税 (予定)

*ちょうど東京で個展も開催されているとのことなので、お知らせします。
「そのことの相対性 宮崎啓太」
会期: 2022年4月19日~5月28日
会場: MAHO KUBOTA GALLERY(東京)
https://www.mahokubota.com/ja/

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“Origami”, Discordance and Premonitions: The Art of Keita Miyazaki

世界のいろいろな場所と同じように、この日本と呼ばれる地域でも、人々は古くからものを作ってきている。さまざまな目的で、さまざまな場面で、さまざまな方法で。19世紀後半に始まる近代と呼ばれる時代の前には、宗教、インテリア、あるいは暮らしのための絵や造形があった。また大衆の人気を博した、木版による豊かな出版文化があり、いっぽうで、茶道や華道といった振舞いを軸にした文化があった。

19世紀後半の近代化政策の中で、それらさまざまな美や文化が、西洋のファイン・アート概念の輸入にともない、再編されることになった。この時から、人々の心や暮らしに寄り添ってきた文化は、急激に政治性を帯びることになる。

当時の権威者たちは、西洋から持って来た概念に「絵画」「彫刻」などと言葉を作って与え、もともとあったつくりものに「工芸」という言葉を当てはめることにした。ただ最初は、それらの言葉が示す内容ははっきりしていなくて、のちに初の国立美術学校である東京美術学校が設立され、その学科を編成していく中で、「絵画」「彫刻」とは、「工芸」とは何かが議論されていく[1]

東京美術学校は政治と深く結びついた美術行政のホットな現場だった。19世紀末の“西洋列強”に負けない知性、精神性を示すための「美術」(この言葉もこの時期に作られた)が必要だったから、どのような学科を作ってどんな教育を行なっていくかの議論は、西洋の美術のヒエラルキーにならった。そして、その結果、絵画・彫刻が上位に、工芸は下位に置かれた。いっぽうで、「絵画」「彫刻」が美術の歴史の再編や、新しい美術教育の整備にあたって中心に置かれたのに対し、「工芸」は日本の文物を海外に売り込む際の主力商品に位置付けられてもいた(逆に、“近代化した”日本の絵画・彫刻は、当時、日本の美意識を代表する物品とはみなされなかった)[2]

このような経緯を振り返るとき、東京美術学校内における工芸科の難しい立ち位置を伺うことができるだろう。昔からこの地域にあった文化の文脈を抱えながら、世界政治の中で格闘する「美術」のただ中にいたのだから。東京美術学校の後身、東京藝術大学(1949年設立)でも、当然その構図は受け継がれた。近代化の頃から100年以上を経て2002年に東京藝術大学工芸科(鋳金)へ入学した宮崎啓太は、入学した途端に間違った場所に来たと感じたそうである。それは、その場所がはらむ高度な政治性によるものだったはずだ。

ただ、教授・講師陣は、若い学生の創作の方向性について寛容だったそうで、英国、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの彫刻科への留学をはさみ、宮崎はのべ9年間この工芸科に在籍し、最終的には博士号を取得した。ここでの経験が彼の確かな技術を支えていることは間違いない。いっぽう、創作スタイルの転機は留学時代に訪れた。最初は環境の違いや、ものの見方の違いなどに苦しんだと言うが、次第にさまざまなものを組み合わせ、手を動かしながら考えるうちに、使い古された車の部品と、紙、フェルトを使った折り紙を思わせる部分から成る造形が生み出された。それは不思議な生き物か、未来の植物のようにも見える。

硬い素材と柔かい素材のハイブリディティが宮崎の作品を特徴づけている。工業的なパーツを使うことで、力強い印象を私たちに与え、それと同時に、“折り紙”の部分が繊細な、優しい印象をもたらす。後者は、東京美術学校の初代校長である岡倉天心が彼の著書『茶の本』(1906)で主張した、花が散っていく儚さや、不完全なものに宿る美につながるものだ。それは当時の西洋の美学とは異なる価値観だった。

とはいえ、宮崎がやっているのは、反近代でも、伝統回帰でもない。その創作におけるメンタリティを考える上で興味深いのは、宮崎がデヴィッド・ハーヴェイのセオリーにインスパイアされていると語っていることだ。近代社会とは、資本主義に支配された社会だとマルクスは言った。そのマルクスの資本論を下敷きに、ハーヴェイはグローバル資本主義を批判し、その危うさや、潜在するカタストロフを描き出す[3]

つまり、宮崎の造形は、政治に歪められる前の、ものづくりの豊かな文脈を持ちながら、近代化とその当時の世界地図、そして現代におけるグローバル化と未来予報を包含していると見ることができる。そして、いくつかの方向へと引っ張られる力学の中で、どちらへ落ちるでもなく、境界線に立ち続ける靭さが、宮崎の造形に緊張感を与えている。また、宮崎のいくつかの作品は音を伴っており、近づくと民族楽器の音や、日本の電車の発車音、胎児の心臓音、砂嵐などが聞こえてくる。この“音”は、いつも私をそこはかとなく居心地悪くさせるのだが、それは、現代社会に響きつづける不協和音の表現でもあるからだろう。

宮崎の彫刻は、つくること、見せることの歴史、政治、思想のコンフリクトを抱えて、なお咲き誇る。その姿は、あるいは現代に生きる人間のメタファーでもあるだろう。この不気味で底知れない生命力に、私たちは惹きつけられるのだ。

[1] 佐藤道信『〈日本美術〉誕生』講談社、1996

[2] 佐藤道信『明治国家と近代美術』吉川弘文館、1999

[3] Harvey, David, The Limits to Capital, Chicago: University of Chicago Press, 1982

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評者: (Kanazawa Kodama)

かなざわ こだま:現代美術キュレーター。東京藝術大学大学院、英国 Royal College of Art(RCA)修了。熊本市現代美術館など公立館での12年にわたる勤務ののち、2013年よりインディペンデント・キュレーターとして活動。国内外で展覧会企画多数。近年企画・参画した主な展覧会に、ヨコハマ・パラトリエンナーレ2020、杭州繊維芸術三年展(浙江美術館ほか、杭州、2019)、AKI INOMATA、毛利悠子、ラファエル・ローゼンダール個展(いずれも十和田市現代美術館、青森、2018~2019)、Enfance(パレ・ド・トーキョー、パリ、2018)、茨城県北芸術祭(茨城県6市町、2016)など。現代美術オンラインイベントJP共同主宰。2016年より上海在住。

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