展評「藤本壮介展――太宰府天満宮仮殿の軌跡」太宰府天満宮宝物殿(福岡県太宰府市)秋丸知貴評

太宰府天満宮 仮殿
(2025年7月24日筆者撮影)

 

藤本壮介展――太宰府天満宮仮殿の軌跡

会期:2024年8月10日(土) – 2025年8月31日(木) 9月15日(月祝)
休館:月曜(8/11、8/25、9/15を除く)
時間:9時00分-16時30分(入館は16時00分まで)
会場:太宰府天満宮宝物殿
(福岡県太宰府市宰府4-7-1)

 

現在、九州福岡の太宰府天満宮宝物殿の企画展示室で「藤本壮介展――太宰府天満宮仮殿の軌跡」が行われている。好評のため、会期は9月15日まで延長されている。

一般に、建築家・藤本壮介(1971‐)は、現在開催中の「2025年日本国際博覧会」(大阪・関西万博)の会場デザインプロデューサーとして、世界最大の木造建築物とギネス世界記録に認定された《大屋根リング》を設計したことで知られている。また現在、現代アートのトレンドセッターである森美術館では、初の大規模個展「藤本壮介の建築:原初・未来・森」(2025年7月2日-2025年11月9日)が開かれている。今、藤本は、国内はもちろん海外から最も注目されている現代日本の建築家の一人であると言って良いだろう。

 

参考 大阪・関西万博 大屋根リング
(2025年6月13日筆者撮影)

 

参考 「藤本壮介の建築:原初・未来・森」展 森美術館
(2025年7月29日筆者撮影)

 

よく知られているように、平安時代に学者・政治家として社会改良に努め右大臣にまで昇進した菅原道真(845‐903)は、讒言により太宰府に左遷された。その墓所の上に創建され、道真公を祭神として祀るのが太宰府天満宮である。以来、太宰府天満宮は、1100年以上続く「天神信仰」の聖地となり、全国に約12,000社ある天満宮の総本宮として国内外から篤い崇敬を集めている。

太宰府天満宮は、道真公の生誕日と命日に関わる「25」という数字を重視している。そのため、25年ごとに式年大祭を執り行い、信仰を新たにすると共に、伝承事物を次代につなぐために様々な整備や修理を行ってきた。2027年には薨去1125年にちなむ「菅原道真公1125年 太宰府天満宮式年大祭」が予定され、それに向けた記念事業の一つとして、2023年5月から御本殿の大改修が行われている。

 

参考 太宰府天満宮 御本殿
(提供:太宰府天満宮)

 

現在の御本殿は、1591年に筑前国主小早川隆景によって再建された。檜皮葺の大屋根に唐破風造りの重厚な向拝を持つ安土桃山時代の貴重な建築であり、国指定重要文化財である。この前回から124年ぶりの御本殿の「令和の大改修」は、約3年かけて行われる。檜皮屋根の葺替えをはじめ、漆塗り・金箔・装飾等の修復には、古式ゆかしい日本の伝統技法が用いられている。

その間、御本殿の前に建てられ、道真公の御神霊が遷座して祭祀が行われるのが仮殿である。注目すべきは、通常そうした仮殿は簡素な建物が建てられるのに対し、今回の仮殿は屋根に草木が生い茂る斬新な現代建築である点である。この奇抜な仮殿のデザイン・設計を担当したのが、藤本率いる藤本壮介建築設計事務所である。

 

太宰府天満宮 仮殿
(2024年7月7日筆者撮影)

 

神社として型破りなこの取り組みには、道真公の直系の子孫で、2019年に就任した当代の西高辻󠄀信宏第40代宮司の強い信念が反映している。それは、「変わらないために変わり続ける[1]」というものである。

伝統というと真っ先に「変わらないもの」を多分みなさんはイメージされていると思います。しかし、太宰府天満宮は1100年の歴史がありますが、その移り変わりを見ると、本当に色んな浮き沈みがあり、世の中が変わっていく中でどうあるか、ということに非常に苦労した、頑張ってきた歴史でもあります。その中で、何を大事にして変えないようにしているかというと、まずは神社なので、祈り・御祭を綿々と続けていくという部分です。それ以外のことについて考えると、1つは環境です。神道では、自然とどうやって共生していくかということが大切で、自然環境をどう残していけるかをずっと考え続けていて、今も考えています[2]。

その上で、次のように続けている。

このように変えないものがありながらも、逆に変わっていく部分も多くあります。社会は常に動いて変化していくので、その中で変わらずに同じところに留まっていると、社会と隔絶してしまうというか、離れてしまうんですね。そうならないためにどうしたらいいかというと、変えないものを持ちながらも、社会に合わせてフレキシブルに動いていく、ということも必要になってくるのではないかと思います。その中で少しずつ動いたり、逆に社会や世の中を先取りしたりすることで、長く続いてきたんだと思います[3]。

社会が変化する以上、現状維持では衰退を招かざるをえない。変えるべきでないものは大切に守りつつ、変えるべきものには果敢にチャレンジする必要がある。

例えば、当代の祖父に当たる西高辻󠄀信貞第38代宮司は、1950年代末にいち早く将来の車社会を見越し、大借金をしてまで1000台収容できる広大な駐車場を、敢えて境内から500メートル以上離れた参道の手前に作っている。それは、太宰府天満宮を取り巻く地域全体の活性化を考えたからであった。当時は変わり者扱いされたというが、その先見の明は現在の門前町の賑わいで証立てられている。

そのように、常に太宰府天満宮は、古いものを受け継ぐと共に、変化する時代に合わせて率先して新たな試みを行ってきた。そこには、子孫として道真公の利他の精神を継承し、どうすれば人々の心の拠り所になれるかを常に考える歴代宮司の真摯な内省と決断があった。そうした筋の通った革新の蓄積こそが、1100年以上人々に愛され続ける太宰府天満宮の伝統の内実に他ならない。それは、文字通り「温故知新」「不易流行」の実践である。

元々、道真公自身が、そうした伝統に基づく革新の推進者であった。政治面では、財政再建と健全な税収のために従来の人頭税を土地税に変える抜本的な政治改革の礎となっている。また、学術・芸術面では、当時の先端文化である漢学や漢詩に若くして通暁していた。その一方で、892年には中国の類書に倣い、従来の日本の歴史書をテーマ別に再編し先例を検索しやすくした『類聚国史』を編纂している。また、和歌も含む詩歌の名手であり、893年に万葉集から古今和歌集までを撰して漢訳し日本の美意識を国外に紹介する『新撰万葉集』も編集したと伝えられている。さらに、894年には唐の衰退を察して遣唐使の廃止を提言し、後の国風文化成立の機縁ともなっている。

つまり、太宰府天満宮が変わらぬものを保持しつつ変えるべきところを積極的に変えていくのは、正に「和魂漢才」を主張した道真公以来の精神的伝統なのである。

 

太宰府天満宮 仮殿
(提供:太宰府天満宮)

 

道真公の故地であり、長年の信仰の歴史という揺るぎない核を持つからこそ、様々な新しい発想も取り入れることができる。厳粛な神事は固守しながら、それ以外の領域でコラボレーションすることで、神社の魅力を再構成し、人々の集いを生んでいく。そうした朗らかで前向きな意志を、近年の太宰府天満宮の様々な取り組みからは感じられる。

そうした自由な発想や人々の集まりを生み出すためには、アートが有益である。元々、西高辻󠄀信宏第40代宮司は東京大学文学部美術史学科の出身で、現代美術にも造詣が深い。2006年からは、「太宰府天満宮アートプログラム」を始めとする様々なアート事業が精力的に推進されている。そこでは、アーティストと協働して境内や宝物殿で展覧会やワークショップ等が多数開催され、地元に活気を創出すると共に、国内外へ日本の伝統文化の魅力も広く伝えている。今回の先進的な仮殿の取り組みも、正にその一環である。

元来、神社は人々の交流の場であり、最新文化の発信拠点であった。特に、道真公は「学問の神様」であると共に「文化芸術の神様」としても信仰されているため、太宰府天満宮には常にその時々の最先端の芸術作品が奉納されてきた。その意味で、今回の一見斬新に見える仮殿も、やはり太宰府天満宮の文化的伝統に則ったものである。御本殿については伝統を堅持しつつ、仮殿は期間限定であるからこその大胆な挑戦であろう。 

 

太宰府天満宮 仮殿
(提供:太宰府天満宮)

 

当初、依頼を受けて太宰府天満宮を訪れた藤本は、「天神の杜の緑がとても豊かであること、御本殿の屋根が大きくて美しいこと」が強く印象に残ったという。また、御本殿右手前にある道真公を慕って京都から飛来したという伝説を持つ「飛梅」に感銘を受けて、周囲の草木が屋根の上に飛翔して浮かんでいる着想を得たという[4]。

現に、楼門をくぐると、仮殿の屋根は、半円形の曲面が手前に深く傾斜しつつ背後と同じ暗色の細い柱で支えられているので、まるで空中に浮遊しているような印象を受ける。それと共に、周囲の樹葉と空中で連続しているように感じられるので、境内全体が大自然に包まれているようにも感受される。

実際に、この屋根の植生には太宰府天満宮の花守達により境内で育てられた梅の木も含まれている。また、合計60種類以上の21本の樹木と下草が植栽され、四季折々の変化を愛でられるように考慮されている。これらにより、万物に魂が宿るとする自然崇拝こそが神道のルーツであり、古来日本人が共生してきた大自然をこれからも大切に守らなければならないというメッセージも感得される。

とはいえ、人によっては、屋根を草木で覆うのは少し異常に思われるかもしれない。しかし、実は従来の御本殿の檜皮葺の大屋根も元は植物である上に、苔に広く厚く覆われている。生きて呼吸する植物質の屋根という点で、この草木の繁茂する仮殿はそうした伝統日本建築の現代的解釈ともいえる。そのことは、仮殿の迫力ある屋根の急勾配自体が、背後の御本殿の重厚感ある流造の大屋根の反復であることでより強く感じられる。

また、いつかは解体される仮殿の屋根に草木を植えることに少し抵抗を感じられる向きもあるかもしれない。しかし、この屋根の草木は、約3年後の仮殿の解体後は周囲の「天神の杜」に植え直すことが決まっている。この天神の杜には樹齢1500年を超える国指定天然記念物の大樟があり、植え直された屋根の草木もまたさらに同じ以上の年月を守られていくだろう。そうした前後合わせて3000年以上の時間感覚を有する今回の仮殿は、西高辻󠄀信宏第40代宮司が尊重する過去を引き継ぎ未来に受け渡す神道の「中今(なかいま)」の精神の体現ともいえる。

なお、現代日本建築の文脈上、こうした屋根の上に植物が繁茂する建築は、エミリオ・アンバスの1995年の《アクロス福岡》(福岡県福岡市)、藤森照信の1995年の《タンポポハウス(藤森照信邸)》(東京都国分寺市)や1997年の《ニラハウス(赤瀬川原平邸)》(東京都町田市)等の先例を踏まえている。さらに言えば、こうした浮遊感のある建築と屋上庭園は、1926年にル・コルビュジエが提唱した「近代建築の5原則」という現代西洋建築の文脈も有していることを付言しておこう。

 

太宰府天満宮 仮殿斎場
(提供:太宰府天満宮)

 

仮殿の斎場部分に入ると、軒が低く深いため空間が内側と外側に仕切られているように感じられるけれども実際には全く遮蔽されていない。また、天井の中央には円形の天窓が設けられており、そこから見上げると青空や屋上の植物が目に入る。そのため、この厳かな黒色を基調とする聖なる空間は、やはり大自然に開かれ包含されているように感受される。

こうした「森」のような相互浸透的な開放性は、建築家としての藤本の特徴でもある。藤本建築と神道の親和性を洞察し、今回の仮殿の設計者に抜擢した西高辻󠄀信宏第40代宮司の審美眼は鋭く確かと言うべきであろう。

なお、御帳と几帳は、パリ・コレクションに参加する世界的なファッション・ブランドMame Kurogouchiのデザイナー黒河内真衣子が手掛けている。ここでも、几帳には太宰府天満宮を象徴する梅や樟等の植物を基に古代の染色技法で染めた糸が用いられると共に、御帳にはオーロラ箔の糸やジャカード織機等の現代の織物技法も使用され、伝統と現代の調和が図られている。また、柄のモティーフには境内に息づく草花が取り上げられると共に、多様な色彩の糸のグラデーションで季節や時間の推移が表現され、大自然との一体感も醸し出されている。

これに加えて、音響はサカナクションの山口一郎率いる株式会社NFが監修している。また、照明は面出薫が主宰する株式会社ライティング・プランナーズ・アソシエーツが担当している。これらにより、この斎場は当代一流のクリエイター達の創意工夫が結集した特別な空間となっている。

 

展示風景
(2025年7月24日筆者撮影)

 

とはいえ、藤本にとって神社建築の設計は今回が初めてであった。そのため、結局は第一印象に基づく最終案に収斂するものの、そこに至るまでに様々な試行錯誤があった。そうした仮殿の構想から完成までの模索の過程を鑑賞できるのが、今回の展示の見どころである。

展示室に入ると、左右の壁面や3つの展示台には、無数の試案が想像図や模型として展示されている。それにより、中央最奥の100分の1模型で示されている現行案に到達するまでに、この仮殿のデザインが一見単純な思い付きのように見えながら実際には極めて入念に練り込まれた思考の産物であることが具体的に体感できる。

また、正面の壁面には、仮殿の屋根に植えられている植物の季相図や、その最先端の屋上緑化技術が詳しく図解されている。これにより、四季の移り変わりによる仮殿の外観の変化をイメージできると共に、台風でも被害がなかったのは植えられた草木の根元が椀状の屋根にしっかりと埋め込まれているからであると理解できる構成になっている。

 

展示風景
(2025年7月24日筆者撮影)

 

藤本壮介は、1971年北海道生まれ。1994年に東京大学工学部建築学科を卒業後、2000年に藤本壮介建築設計事務所を設立。現在、日本(東京)、フランス(パリ)、中国(深圳)の3ヵ国に設計事務所を構えている。個人住宅から大型公共施設まで世界各地でプロジェクトを次々と完成させ、国内外で受賞歴多数。2009年からは、東京大学特任准教授も務めている。

なお、この太宰府天満宮の《仮殿》と大阪・関西万博の《大屋根リング》は、どちらも新型コロナ禍で世界の将来が不透明な状況下にほぼ同時期に構想されている。そして、いずれも仮設的ゆえに前衛的であると共に、日本の伝統的な木材建築を最新技術で現代的に翻案した未来志向の作品であることを付記しておこう。

 

[1] 生活に根付いてこそ、文化は残っていく。“祈りの場”である太宰府天満宮が地域と歩んだ1100年とその先 – XD(クロスディー)

[2] 「変わらないように見せるために、いかに変わるか」 太宰府天満宮 1100年の変遷【F17-2C #2】 | 【ICC】INDUSTRY CO-CREATION

[3] 同前。

[4] 期間限定で天神さまが過ごされる特別な仮殿|式年大祭|太宰府天満宮

 

 

太宰府天満宮公式ウェブサイト

菅原道真公1125年太宰府天満宮式年大祭|太宰府天満宮

境内美術館|太宰府天満宮

sou fujimoto architects / 藤本壮介建築設計事務所

 

 

 

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美術評論家・美術史家・美学者・キュレーター。 1997年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業、1998年インターメディウム研究所アートセオリー専攻修了、2001年大阪大学大学院文学研究科文化表現論専攻美学文芸学専修修士課程修了、2009年京都芸術大学大学院芸術研究科美術史専攻博士課程単位取得満期退学、2012年京都芸術大学より博士学位(学術)授与。 2013年に博士論文『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』(晃洋書房)を出版し、2014年に同書で比較文明学会研究奨励賞(伊東俊太郎賞)受賞。2010年4月から2012年3月まで京都大学こころの未来研究センターで連携研究員として連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の研究代表を務める。2023年に高木慶子・秋丸知貴『グリーフケア・スピリチュアルケアに携わる人達へ』(クリエイツかもがわ・2023年)出版。 主なキュレーションに、現代京都藝苑2015「悲とアニマ——モノ学・感覚価値研究会」展(会場:北野天満宮、会期:2015年3月7日-2015年3月14日)、現代京都藝苑2015「素材と知覚——『もの派』の根源を求めて」展(第1会場:遊狐草舎、第2会場:Impact Hub Kyoto〔虚白院 内〕、会期:2015年3月7日-2015年3月22日)、現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展(第1会場:両足院〔建仁寺塔頭〕、第2会場:The Terminal KYOTO、会期:2021年11月19日-2021年11月28日)、「藤井湧泉——龍花春早 猫虎懶眠」展(第1会場:高台寺、第2会場:圓徳院、第3会場:高台寺掌美術館、会期:2022年3月3日-2022年5月6日)、「水津達大展 蹤跡」(会場:圓徳院〔高台寺塔頭〕、会期:2025年3月14日-2025年5月6日)等。 2010年4月-2012年3月: 京都大学こころの未来研究センター連携研究員 2011年4月-2013年3月: 京都大学地域研究統合情報センター共同研究員 2011年4月-2016年3月: 京都大学こころの未来研究センター共同研究員 2016年4月-: 滋賀医科大学非常勤講師 2017年4月-2024年3月: 上智大学グリーフケア研究所非常勤講師 2020年4月-2023年3月: 上智大学グリーフケア研究所特別研究員 2021年4月-2024年3月: 京都ノートルダム女子大学非常勤講師 2022年4月-: 京都芸術大学非常勤講師

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