三浦篤著『大人のための印象派講座』新潮社・2024年
学生の頃、美術史の碩学高階秀爾氏の講演会に行くと、終了後に高階氏が大勢の聴衆に取り囲まれて「分かりやすくとてもためになりました!」と感激されている場面をよく見かけた。高階氏の特徴は、講演にしろ書籍にしろ、誰でも興味を持つ身近な話題から入り、最後には学界の最新の研究成果をしっかりと盛り込むことである。そうした高い水準での大衆性と学術性の融合は名人芸的に難しく、もうそんな稀有な美術史家は世に現れまいと思い込んでいた。
ところが、三浦篤氏の『大人のための印象派講座』が登場した。『芸術新潮』で連載中から人気を博したこの著作こそ、正にそのスタイルの継承である。三浦氏は長らく高階氏の後任的な東京大学教授として印象派について硬派な研究を堅実に積み上げた美術史家であるが、ソフトな学風も着実に受け継がれたといえる。
日本では、印象派は知名度・人気度共にとても高い。展覧会を開けば確実に観客が入り、本を出版すれば間違いなく売れる。しかし、巷に溢れる印象派本の中には、基本文献であるジョン・リウォルドの『印象派の歴史』を焼き直しただけではないかと思われるものも散見する。それだけこの浩瀚な大著が網羅的で完成された研究書である証拠であるが、何度も同じ内容ばかり聞かされるので誰もがやや食傷気味だったことも確かである。
しかし、この三浦氏の『大人のための印象派講座』は明らかに違う。『印象派の歴史』の共訳者でもある三浦氏は、敢えてリウォルドが確立した印象派神話の刷新に挑んでいる。端的に言えば、それは神格化された印象派の画家達を等身大の人間に引き戻す試みと言ってよい。つまり、前世代の無理解に対し純粋に芸術上の信念を貫いた一枚岩の英雄集団とされる印象派画家達の、むしろ人間味溢れる側面への着目である。そのキー・ワードが、正に少し大人向けの「金銭」「女性」「名誉」である。
古来、男性を動かす主な動機として知られるこの三つの話題は、ややもすると――過去の単発的な類書がそうであるように――裏話の暴露に終始して俗に流れがちである。しかし、本書が最後まで格調高く品の良さを失わないのは、三浦氏が手堅い正統派の美術史家として一貫して全て憶測ではなく根拠ある世界最先端の学術成果に基づいているからであり、さらに一人の人間として人生の機微に対する深い洞察と理解を示しているからである。そのため、良質のドキュメンタリー文学のような読後感があり、印象派画家達により親しみを感じると共に、彼らの絵画により深い魅力を感受することになる。
「金銭」については、アカデミズム画家達は質素な職人階級の出身者が多く、既成の美術体制を登り詰めることで保守化したのに対し、印象派画家達は富裕層の出自が多く一定の経済基盤が自由で革新的な造形実験を支えていたこと。その新しい印象派の絵画が売れるためには、サロン中心の古い「アカデミック・システム」から先進的で投機的な「画商=批評家システム」への転換がうまく機能したこと。それでも、印象派が保守的なフランス本国に受け入れられるのは遅く、経済的な成功の鍵は画商デュラン=リュエルによるアメリカへの販路開拓だったこと。特に、モネの大成功には、「積み藁」等の連作による量産体制という「洗練された商業戦略」があったことなどは、言われてみればなるほどと頷かざるをえない。
「女性」については、マネの《オランピア》で描かれた職業モデルのヴィクトリーヌ・ムーランは後に画家として身を立てた先駆的な自立する女性であり、そうした彼女の独立不羈の個性が《オランピア》の革命的な印象にも寄与していること。そのマネを始め、印象派画家達が妻等の身近な女性を描くことが多かったのは、モデル代を浮かせるためだったこと。また、モネの愛妻との死別と再婚には、一般に思われている以上に繊細な事情とドラマがあること。さらに、印象派画家達の間にも複雑な恋愛模様があり、同じ女性画家でも個性の異なりがあることなどは、どれもそれぞれ納得である。
「名誉」については、一枚岩に思われている印象派には、実際には八回のグループ展において雑多な傾向と様々な変遷があり、いわゆる印象派画家達だけでも、ドガ周辺、モネ周辺、ピサロ周辺という複数の路線と主導権争いがあったこと。さらに、長命な画家ほど成功を享受する反面、ドレフュス事件を機にユダヤ人問題が印象派グループの分裂に大きく影響したこと。そして、印象派がフランスに認められるためにはカイユボットの印象派コレクションの国家遺贈が大きかったが、そこにも様々な駆引きと工夫があったことなどは、いずれも目から鱗である。
昨年一一月に、三浦氏は高階氏の後を襲って大原美術館の新館長に就任した。今後、上質で親しみやすい印象派研究がこの日本最初の近代西洋美術館を中心に展開していくことは間違いないだろう。
※『週刊読書人』2024年6月14日号より転載。