「いかにしてともに生き、ともに学ぶか-バウハウスからT.A.Z.…そして“コミュニタス”へ」伊藤俊治

いかにしてともに生き、ともに学ぶか―バウハウスからT.A.Z.…そして“コミュニタス”へ

Calo Bookshop & Cafe10周年記念シンポジウム「統合する力へ アートと学びの場の未来」2014年3月15日(土)芝川ビル モダンテラス

伊藤俊治

いかにしてともに生き、学ぶか

ちょっとおおげさなタイトルをつけたんですけど、これは、ロラン・バルトが死の直前にコレージュ・ド・フランスで行った最終講義のタイトルをもじったものです。バルトはコレージュ・ド・フランスの教授に1976年に就任するんですけど、最後の通年講義で『いかにしてともに生きるか』というタイトルを掲げて、ともに生きることの可能性をテーマにして連続講義をおこない、その講義録も出ています。

バルトの『いかにしてともに生きるか』というのは、ギリシャのアトス山の修道院や原始キリスト教の隠者の庵であるとか、トーマス・マンの『魔の山』にでてくるサナトリウムだとか、アンドレ・ジッドの『ポワチエの監禁された女』の幽閉部屋とか、人と人がともに生きる、生活を共にするいろんな場所や空間を取り上げながら、孤独と集団性の間にある多様な生きることの様態を考察したものなんですね。

今日は、コミュニティの問題から、ヴィクター・ターナーが言った“コミュニタス”というものへ移行していくことが果たして可能なのか、ということを中心にして話します。バルトは『いかにしてともに生きるか』で、独特の共生の思想をなんとか浮かび上がらせようとしたんですけど、最初の思考の旅の出発点だったのが、ジャック・ラカリエールという小説家が書いた『ギリシャの夏』という作品でした。バルトはそこに描きだされるギリシャの聖なる山アトスの滞在記に強く魅かれてしまいます。ギリシャの北東部、エーゲ海に突き出たアトス半島は東方正教の中心地で修道士たちの共同生活の庵がそこに散在しているんですね。

村上春樹のファンの人は『雨天炎天』という旅行記の中で、村上春樹がアトス山に滞在した4泊5日の旅行記を前半に書いているのを思い出すかもしれません。「アトス―神様のリアル・ワールド」というサブタイトルがついています。15世紀以降、18歳を過ぎた男性だけの緩やかな規律の中での共生空間がそこで営まれていました。自治権があって船で渡るんですけれども、女の人は入れないから、バルトは恋人同士ではない複数の人間からなる共同体の可能性といったものをアトスの修道院の共同生活の中に見出そうとするんですね。

テーマをアルファベット順につなげ、群島のようにそれぞれのアイテムを対比しながら話していくバルトの思考は難解ですが、その隙間に、ともに生き、ともに学び、ともに与えあうという生の可能性の旅が示されています。

伊藤俊治氏

バウハウスとインターメディウム研究所(IMI)

さて、IMI[注1]は、1996年の4月ですから今からもう20年近く前に大阪に開校されて、当時僕が開校の弁を書いたんですけれど、ドイツのバウハウスを元に構想しました。

バウハウスはご存知のとおり建築小屋というかバウヒュッテから発生していて、もともと中世に大聖堂を作るときに、ケルンの大聖堂ですけど、そのまわりに作られた職人たちの掘っ立て小屋だったんですね。当時、大聖堂を作るという大きいヴィジョンをがあり、そのための実践的な現場小屋を作るという具体的な方策があって、その流れがバウハウスにも流れ込んでいます。

だから、バウハウスはもちろんアーティストとかクリエイターが相互に交流しあう共同体的イメージがあるんですけど、実際には社会が必要とする創造的な活動の課題を自分たちで引き受け実践していく行動組織のイメージが強いように思います。

バウハウスはワイマール、デッサウ、ベルリンと3回移動しているんですけど、IMIも中津と南港と千里と3度移動して、今日それぞれの場所で学んだ方々がたくさん来ていらっしゃると思います。その度ごとにかなり大胆にシステムとカリキュラムを変えて、講師の先生方も多岐に渡って、その時代時代に即応した創造と教育の実践といったものをおこなってきました。

バウハウス自体も何か固定した型であるというよりも生きた未来の運動というべきものでしたから、バウハウスが1932年に閉鎖した後も、亡命したりしていた教師たちがたくさんいたので、ニューバウハウスとかイリノイ工科大学とか、ウルム造形大学だとかMIT(マサチューセッツ工科大学)のメディアラボだとか、そういった形でその遺産がさまざまな種になって受け継がれています。

[注1]インターメディウム研究所の略称。「デジタル時代のバウハウス」をコンセプトに、アートとテクノロジーをつなぐ新しい人材の育成を目指して大阪に設立された社会人向けの学校。このシンポジウムで伊藤氏の講演に先立って対談を行った、港千尋氏(写真家・評論家)と畠山直哉氏(写真家)もIMI開校当初からの講師。

デジタル・バウハウスとT.A.Z.

ちょうど1999年にICC(NTTインターコミュニケーション・センター)で『デジタル・バウハウス―新世紀の教育と創造のヴィジョン―』をキュレーションして、デジタル時代のバウハウス的なムーブメントをまとめる展覧会を企画したんですけれども、そのときはIMIとIAMAS(情報科学芸術大学院大学/岐阜)とドイツ・ケルンのメディアシューレ(KHM: Kunsthochschule für Medien Köln)、フランスのル・フレノア(Le Fresnoy)という4つの学校を選んで、展示でその運動と内容を見せてもらうように依頼しています。ただ、デジタルネットワークが何重にも個人を取り囲んでいる時代におけるバウハウス的な創造活動というのは本当にどういうふうにやるべきなのか問いかけようとしたんですけれども、ドイツに行ったりフランスに行ったりしてリサーチしているうちに、僕の中でちょっと何か別の問題意識が現れてきたんですね。

現在のインターネットの基本的なコンセプトはポール・バランという人によって、よく言われることですけれども、全面的な核戦争で通信攻撃を受けた場合の防御のためのシステム分散化技術として実行され、国家とか巨大な資本によってその必要に応じて展開されてきました。しかし、その支配のネットワークというのは、拡大して浸透していくプロセスの中でエアポケットのようなさまざまな場所を生み出していきます。ハキム・ベイという人がこのような機能転換を生みだすエアポケットのような場をT.A.Z.と呼びました。

T.A.Z.というのは、「一時的自律ゾーン」の略号ですが、もちろんこういう隙間というかエアポケットはサイバースペース上だけではなくて現実の地理的・歴史的な場所においてもさまざまに飛び地として存在していて、ハキム・ベイはそれも対象にしていたんですけど、最終的にはそれは目に見えない、非常にエフェメラルな、名づけられると同時にもう消滅していくような特別な場所として当時は認識されていました。「T.A.Z.は時間のなかに一時的に実際に存在し、空間のなかにも一時的に存在し、WEBのなかにも一時的に存在する。しかしその存在は別種のもの、アクチュアルではなくヴァーチャルであり、直接的なものではなく、瞬間的なものがなくてはならない」というベイの言葉をもう一度思い出してもらいたいと思います。

T.A.Z.の要件として、移動生活集団とか祝祭、精神的彷徨=サイキックなノマディズムとかをハキム・ベイ自身は挙げていたんですけれども、実際のインターネットのようなサイバースペースと現実を結ぶ組織論としていろんな話題を呼んだT.A.Z.理論も、90年代、2000年代というふうに、やがてネットとWEBに傾斜して蜘蛛の巣に絡めとられてがんじがらめになっていくような状況が起こってきます。

コミュニティと“コミュニタス”

このT.A.Z.理論というのは、もとを正すとヴィクター・ターナーがコミュニティではなく“コミュニタス”と言った理論と重なっています。そこから多くのものをハキム・ベイ自身が得ていますし、しかもターナーのコミュニタス理論というのは、実践レベルの問題として今も多くの重要な示唆を孕んでいるように僕自身は感じています。

ターナーも今はあまり議論されることがなくなってしまったスコットランド生まれの人類学者ですが、彼はコミュニティではなく“コミュニタス”という概念を提示して、社会を成立させているのは実は社会関係とか社会構造とか地位とか職業とかそういったもろもろのことではなくて、あらゆる社会に潜在し流れている“コミュニタス”という深い人間的な関係性ではないかと問いかけました。

さっき港さんが、被災地の人が、自分が何か特別なことをしてもらうんじゃなくて、初めて何かこちらが特別なことをしてあげたということによって喜びを見出した、という例を挙げてくれましたけれど[注2]、それもコミュニタスという概念と密接に結びついています。つまり社会にはコミュニタスが発現する場があるんですね。そして、社会にはコミュニタスが発現する必要があるということと関係してきます。

われわれは、通常の日常生活の中ではいろいろな制約とか規則によって分断され切り裂かれて、あるロールというか役割を演じ続けていかなくてはいけない社会生活を送っていますけど、コミュニタスの場では、すべての人たちがステイタスもプライドも男女差も年齢も捨ててひとりの人間として認識されていきます。

ターナーのコミュニタスは、一種の帰還であり社会的に与えられた役割を捨てて平等な関係の元に返っていくことを意味しています。コミュニタスは、社会構造が未分化で流動的で各メンバーが平等でありうるようなひとつの共同体として定義することができます。共生の空間と言ったほうがいいけど、より正確に言うとコミュニタスは構造に対する反構造であり、構造の抑圧がどんどん積み重なって累積化していくことに対抗する解消装置のようなものである、というふうにターナーは見なしたんですね。

逆に言うと反構造という解消装置があるからこそ構造というものが成立する、さらにターナーはコミュニタスを自然発生的なコミュニタスとか規範的なコミュニタスとかいくつかの階層に分類していきますけれど、いずれにしろそこに人々が個人として平等に向かいあう構造化されることのない自由な共同体の概念を見ようとしています。

[注2]港氏と畠山氏の対談の中で、福島県飯館村の人たちとともにおこなったワークショップ「いいたてミュージアム」にかかわった港氏が話題にした、2014年2月の大雪で仮設住宅近くに立ち往生した車の運転手たちに、住人たちが炊き出しをしおにぎりを配ったというエピソードを受けて。

学ぶ場としての巡礼

バルトが『いかにしてともに生きるか』の中で最初に取り上げた、アトスの修道院のゆるやかな共同生活の中にも同じようなものが認められるんですけれど、ターナーはいろいろ具体例を出して分析していて、彼がずっと調査していたアフリカのンデンブ族とかヒッピーのムーブメントなんかも対象にしたりしていますけれども、僕が一番興味を持ったのは巡礼っていうシステムなんですね。

カトリックの巡礼って、出発前に身体を清めることから始めて、懺悔して、道中や聖地についてからの礼拝とか、ミラグロと呼ばれる奇跡を願う奉納品を作るとか、エクスポトと呼ばれる絵馬を作るとか、いろんな細かい段階があって、さらにダンスを踊って歌を歌ってフェリアという市場に参加して、川や泉で沐浴してもう一度浄化されて帰途へ就くという、そういうプロセスを辿っています。ターナーはこういうプロセスを日常性の構造であるコミュニティに対する反構造であるコミュニタスとしてとらえました。そういうプロセスの中で、個人というものの位相が非常に流動化してカオスに触れ無構造になって、再び構造を見直すことができる。

こういう理論は、特に巡礼とか言い出すと、理想化されすぎていると批判を受けることもありますけれども、学校をそういう巡礼的なプロセスを通して生き、学ぶ場として新しく再構築できるんじゃないかということを、『デジタル・バウハウス』を企画しているときに思いついたんですね。だから、未分化だけど創造性を持続させる共生関係のモデルや構造化されて硬直化した社会を再活性化させるためのモデルとして、コミュニタス理論というのはもう一回、誠実に見直されなければいけないんじゃないかと。

ターナー自身は、僕がずっとはまり込んでいる儀礼とか象徴の研究であまりにも有名なんですけど、僕がなぜ儀礼とか祝祭とかそういったものに関心を持つようになったかというと、基本的には儀礼というのは共感、共に感じることの源であり共生のための仕掛けなんだっていうことをターナーが書いていたことに心を打たれたからです。儀礼によってリセットして、折り重なったルーツとルートを再考していくことができる。

ピルグリメイジ(pilgrimage)、巡礼という言葉を出しましたけど、もともとこれは星や太陽に導かれて進む人たちの行列というか群れを意味していた言葉で、最初に命名したのは有名な詩人ダンテです。

サンティアゴ・デ・コンポステーラという有名な巡礼地がありますけれども、星と太陽に導かれてあるルートに進んでゆく人たちの群れを巡礼というふうにダンテは呼んだんですね。巡礼というのはただ聖地を訪ねるだけじゃなくて、宗教以前の、非常に重層化した起源に向かうための働きです。

だから単なる場所の移動じゃなくて人間の生の始まりへ向かう運動だというふうに考えていいと思います。旅をしながら、突然、母親の胸に抱かれていた記憶を思い起こしたり、未来の自分についてあれこれ考えたり、そういう時間をゆっくりと旅しながら味わうことがどんなに大切で幸福なのかを確認する、確信することが巡礼の目的だというふうに言われています。

だから旅に出るとき、実はわれわれは生の始まりに戻って再生するという行為を無意識下で体験しているんですね。日常生活ではまったく体験し得ない状況に直面して時間がとてもゆっくり真新しく過ぎていくとか、周りにあるものに対して普段よりも重要なものだっていうふうに感じ始めるとか、大切なものであるっていうふうに感じ始めるとか、あるいは、生きるためには回りにあるものに頼らなくちゃいけないっていうふうに感じるとかどんなに小さい恵みにも感動を覚えてしまうとか、そういったことが旅の行程の中で頻発して起こってきます。

二つの自然とタリアセン

少し話が変わるんですけれど、この芝川ビルはフランク・ロイド・ライトの影響を受けた建築家の人が作ったものだという話が出ましたけど、ライトが作った建築デザインの学校にタリアセンがあります。

バウハウスの閉鎖と前後して1933年にウィスコンシンに作られて現在も続いているライトの学校です。この学びの場所が特異なのは、毎年5月から10月はウィスコンシンのタリアセンで授業がおこなわれて、11月から4月まではアリゾナのタリアセン・ウエストで、というふうに半期ごとに場所を移動し続けているんですね。しかもその場所の工房とかスタジオはすべて手作りで、タリアセンにいる教師や学生によって作り続けられていく継続的な発展の場なのです。タリアセン・ウエストはアリゾナのソノラン砂漠のパラダイスバレイというところにある非常に広大な土地で、ウィスコンシンは冬がとても厳しいために、初めライトたちは寒さの避難場所としてアリゾナにやって来て、周囲の環境に配慮しながら砂漠の岩とセコイアの木の間にキャンプを張りました。もともとは野営地として学校は始まっています。

星と太陽に導かれる、じゃないですけど、そういう環境の中でいかにして生き学ぶかっていうことを考え生活を共にしながら、あえて大規模な原始的キャンプ生活を想定しながらタリアセン・ウエストが展開されていきました。ライトはシカゴをベースにして活動した建築家ですけど(ターナーもスコットランドを後にしてシカゴ大学で人類学の先生として教鞭をとって、同じシカゴをベースにしているんですが)、タリアセン・ウエストのほうは今でも学生たちが砂漠の中で暮らしています。タリアセン・ウエストはライトが1926~7年から大リゾートホテルのプロジェクトを引き受けて弟子たちと共にデザイン活動の拠点として建設した大キャンプが前身になっています。

「オカテイロ」と名づけられたキャンプハウスで、木造のキャビン15棟で成り立っていたというから相当大きいものだったと思います。そのあと大恐慌が起こって、大リゾートホテルプロジェクトが頓挫してキャンプ地が放棄されてしまう。学生たちは、ライトの思想を、タリアセンというライトが作った学校でウィスコンシンとアリゾナというまったく異なる環境を二つの地で体感して、キャンプという仮設の創造空間の中で異なる二つの自然から活気づけられながら共生して協働することを学んでいきます。それはライトが目指したものだったんですね。

ライトは、先生から生徒への一方的な教授っていうものをまったく信用していなかった人です。そもそも彼は人が人に教えるってことをはなから嫌悪していましたから。だからライトが目指したのは少しでもより経験のある人と自然の導きによって、学生たちが互いに自主的に学んでいくという意欲をどうやってかきたてられるかという雰囲気作りだったんですね。いわゆる実践を通して学ぶ体験的な場作りを学びの核にしようとしていた。しかもそれを同じ場所ではなくて移動しながら巡礼のようにやろうとした。もっといってしまうと、ライトは、二つのタリアセンを、生涯を通じて学んでいく人たちにとってのコミュニタスだと考えました。

ただ建築とかデザインを学ぶだけではなくて、学生全員が農作業とか建設現場小屋での作業、後輩の世話とか料理とか後片付けとか修理とか畑仕事とかいろんなことをそこでやらなくちゃいけない、まあ当然その間にはピクニックとかコンサートとかドラマとかダンスとかディスカッションとかいろんなことがはめ込まれていくわけですけれど、その多様な文化活動の中で、多面的な活動を通して人間の人格というのは築かれなければいけないという、そういう考えがライトの中にあったわけですね。

共異のアート

また話はずれるんですけど、去年のベニス・ビエンナーレの日本館は、田中功起の仮設小屋のような展示で、3.11以降の世界でいかに他者と経験を共有できるかをテーマにしたインスタレーションでした。最近のアートの国際展でやたらこういうコミュニティスペースみたいな展示が多いんですね。

なんでこんな展示空間にするのかと繰り返し思うんですけど、ただ田中くんの展示というのは、要するに、5人の詩人が一編の詩を書くとか、9人の美容師で一人の髪を切るとか そういったプロセスを提示しているわけですね。雑然としたスペースの中で、そういうアートによる抽象化によって、何か共に生きることの手がかりが見つけられないだろうか? 共同の可能性を発見できるかもしれないという雰囲気を漂わせている。

共同って共に同じという字ではなくて共異って言葉のほうがはまるというふうに考えているんですけど、差異を前提にしたコレクティブ・アクトじゃないとコミュニケーションは成立しない気もします。人と人が大きい差異を抱えて、それでも協調しあってひとつの目的を設定して、経験を共にして互いのためにそこにあることを目指す。人は他者と協力して共同作業をしなくては生きていけない動物であるということをその場で確認する。それが初めに述べたバルトの問いかけ、「いかにしてともに生き、ともに学ぶか」のひとつの答えになるような気もしています。

さっきの話とちょっとつながってきますけど、ロラン・バルトは、コレージュ・ド・フランス、フランスのみならず世界最高の教育機関の教授就任の挨拶の中で「これまで自分が学んできたり考えてきたりしたことをすべて忘れさってしまいたい」と述べたんですね。

僕は最近この言葉がいつも心の中に浮かんできて、ヨハネス・イッテンも、バウハウスの入学式のときに「全ての新入生は多くの詰め込みすぎた情報で窒息しそうになってこのバウハウスにやってくるんだけど、本当に自分自身のためになる感覚や認識や経験に達するためには、そういうものは、どんどん、どんどん捨て去っていかなきゃいけない」というふうに話しています。

バルトはまた「叡知というのは少しばかりのsavoir (サヴォワール)=知と、できるだけ多くの味わい=saveur(サヴール)のことである」とも言っています。人生の終わり近くを迎えてですね、自分たちの生に何が欠けているのか、自分たちが生きてきたことにいったい何が欠けているのかということをもう少し考えてみる必要があるかなと、去年還暦を迎えて思ったりもしています。

生きたアートと新しい学びの場

今、生きることも学ぶことも困難な時代で、ただその困難な時代だからこそ自分と向き合って、本当にやりたいことは何でそのために何をすればいいのかということを見つめなおすことが大切になってきている時代だと思います。

そしてアートは、なんと言っても、人間が生きるうえで何が重要で、何が自分にとって情熱を持って取り組めることなのかということを問い直すきっかけを与えてくれるものだと思うんですね。自分が置かれている困難な状況を創造的に捉えかえす事ができるようになる。生きたアートに触れることで人間の感覚とか感性が刷新されて、物事を新しく考え、生きることをポジティブにとらえられるようになるような気はします。もともとアートって楽観主義と活力を与えてくれるものだっていうふうに僕は思っていますから。

そういうことを最近考えてですね、特に去年のベニス・ビエンナーレもその前のドクメンタも、何か大きい地殻変動が起こっているなっていうような、もう少し生きようかなって(笑)いう気を与えてくれるそういう展示がたくさんあって面白かったですね。

IMIの時代もほんとに遠くに過ぎ去ってしまったんですけれども、そのヴィジョンは、放置されたままのようにも思えます。新しく生きて新しく学び直そうっていうふうに思ったのは、その放置されたヴィジョンをなにかもう少し深化させていくことはできないかなっていうことを考えたからなんです。バルトが刺激を受けたジャック・ラカリエールの『ギリシャの夏』に、「何度も生まれ直すことのできる者こそが真の旅人だ」という言葉が出てきます。その言葉を肝に命じて今は生きています。新しい学びの場って、今日話したような、旅と巡礼の中で共に生きて共に学ぶような、テンポラリーなスクールっていったらおかしいな…なにかそういう場になるんじゃないかと漠然と思っていて、みなさんとまた共有できる新しい仕組みができればいいかなとも考えていて、現在構想中です。

それがどういう形になるのかは、またいろいろお話ししたいと思いますけれども、この後の懇親会でもみなさんとさらにそういうことを話しあえればいいかなと思います。ちょっと早いですけれども、これで。今日はわざわざありがとうございます(拍手)。

 

伊藤 俊治(いとう としはる)
美術史家/美術評論家。東京藝術大学先端芸術表現科教授。1953年秋田県生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科西洋美術史専攻修士課程修了。美術や建築デザインから写真映像やメディアまで幅広い領域を横断する評論や研究プロジェクトをおこなう。『20世紀写真史』『写真史』『写真と絵画のアルケオロジー』などの著作、イアン・ジェフリー『写真の歴史』などの訳書多数。「記憶/記録の漂流者たち」(東京都写真美術館)、「日本の知覚」(クンストハウス・グラーツ、オーストリア)など、国内外で多くの展覧会を企画し、文化施設や都市計画のプロデュースも行う。『ジオラマ論』でサントリー学芸賞受賞

著者:伊藤俊治
編集:三木学 石川あき子
装丁:後藤哲也(OOO)
発行:「記憶の学校」実行委員会
発売:Calo Bookshop & Cafe
www.calobookshop.com

本稿は、以下のシンポジウムで行われた講演会を元に加筆、訂正したブックレットを再編して収録いたしました。

Calo Bookshop & Cafe10周年記念シンポジウム
「統合する力へ アートと学びの場の未来」

2014年3月15日(土)
港千尋氏・畠山直哉氏対談 「物質と記憶 -写真がつなげる世界-」
伊藤俊治氏講演「いかにしてともに生き、ともに学ぶか バウハウスからTAZ.…そして“コミュニタス”へ」
会場:芝川ビル モダンテラス(大阪市中央区)

また、2024年11月30日(土)には、
Calo Bookshop & Cafe 20周年記念シンポジウム
「アーカイブの未来 喪失する記憶と生成する記憶」
が開催されます。

14:05 伊藤俊治氏講演「デジタルアーカイブの病と治癒」
15:00 畠山直哉氏・港千尋氏対談「見ることと信じること:生成と消滅の世紀における写真」

すでに会場は売り切れていますが、配信を行います。ご関心のある方はぜひご購入ください。

【ライブ配信】
配信プラットフォーム「ツイキャス プレミア配信」を使用します
シンポジウムのみ 2500円(アーカイブ付)
チケット代の他にツイキャスのシステム利用料160円が別途かかります。
録画のご購入は12/14(土)21:59まで、視聴は12/14(土)23:59までご覧いただけます。
https://www.calobookshop.com/news/archive_no_mirai/

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