
《7000本のオークの木》 2022年 出典:Wikimedhia: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/97/7000_Eichen_-_Friedrichsplatz_2022-06-21.JPG/960px-7000_Eichen_-_Friedrichsplatz_2022-06-21.JPG?20220623170727
衝撃と共感の夜:「私たち」の創造性を呼び覚ます
2025年11月14日、【ARTS STUDY 2025】の講座「ヨーゼフ・ボイスと考えるーどう社会を彫塑するかーヨーゼフ・ボイスの造形観」が開講された。講師は国立国際美術館の主任研究員である福元崇志氏。福元氏の穏やかでありながら熱量のこもった語り口は、難解だと敬遠されがちな現代美術の巨匠ヨーゼフ・ボイスの世界への扉をわかりやすく、そして力強く開いてくれた。

国立国際美術館 主任研究員 福元崇志氏
本講座の目的は、「ヨーゼフ・ボイスは何を思い、何を作ったか。その芸術をめぐる理念と実践を知り、『つくる』という人間の営みを『自分事』として捉えなおすこと」にある。この目的通り、講義は単なる美術史の解説に留まらず、ボイスの思考を通して、「芸術とは何か」「人間とは何か」「社会とはどうあるべきか」という根源的な問いを、私たち自身の問題として突きつけてくる、非常に刺激的な体験となった。
福元氏は、ボイスを「美術史上の特定の動向に分類するのが難しい」活動家だと紹介しつつも、その多種多様な活動が一つの「確固とした芸術理念」によって貫かれていることを強調した。その理念こそが、ボイスが戦後ドイツという時代と場所で、世界に向けて放った最も重要なメッセージ、「社会彫塑」(Soziale Plastik)(※1)という造形観である。私たちはこの夜、この概念が現代社会を生きる私たちにとって、いかに切実な共感と希望をもたらすものであるかを学んだのだ。

講座風景
福元崇志氏の導き:難解なボイスを「適当に」見るすすめ
ヨーゼフ・ボイスという芸術家の名前を聞いたことがある人でも、彼の作品や行動が何を意味するのかを理解するのは難しいと感じるだろう。フェルトや脂肪(油脂)といった素材を多用し、パフォーマンス(アクション)を行い、黒板に謎めいた図や文字を書き残す。そして、政治活動や教育活動にまで手を広げたボイスの全体像を、いかにして捉えるか。福元氏は、ボイスを理解する上での心構えとして、非常に興味深く、共感を呼ぶ視点を提供した。それは、ボイスの教義を完璧に理解しようとするのではなく、「結構適当に見たらいい」という、ある種開き直ったようなアドバイスである。
福元氏は、この姿勢を「車の運転」(註・本人は車の免許を持っておらず!?、運転ができない)に例えた。「車の運転は知識の状態で教則本とかを詰め込んだ状態で運転ができるかというと、必ずしもそうじゃなくて、対象物の解像度を落として、適当に交通法のルールを必要な部分だけつまみ食いして、あとは慣れで実践してみるほうがよっぽどうまく運転をできるというのは、多分みんな経験値としてはあると思うんです」。この比喩は、私たち聴衆の胸にストンと落ちた。難解な芸術家の理論や作品を前にして、「全てを理解しなければ」と身構えてしまう必要はないのだ。ボイスが「こういうことをやろうとしているんだな」という大枠を掴み、作品の意味が分からなければ「わかなくても今はよし」と流し、まずは彼の提唱する理念を「実践してみる」ことこそが大切であるという、親近感の湧くメッセージであった。このアプローチのおかげで、私たちは肩の力を抜き、ボイスの芸術に臆することなく向き合えるようになったのである。
ヨーゼフ・ボイスとは誰か?—常識を破壊する「拡大された芸術概念」
ヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys, 1921-1986)は、ドイツ出身の彫刻家、ドローイング作家、教育者、政治活動家であり、20世紀後半の芸術に最も大きな影響を与えた人物の一人である。ボイスの活動の核にあったのは、「芸術という概念の拡張」だ。従来の芸術が、美術館に飾られる絵画や彫刻といった「モノ」や、専門家だけが担う「行為」に限定されていたのに対し、ボイスは、人間のあらゆる行為、さらには思考そのものを芸術と捉え直した。彼の作品は、非常に多岐にわたる。

ヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys, 1921-1986) 1974年の初渡米の際のニュースクールにおけるティーチ・インのオフセット・ポスター(Courtesy Ronald Feldman Fine Arts, New York) 出典:wikimedia: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0f/Beuys-Feldman-Gallery.jpg/476px-Beuys-Feldman-Gallery.jpg?20070309091941
1) 環境・大地のインスタレーション
最も知られる活動の一つに、カッセルでの国際展ドクメンタで始めた《7000本のオーク》(1982年開始)がある。これは7000本のオークの苗木を植樹し、その横に玄武岩の柱を立てるという、環境アート、都市計画、社会活動を融合させた壮大なプロジェクトである。この活動は単なる造園ではなく、人々と共に社会に働きかける「彫塑」の実践そのものだった。

《7000本のオークの木(7000 Oaks)》 出典:Wikimedia: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:7000_Eichen_-_Helleb%C3%B6hnweg_2021-06-08_f.JPG
2) 象徴的な素材の使用
ボイスの作品には、フェルトや脂肪(油脂)といった独特な素材が頻繁に登場する。これは、彼が第二次世界大戦中、クリミア半島で墜落した際にタタール人に救助され、体温を保つためにフェルトと脂肪で包まれたという有名なエピソードに基づいている。これらの素材は、「熱と体温」、「回復と保護」といった意味を象徴し、精神的な傷を癒し、社会に活力を取り戻すためのシンボルとして用いられた。
例えば、作品《20世紀の終焉》(1983年)では、玄武岩の塊にフェルトや粘土などが添えられている。玄武岩は時間の経過によって変化しない硬い物質、フェルトは熱や保護、粘土は彫塑の材料であり、 いずれも「変化」の可能性を秘めた素材として対比的に配置され、硬直した現代社会(20世紀)の終焉と、そこからの変革を暗示しているかのようだ。

《20世紀の終焉(The End of the 20th Century)》 出典:Wikimedia: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:M%C3%BCnchen_-_Pinakothek_der_Moderne_(8).jpg
3) アクションとパフォーマンス
ボイスは、フルクサス運動とも関連しながら、一連のパフォーマンス(彼らは「アクション」と呼んだ)を行った。黒板に描かれた図や数式のようなものは、これらのアクションで思考の過程を観客と共有するために使用された「道具」であり、それが後年、独立した作品として展示されることになったのである。
4) エディション作品と広告活動
ボイスはまた、銅や真鍮、宝石、防弾ガラスを用いた小型の作品《平和のウサギ》(1982年)のようなエディション作品を制作するほか、日本のニッカウヰスキー「スーパーニッカ」の広告にまで登場している(1985年)。これは、彼の芸術理念である「社会彫塑」を、より多くの人々に、特に経済活動の場にまで広げようとする彼の強い意志を示すものだ。広告の収益を自然保護活動に充てたという事実も、彼の芸術が常に社会との繋がりを求めていた証左である。
福元氏の解説により、バラバラに見えていたこれらの活動が、「芸術の拡張」という一本の太い理念によって結びついていることが明確になった。

講座風景
芸術の営みをどう捉えていたか?—「社会の彫塑」としての芸術
ボイスの芸術理念の中心にあるのは、「社会彫塑」(Soziale Plastik/Social Sculpture)という概念である。これは、ボイスが芸術の定義を根本から覆し、全人類の創造性を肯定するために提唱した、最も重要なアイデアだ。
すべての人間は芸術家である
ボイスは、「すべての人間の創造的な行為、すべての思考、すべての活動、すべての働きかけ、すべてを芸術作品と見なす」という芸術観を持っていた。彼の有名な言葉に「すべての人間は芸術家である」(Jeder Mensch ist ein Künstler)がある。
福元氏は、この言葉の真意について、私たちは単に「絵を描く」「音楽を作る」といった狭義の芸術家であるという意味ではないと解説した。この「芸術家」とは、私たち一人ひとりが持つ「創造性」の力を指している。
私たちが日々行っている、思考すること、言葉を発すること、人間関係を築くこと、経済活動に参加すること、政治的な意見を持つこと——これらすべてが、世界という巨大な「素材」に働きかけ、社会という「形」を変形させていく彫塑の行為である、とボイスは考えたのだ。
「彫塑(Plastik)」とは、素材に手を加え、形を与えていく創造的な営みである。ボイスにとって、社会全体こそが、人間が共同で手を加えるべき巨大な「素材」であった。私たち一人ひとりが意識的に、あるいは無意識的に行った判断や行動が、社会という像にわずかずつ、しかし確実に影響を与え、その姿を日々変えている。
• 思考:社会を変えるための最初のエネルギー(ボイスの言う「熱」の要素)。
• コミュニケーション:社会という素材を練り、共有の形を作るための「触媒」。
• 行動(政治・経済):社会に具体的な形(法制度、インフラ、環境)を与える「硬化」のプロセス。
この造形観によれば、芸術とは、美術館の中で完結するものではなく、私たちが生きる日常、社会のあらゆる場面に遍在する、生きたエネルギーそのものである。
ボイスはまた、教育者としての顔も持っていた。彼はデュッセルドルフ美術アカデミーの教授を務め、学生たちの自由な創造性を追求し続けたが、体制的な枠組みに反発し、最終的には大学から解雇されることになる。この行動もまた、硬直した社会(教育制度)に対する「社会彫塑」の実践だったと言えるだろう。彼は、芸術という営みを真に解放するためには、既成の権威やシステムから独立し、私たち自身の創造性を信じ抜くことが不可欠だと知っていたのだ。
理論をどう実践に応用したか?—大地のインスタレーション《7000本のオーク》
ボイスが提唱した「社会彫塑」の理論は、空理空論に終わることなく、具体的な大規模プロジェクトとして結実した。その最も象徴的な例が、《7000本のオーク》(1982年)である。このプロジェクトは、ドイツの都市カッセルで開催される国際展「ドクメンタ7」で発表された。ボイスは、7000本のオークの苗木を植樹し、それぞれの木と一対になるように玄武岩の柱を並べるという壮大な計画を実行した。作品名は「都市の森化、都市行政の代わりに」(“City forestation instead of city administration”)という副題を持ち、彼の強い社会的なメッセージが込められている。
1)玄武岩とオークの対話
プロジェクトにおいて、玄武岩とオークの組み合わせは極めて重要であった。玄武岩は、地中深くで生まれ、長い時間をかけて硬化した、固定性や硬直の象徴である。これは、ボイスが変革を促そうとした、硬直した社会システム、既成概念、資本主義的な経済構造といった「動かないもの」を体現していた。当初、ドクメンタの会場に運ばれた大量の玄武岩は、そのまま積み上げられた状態で放置され、多くの人々を困惑させたという。ボイスは、この硬くて重い石を動かすプロセスこそが、人々の意識と行動を促す「彫塑」の始まりだと捉えていたのである。一方、オークの木は、成長し、生命を育み、呼吸し、環境を変えていく生命力と成長の象徴である。これは、私たち一人ひとりの創造性や、社会に変革をもたらす「動き」のエネルギーを表している。玄武岩が一つ動かされるごとに、市民やボイスの協力者が一対のオークの木を都市の様々な場所に植樹していく。つまり、玄武岩を動かすことは、硬直した社会(玄武岩)から、生きた社会(オーク)へとエネルギーを解放するという象徴的な行為なのである。

《7000本のオークの木(7000 Oaks)》 玄武岩とオークの木 はセットで植えられた 出典:wikimedia:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Eiche_und_Basalts%C3%A4ule,_Joseph_Beuys,_D%C3%BCsseldorf_(1).jpg

街中の《7000本のオークの木(7000 Oaks)》 出典:wikimedia: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1c/7000_Eichen_-_Bebelplatz_2019-11-22_e.JPG/960px-7000_Eichen_-_Bebelplatz_2019-11-22_e.JPG?20191122165932
2)社会を巻き込んだ長期的な彫塑
《7000本のオーク》は、1982年に始まり、ボイスが死去した後も継続され、最終的な7000本目の植樹は彼の死後の1987年に完了した。このプロジェクトの真の作品性とは、苗木が成長し、都市の風景を変え、植樹に参加した人々の意識の中に残り続けるという、長期間にわたる社会的なプロセスそのものにある。これは、従来の芸術作品のように「完成したモノ」を鑑賞するのではなく、「社会が変容していく様」を鑑賞し、さらには「その変容に参加する」ことを促す、壮大で開かれた芸術活動(社会活動)であった。

《7000本のオークの木(7000 Oaks)》 右の木が1本目、左の木が7000本目 。場所はドクメンタ会場フリデリチアヌム美術館(2022年筆者撮影)
この活動はドイツ国内に留まらず、シドニーやニューヨークなど世界各地へと広がり、植樹の活動は今もなお続いている。《7000本のオーク》を始めとするボイスの実践を知ることで、私たちは、芸術が単なる趣味や鑑賞の対象ではなく、地球規模の環境問題、都市計画、そして民主主義のあり方といった、最も重要な社会問題に直接的に働きかける力を持っていることを痛感させられる。
共感と発見に満ちた時間:ボイスが残した問い
講義を通して、私たちはヨーゼフ・ボイスという一人の芸術家が、いかにして時代と社会を根本から変えようと試みたかを知った。彼の作品は、一見すると奇抜で難解かもしれない。しかし、その背後にある理念は、私たちが現代社会で感じている閉塞感や無力感に対する、力強い回答となっている。
「すべての人間の活動は、社会という素材を形作る彫塑の行為である」—この思想を受け止めたとき、私たちは日常の仕事や会話、買い物や投票といった行為の一つひとつが、実は「アート」という名の創造的な力を持っていることに気づかされる。自分の行動が社会に与える影響の大きさに気づき、無意識のうちに社会の「形」を決めていた私たち自身が、その「形」をより良いものへと変えていく責任と可能性を持っていることを悟るのである。
福元氏が言うように、「適当に」で構わない。まずはボイスの思想を「つまみ食い」し、彼の残した作品や言葉に触れ、自分の創造性という「熱」を信じて一歩踏み出すこと。それこそが、ボイスが私たちに求めた「社会の彫塑」の第一歩なのだろう。この講座は、参加者全員が社会や世界を変 えてゆく存在であること、つまり彫塑家=アーティストであることの気付きを与え、生きる喜びと、世界を変える力を再発見するための、非常に楽しく、そして共感に満ちた経験となった。
アートの力を「自分事」として捉え直すー芸術の拡張と創造性の解放
福元崇志氏による「ヨーゼフ・ボイスと考える」講座は、芸術という営みを根底から問い直す、鮮烈な時間であった。ボイスの掲げた「社会彫塑」(Soziale Plastik)という概念は、私たち全員の思考や活動を芸術の領域に引き入れ、「すべての人間は芸術家である」という力強いメッセージを投げかける。難解に見える彼のフェルトや脂肪、玄武岩を使った作品、あるいは壮大な《7000本のオーク》といった実践は、硬直した現代社会を融解させ、生命力に満ちた創造的な社会へと変革するための試みであった。
本講座は、この「創造性」が、一部の専門家のものではなく、日常を生きる私たち一人ひとりの内にある根源的な力であることを認識させてくれた。美術に詳しくない人でも、彼の生涯と作品が「社会を変える」という壮大な目的を持っていたことを知れば、日常の活動一つ一つに新たな意味を見出すことができるだろう。アートが私たち自身の人生と社会に直結していることを「自分事」として捉え直す、解放感に満ちた体験であった。

講師:国立国際美術館 主任研究員 福元崇志氏、ARTS STUDYディレクター:山下和也氏
注釈
(※1)ヨーゼフ・ボイスの芸術概念は日本では「社会彫刻」という言葉で一般的に知られている。しかし、彫刻(sculpture)は「sculpt(切る、刻む)」に由来し削ってゆく行為、彫塑「plastic(可塑性のある)」は粘土を使ってモデリングするような加えてゆく行為として意味が異なる。その語彙をふまえて「社会彫刻」ではなく「社会彫塑」という言葉を使い講座を進めた。
ARTS STUDY 2025について
本レポートで紹介した講座は、【ARTS STUDY 2025】の一部である。この講座は「ヨーゼフ・ボイスと考える」と題され、全3回(2025年11月14日、1月9日、1月30日)にわたって開催される予定であり、ヨーゼフ・ボイスの芸術を多角的に掘り下げ、彼の思想と現代社会との接点を探求する。
この連続講座は、「つくる」という人間の根源的な営みを、美術史や理論だけでなく、現代的な視点から捉え直すことを目的にしている。美術に専門知識がなくても、社会や人間、創造性に関心を持つすべての人々に向けて開かれているプログラムであり、私たち自身の生き方や価値観に深く関わる、共感と発見に満ちた学びの場となるだろう。
ARTS STUDY 2025 | アートの学びとつどい:https://cap-kobe.com/arts-study2025/