枠から外れた子どもたちの、枠を超えた冒険の記録
友人の編集者・ノンフィクションライターの末澤寧史さんと後輩のデザイナのー原田祐馬(UMA/design farm)さん、編集者の多田智美(MUESUM)さんの3人が出版社を作ったという。この出版不況でコロナ禍というご時世に、その話だけでもかなり驚いたが、第一弾が、東京大学で実施されていた「異才発掘プロジェクトROCKET」のドキュメントブックと言うことで二度驚いた。
「異才発掘プロジェクトROCKET」は、NHKのドキュメンタリーでたまたま少し拝見したこともあり、面白い取り組みだなと思っていたのだ。正確には、「異才発掘プロジェクトROCKET」と言って、東京大学先端科学技術研究センターの中邑賢龍研究室と日本財団のプロジェクトであり、いわゆるProject Based Learning(PBL)のプログラムである。ROCKETとは「Room of Children Kokorozashi and Extra-ordinary Talents(志と変な才能をもつ子どもたちの集まる場所)」の略であり、プロジェクトルームのある東京大学先端科学技術研究センターの1号館が、かつて東京帝国大学航空研究所であり、航空宇宙研究の発祥の地であることにちなみ、地球を飛び出すような推進力のある子どもを育てたいという想いから付けられたという。
「学校の枠をはずした」とタイトルに付けられているが、東京大学で実施されているので、もっとも「枠内」のプロジェクトだと思うかもしれない。学校とはすなわち、フーコーが指摘するように、近代において作られ、工場や軍隊のような規律的な労働や役務に適合するように、教育する予備課程としてできているところがある。実際、日本の小学校や中学校の校舎は、ドイツの陸軍宿舎をモデルにしたと聞いたことがある。その頂点に、東京帝国大学、現在の東京大学があるので、「学校中の学校」と言えなくもない。その「学校の学校」がなぜ枠を外す必要があるのか?
近代の軍隊と重工業主体の富国強兵にも、戦後の製造業主体の経済成長にも、規律的な教育は求められていたし、勤勉な国民性もあって、戦前は軍事強国、戦後はGDP2位の経済大国にまで成長した。そのような画一的な教育がまったく通用しなくなったのは、冷戦終結後、グローバリズムの時代が訪れ、旧東側諸国や共産圏の国々の市場が開け、低賃金の労働市場が飛躍的に広がったことと無縁ではない。代わりに、先進国は新たなサービス産業や90年代以降に発達するインターネット産業などに移行しなくてはいけなくなった。そこにおいて、規律的な教育はほとんど通用しない。求められるのは新たな発想と、多様性を抱擁するコミュニケーション能力である。
新たな発想をする子どもたちは、近代的で画一的な教育システムからは落ちこぼれることが多い。しかし、むしろ落ちこぼれた子どもたちの方が、これからの社会で役に立つ可能性はあり、みすみすそういう人材を見逃しているのではないか、という反省がある。かといって、そのような人材をどうやって育てればいいのか?それはまだ確立されておらず、世界的にも模索されている段階である。注目されている例でいえば、イタリア発のモンテッソーリ教育で、棋士の藤井聡太やGoogle創業者のサーゲイ・ブリンとラリー・ペイジ、アマゾン創業者のジェフ・ベゾスなどが学んだことでも知られている。簡単に言えば、規律よりも、子どもの自発性や創造性を重んじる教育方法といえるだろう。日本は、そのような逸脱した子どもたちや突出した子どもたちへの教育は極めて遅れているといってよいだろう。
そのような背景の中で、「異才発掘プロジェクトROCKET」は、「エジソンのような天才を生み出すプロジェクトを作れないか?」という日本財団のオファーを受けて、特異な才能を持ちながら、義務教育になじめない子ども達を集って、新たな可能性を探るプロジェクトとして発足された。実際、ディレクターとなった中邑も、「学校に行っている子どもには突き抜けた教育を行いにくい」「学校をつくれば法律の縛りで突き抜けた教育を行いにくい」「学校に行かない子どもには学校を飛び出した意思と学びへの想いがある」「学校に行かない子どもには目的も教科書も時間割もない自由な学びがある」「英才教育から持続的イノベーションを生み出すことができるかもしれないが、破壊的イノベーションはもっと自由な学びからしか起きない」と考えていたという。そこで、学校のカリキュラムではない、プロジェクトベースの教育プログラムを組み、ギフテッドと言われる、特別な才能を持つケースも含めて、広く凸凹(得意・不得意)のあるユニークな子どもたちを集った。
50のミッションというのは、2014年から2019年まで、総勢128名の子どもたちに実施したプロジェクトの中から抜粋したものだ。ミッションとあるように、何かを実施する指令となっており、「イカの墨袋を破らずに取り出し、パエリアをつくれ!」や「北海道の原野で鹿の角を探して、カトラリーをつくれ!」「6日間の過酷な漁師生活を耐え抜け!」「障害者スポーツの祭典とナチスドイツの共通点を探れ!」「山手線の長さを計れ!」などといったユニークなものが並ぶ。基本的には職業体験のような体験学習をより抽象的、哲学的にした内容が多い。中でも「作れ」というミッションが目立つのが興味深い。背景にある思想はよくわからないが、社会を自分達の頭と体を使って調べ、作ることが念頭に置かれているように思える。実際、子どもたちは、そのような経験を経て、義務教育とは異なる今までにはない角度の学びの可能性感じているコメントが並ぶ。
いっぽうで、これは別の意味での命令形の教育で、自発性は養われないのではないか、あるいは、非常に特別に優遇されたプログラムで、万人に開かれないのではないか、という疑問もわく。最初の疑問については、最初はテーマを与えることから始め、その次の段階として、自分の研究をするために、申請が可能のようになっているという。確かに最初に出会いがなければ、意思も生まれない。次の疑問については、確かにそうだろう。海外も含めた旅や、猪子寿之(チームラボ代表)、山崎直子(宇宙飛行士)、平田オリザ(劇作家・演出家)、養老孟司(解剖学者)などの豪華なゲストの講演や共同プロジェクトなどは、潤沢な予算があるから可能なことである。だから、必ずしも開かれたメソッドということではないが、豊富な体験や先人の声を聞く機会を与えるということは参考になるだろう。
また、ミッションに何らかの一貫性や思想があるのか疑問に感じていたら、最後のミッションに、「この本のカバーをはずせ!」、とある。外してみたら表紙には、「ミッションなんて思いつき!」と書いてある。そのような読者の疑問を想定してのことだろう。末澤さんが本のカバーをとり、表紙のデザインとの差を愉しむ「本のヌード」展というプロジェクトを行っていることもあって、著者、多田さん、原田さんと相談して装丁したという。このような細かい仕掛けがなされているところも、この本のユニークさである。
とはいえ、このミッションは単なる思いつきと鵜呑みにするのも早計だろう。先に書いたように、子どもの職業体験のような具体性のあるものではなく、かなり抽象的なテーマを基にした体験になっている。これを体験したからといって、何かに習熟したり、すぐ社会に役立つわけではない。もっと社会全体を成り立たせている仕組みや関係にいて、哲学的に深く学ぶことが求められおり、「明確な目的や短期的な成果」は注意深く排除され、「予期せぬ出会いや場」が提供されている。新しい何かを生み出すためには、「よくわからないけど、おもしろい!」と思えることが重要だからだ。
特に、あとがきに「ROCKETはた、子どものユニークさを尊重し自由に進ませる場所のように見えるが、間違った方向に進みそうなら立ちはだかることをポリシーとした」とあり、凹凸のある子どもの才能をそのまま伸ばすということではなく、壁となるようなミッション、ディレクターが壁となって、ぶつかりながら議論をし、互いの凸凹を認め合うような場になるよう心がけているのではないか。それは義務教育よりも、より効率的となってきた才能教育とは異なる方向性であろう。才能教育が進化すると、反対に義務教育しか受けられない子どもたちはみんな落ちこぼれとなり、格差はさらに広がる。本当に必要なのは、凸凹があったり、凸凹がない子どもたちも、みんなが生きられる目的のない余白や許容性を持つ社会だろう。
このプロジェクトがこの後どのように波及するかわからないが、東京大学の研究室が、規範的ではない子どもたちの教育プログラムを実施するというのは画期的であるし、ここで得られた知見が、時間をかけて多くの教育に伝播することで、より多様性のある社会になることを期待したい。
デザインに関しては、タイトルの金字や見返しの銀、開きやすいように無線綴じながら、表紙に折れ目が入れてあったり、細かいところがふんだん工夫されている。原田さんや多田さんのような、「異才」が参加していることも、この本を豊かにしていることがよくわかる。3人とも現在は関西を拠点にしており、原田さんと多田さんは、長年コンビを組み、日本各地の地域と連携したデザインや編集を手掛け、ユニークな提言や媒体を使った展開を行うことで評価が高い。また、末澤さんはかつて出版社に勤務しており、地域活性化の様々な取り組みを書籍化してきた。さらに、トルコに留学経験があり、異文化共生のノンフィクションでも質の高い仕事をしている。その意味からすれば、東京大学の「異才発掘プロジェクトROCKET」も彼らにとっては、多様性と創造性のある社会を作る試みの一つということなのかもしれない。どく社と名づけられた出版社の第二弾にも期待したい。
追記
本書には、関わった制作者のクレジットの他に、カバーや帯、表紙、本文に使われた紙の種類も記されている。これは原田祐馬(UMA / design farm)が手掛けるデザインの全てに見られることだが、紙も一つのプロダクトとして敬意を払い、記載するという姿勢は素晴らしい。私も編集を手掛けることもあるが、不勉強ながら細かく紙を見てないので、このようなクレジットがあると勉強になるし、読者が気にかけるきっかけにもなるだろう。電子書籍が普及した現在、「紙の本」はこのような読みやすさの背景にある造本デザインにこそ価値があると思う。