巨大アート収蔵庫から美術館へ。「ヤノベケンジ 《ジャイアント・トらやん》ファイヤーパフォーマンス」三木学評

巨大アート収蔵庫から美術館へ。

MASKで開催された《ジャイアント・トらやん》《ラッキードラゴン》などのパフォーマンス

「ジャイアント・トらやん ファイヤーパフォーマンス&スペシャルトーク」
会期:2021年11月12日・13日・14日
会場:MASK(MEGA  ART  STORAGE  KITAKAGAYA)
https://www.chishimatochi.info/found/mask/

2021年11月12日・13日・14日、大阪・北加賀屋でおおさか千島創造財団が運営する大型現代アート作品の収蔵庫MASK(MEGA  ART  STORAGE  KITAKAGAYA)において「ジャイアント・トらやん ファイヤーパフォーマンス&スペシャル・トーク」が開催された。この収蔵庫は、もともと鋼材加工会社の製作所・倉庫として使われていたもので、おおさか千島創造財団が大型現代アート作品の収蔵庫として、アーティストに無料で提供しているものだ。毎年、秋には「見せる収蔵庫」として、地域住民やアートファンに対して公開イベント「OPEN STORAGE」を開催しており、今回のヤノベのイベントも、その一環である。ただし、ヤノベケンジの全長7.2mという巨大彫刻の中で最大級であり、代表作ともいえる《ジャイアント・トらやん》は、来年、2022年2月2日に開館する大阪中之島美術館に寄贈されることが予定されており、MASKで火を噴くのはこれが最後となる。

もともと大阪市住之江区にある、北加賀屋駅から木津川河口域にあたる広大な土地を、千島土地株式会社が所有しており、不動産業やリース業を営んでいる。かつて大阪は上町台地をのぞくほとんどの地域が海で、淀川や木津川、大和川などの河口域に砂がたまり、徐々に開拓されていった歴史がある。だから東京とは違いほとんどが平地なのだ。特に木津川河口域あたりは、江戸時代の新田開発が行われた場所で、いわばかつての埋立地にあたる。明治以降は、対岸にあたる大正区を皮切りに、沿岸部分が産業地帯になり、北加賀屋一帯も造船産業で栄えてきた。

しかし、高度経済成長後、重工業の産業転換により、造船業が下火になってことや、名村造船所が移転したこともあり、空きスペースが目立つ場所になっていた。そもそも大阪湾岸は、河口域に砂がたまって砂州となるため海が浅く、大きな船が入れないという問題があり、川口にあった居留地が、神戸に移転したという歴史もある。木津川河口域も深くはないため、大きな船が作れないという問題もあった。

名村造船所が移転した広大な跡地を、現代アートのグループに無償で提供して開催されたのが2004年から始まる「NAMURA ART MEETING ’04-’34」で、その後、北加賀屋の各地で様々な取り組みが行われてきた。2011年からは、利益追求ではない文化事業は、新たに創設されたおおさか千島創造財団に継承され、2012年には大型現代アート作品の収蔵庫としてMASKが開設されたというわけである。

そもそもMASKの開設には、ヤノベをはじめとしたアーティストが、大型作品の収蔵に困っていたということもあり、それを受けて、空いていた倉庫を提供し、「NAMURA ART MEETING ’04-’34」の実行委員会であった木ノ下智恵子(大阪大学准教授)がキュレーターとなり、やなぎみわの移動舞台車や、名和晃平、宇治野宗輝らの作品が収蔵され、様々な公開イベントが開催されてきた。今年は、初めてアーティストを公募し、選出された持田敦子が、倉庫の前に巨大な回転ドア型の作品を取り付けた。持田は、祖母の家の土台を切断し、家ごと回転させるなど、建築の機能を切断し、新たな動きや形を生む作品を制作しており、ゴードン=マッタ・クラークのアナーキテクチャー、《スプリッティング》などを援用しながら、血縁や地域住民などのコミュニティとの協働作業を行うことで、異なる文脈を生み出している。

長らくMASKのシンボルにもなっていた《ジャイアント・トらやん》は、2004年の金沢21世紀美術館の開館に際して、併設されているプロジェクト工房に半年間滞在し、学生や地域住民と一緒に協働制作されたものだ。ヤノベの初めての巨大彫刻であり、多くの人々と協働制作するために、発砲スチロールでシリコン型をとり、FRP樹脂に置き換えて、アルミニウム板をリベット止めしていく方法が採用されている。その際は座像であったが、2005年の豊田市美術館の個展「キンダガルデン」では、全長7.2mの立像になり、美術館内で火を噴いている。

巨大彫刻と言っても、口を開いて歌ったり、眼が光って瞬きをしたり、胸のドアが開いたり、首や腰が回って「踊る」ので、機械彫刻でありロボットと言ってよい。子供の「守護神」「夢の最終兵器」として作られ、子供の声で、火を噴くようになっていた。その後も、青森、横須賀、鹿児島、タイなど国内外の美術館で展示されたり、「六本木アートナイト」でも火を噴くパフォーマンスがされるなど各地で話題となってきた。このような巨大で動く現代アート作品を、外注せずに自力でつくれるのは国内ではヤノベしかいないだろう。

ヤノベ自体が意識しているのも、フランスの機械を使ったパフォーマンス集団「ラ・マシン」や、アメリカの「サバイバル・リサーチ・ラボラトリーズ」、巨大イベント「バーニングマン」のような巨大彫刻のパフォーマンスであり、現代アートの範囲からやや逸脱している。大阪では、官民一体の博覧会「水都大阪2009」などで、《ジャイアント・トらやん》や第五福竜丸をモチーフにした《ラッキードラゴン》が北加賀屋の工場地帯で火や水を噴いたり、運河を周遊する機会があり、大阪の人にとってはそのような巨大彫刻を操る作家として見られている側面がある。

ヤノベが、2010年代に爆発的に増える芸術祭やアートイベントに数多く参加出来たのも巨大なアート作品を収蔵するMASKという母艦の存在は大きい。ヤノベだけではなく、MASKを拠点として、様々な芸術祭に出品された作品も多く、表に出ないながらも、まさに屋台骨となっていたのだ。今回、新しい美術館に収蔵されることは、破格のパフォーマンスを継続してきた《ジャイアント・トらやん》が、正式に美術史のピースとして、位置づけられることであり、一つの区切りとなるだろう。

大阪中之島美術館は、黒い直方体に内部に複雑な空間を持つ建築で、開館前から話題となっており、12日は設計者の遠藤克彦に加え、大阪中之島美術館の館長の菅谷富夫、木ノ下、芝川能一おおさか千島創造財団理事長、ヤノベによるトークイベントが開催され、ヤノベのキャリアと北加賀屋・MASKの関係や大阪中之島美術館の所蔵品や展覧会、美術館の設計に関する貴重な話が交わされた。

大阪中之島美術館は準備室だった期間が長く、まだ予算があるバブル時代から良質な作品を購入しており、コレクション展への期待は高い。その数、約6150点にのぼるという。大阪を代表す洋画家の佐伯祐三から吉原治良が牽引した具体美術協会(具体)、森村泰昌まで、大阪ゆかりの作家が揃い、充実したアーカイブも作られる。サントリーミュージアムからポスター作品の寄託を受けたり、家電も収集しており、モダンデザイン・商業デザインの分野も魅力的だ。まさに、大阪の美術の土台となる美術館となるだろう。菅谷は開館展では、出来るだけ多くのコレクションを展示する予定であるという。

いっぽう遠藤によると、大阪中之島美術館は外観がシンプルな「黒い直方体」をしているが、内部空間は複雑なパサージュとなるように一つひとつ階を積み上げて、何パターンものスタディを重ねたという。特に長いエスカレーターを上って、展示室に行く過程において、複雑な内部空間を見られるように動線が計算されており、展覧会場に上がる過程を昂揚感が出るように演出しているところが今までにない工夫になっている。近年の美術館は、動線をシンプルにするために、垂直にエレベーターで人を最上階まで上げて、降ろしながら見せていく方法が多く、プロセスが切断さていた。展示室もできるだけ柱を使わず可動壁を使っているので、柔軟に多くの展示ができるだろう。

大阪中之島美術館が建設された場所は、かつて大阪大学の医学部があったが、江戸時代には広島藩の蔵屋敷があり、広島から米や特産物を堂島川から直接船で荷下ろしできるように「舟入」が北にあり、その遺構の上を空けて広場にしており、過去の歴史や記憶をつないでいる。実は、その海運の記憶を残すように、船乗り猫をテーマにしたヤノベのパブリックアート《SHIP’S CAT(Muse)》も恒久設置される。遠藤は、建築の建設費を割いてもパブリックアート作品を置きたかったとのことで、ヤノベが提案した船と旅をテーマにした《SHIP’S CAT》のシリーズはぴったりだったという。さらに、鮮やかな朱に塗られた《SHIP’S CAT(Muse)》は宇宙服や潜水服をイメージしているが、中之島美術館の外壁の黒と強いコントラストになっており、アート作品として力強い存在になっているのもよかったという。遠藤は建築家は調停者だが、アーティストはそれに挑んだり改革する存在で、まさにそれを体現した形であったと語った。この美術館のどのような部分に《ジャイアント・トらやん》が収蔵されるのかまだ不明だが、大阪中之島美術館の空間が活きる場所になるだろう。

トークの後は、ファイヤーパフォーマンスのために、大仏のように中央に《ジャイアント・トらやん》が鎮座し、向かって左手に《ラッキードラゴン》、右手に《サン・チャイルド》、両脇に《KOMAINU—Guardian Beasts−》という、まさに仏殿に置かれた仏像や眷属のように配置された。《ラッキードラゴン》はそのまま火を噴くと危険なので、口が上に向くように首が上げられた。そして、新型コロナウイスの終息を願い、奉納演奏のような形で1人の邦楽奏者が笙、篠笛、民謡、太鼓と次々と演奏をしていき、リズムに合わせて火を噴くジャイアント・トらやん》と《ラッキードラゴン》が火を噴く勇姿は、まさに神事のようであった。実際、大量に火を噴かれたことで、冷えていた倉庫が少し暖かくなった。会場も熱気に包まれており、心も体も温まったことだろう。《ジャイアント・トらやん》が新しい美術館で火を噴けるかはわからないが、《ジャイアント・トらやん》をシンボルとして、MASKのように「見せる美術館」、「交流する美術館」としての機能が継承されていくのではないか。

三木 学
評者: (MIKI Manabu)

文筆家、編集者、色彩研究者、美術評論家、ソフトウェアプランナーほか。
独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行なっている。
共編著に『大大阪モダン建築』(2007)『フランスの色景』(2014)、『新・大阪モダン建築』(2019、すべて青幻舎)、『キュラトリアル・ターン』(昭和堂、2020)など。展示・キュレーションに「アーティストの虹─色景」『あいちトリエンナーレ2016』(愛知県美術館、2016)、「ニュー・ファンタスマゴリア」(京都芸術センター、2017)など。ソフトウェア企画に、『Feelimage Analyzer』(ビバコンピュータ株式会社、マイクロソフト・イノベーションアワード2008、IPAソフトウェア・プロダクト・オブ・ザ・イヤー2009受賞)、『PhotoMusic』(クラウド・テン株式会社)、『mupic』(株式会社ディーバ)など。
美術評論家連盟会員、日本色彩学会会員、大阪府万博記念公園運営審議委員。

Manabu Miki is a writer, editor, researcher, and software planner. Through his unique research into image and colour, he has worked in writing and editing within and across genres such as contemporary art, architecture, photography and music, while creating exhibitions and developing software.
His co-edited books include ”Dai-Osaka Modern Architecture ”(2007, Seigensha), ”Colorscape de France”(2014, Seigensha), ”Modern Architecture in Osaka 1945-1973” (2019, Seigensha) and ”Reimaging Curation” (2020, Showado). His recent exhibitions and curatorial projects include “A Rainbow of Artists: The Aichi Triennale Colorscape”, Aichi Triennale 2016 (Aichi Prefectural Museum of Art, 2016) and “New Phantasmagoria” (Kyoto Art Center, 2017). His software projects include ”Feelimage Analyzer ”(VIVA Computer Inc., Microsoft Innovation Award 2008, IPA Software Product of the Year 2009), ”PhotoMusic ”(Cloud10 Corporation), and ”mupic” (DIVA Co., Ltd.).
http://geishikiken.info/

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