
米ボストン美術館は、「東洋美術の殿堂」と称され、中でも一〇万点を超える日本美術の収蔵品は海外随一の質と量を誇っている。その内、国宝・重要文化財級の厳選された約九〇点の名品による「ボストン美術館―日本美術の至宝」展が、東京、名古屋、福岡、大阪を里帰り巡回中である。
よく知られているように、明治維新後の日本では、西洋的近代化を急ぐあまりに伝統的な古美術品は非常に軽視されていた。
特に明治政府による廃仏毀釈令により、仏画や仏像は多数破壊され、窮乏する寺院は貴重な寺宝を手放さねばならなかった。実際に、現在は国宝である奈良・興福寺の五重塔でさえ、売りに出され薪にされそうになったほどである。
こうした混乱の中で、明治十一(一八七八)年に東京大学で政治学・哲学を教えるために来日したアーネスト・フェノロサは、日本美術の魅力に開眼し、調査研究を進めると共に一〇〇〇点以上を収集した。また、明治十五(一八八二)年に来日
したウィリアム・ビゲローも、資産家としてフェノロサと協力して約四万一〇〇〇点を収集した。この二人を助けたのが、フェノロサに東大で薫陶を受けた若き文部省官僚、岡倉天心である。彼等は急速に失われつつある日本の伝統美術を再評価し、国際的に広く紹介したいと考えていた。
明治二十三(一八九〇)年に、フェノロサとビゲローが収集した大量の日本美術がボストン美術館に寄託される。これを受けて、同館に日本美術部が成立し、フェノロサが初代部長に任命され、翌年にはビゲローが理事に加わる。明治二十九(一八九六)年のフェノロサの辞任後、明治三十七(一九〇四)年からは天心が作品整理に携わり、天心は明治四十三(一九一〇)年からは中国・日本美術部長として収蔵品の拡充に努めた。こうしてボストン美術館には、「西洋人の理解のために日本美術の歴史を示す」(天心)ことを目的とする、体系的で網羅的な一大日本美術コレクションが形成されたのである。
本展の見所は、国宝級の仏画や、長谷川等伯、尾形光琳の屏風、伊藤若冲の掛軸など数多いが、特に在外二大絵巻として知られる《吉備大臣入唐絵巻》と《平治物語絵巻》は、その購入が契機となって古美術品等の海外流出を防止する「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」が制定された点で興味深い。また、修復後世界初公開の《雲龍図》を始め、近年再評価の進む曽我蕭白の逸品群は先見の明を示して圧巻である。
本展で誰もが考えさせられるのは、美術品の散逸防止が海外流出を生んだという逆説である。もちろん、当時は美術品の海外輸出は外貨獲得のために奨励されており、それらは海外で保存されなければ国内では消失していた可能性が高いことは十分に考慮されねばならない。また、日本美術を実物で紹介する国際的な文化交流の拠点が海外にあることも非常に望ましいことである。
しかし、それでもなお、本来は当初から日本の伝統美術は日本人自身こそが手厚く保護すべきだったのではないかという問題は常に再考されても良いだろう。
東京国立博物館
二〇一二年三月二〇日~六月一〇日
名古屋ボストン美術館
(前期)二〇一二年六月二三日~九月一七日
(後期)二〇一二年九月二九日~一二月九日
九州国立博物館
二〇一三年一月一日~三月一七日
大阪市立美術館
二〇一三年四月二日~六月一六日
※秋丸知貴「展覧会評 ボストン美術館――日本美術の至宝展」『日本美術新聞』2012年7・8月号、2012年6月、日本美術新聞社、13頁より転載。