岸田劉生《黒き土の上に立てる女》大正3(1914)年
2012年3月24日に、《麗子像》で知られる岸田劉生(1891〜1929)の初期の油彩画で、半世紀以上行方不明になっていた《黒き土の上に立てる女》(1914年)が、東京都内のオークションに登場し落札された。
事前にマスコミ各紙で「51年ぶりの発見」が取り上げられ、広く注目を集めたこともあり、落札価格は3600万円で、予想価格700万〜1000万円を大きく上回った。出品者・落札者は、共に非公表。この作品は、1961年に雑誌『国際写真情報』に掲載されて以来、長らく所在が分からず、焼失説も流布していた。
この作品は、当時23歳で新婚の劉生が、娘麗子を出産したばかりの1歳年下の妻・蓁(しげる)をモデルに描いたと言われている。副題は「農家の姫」であり、画面中央で胸をはだけ、両足で堂々と大地を踏みしめて立つ農婦は、生い茂る草木と共に、瑞々しい生命力溢れる豊穣のシンボルとして描かれている。画面には、若き劉生の愛情と自信と希望が満ちている。
高く盛り上がる地面に繁茂する緑葉や、背後の晴れ渡った青空は、翌年制作され、同年から劉生が主宰する「草土社」の由来となる《赤土と草》(1915年)や、後に重要文化財に指定される《道路と土手と塀(切通之写生)》(1915年)を既に予告している。人物や背景は非常に具象的に描かれ、当時一般からは時代錯誤や時勢逆行と評された、劉生の写実回帰の実例となっている。
このように、この頃、武者小路実篤を始めとする白樺派との交友から内心の欲求の大切さを学び、ルネサンス絵画に「クラシツクの強い感化」を受けていた劉生は、画壇の主流である、脱リアリズム的・脱寓意的な印象派以降の西洋近代美術の模倣に敢然と背を向け、孤高に自らの欲する細密描写や構想画に取り組んでいた。その西洋近代美術を評価しつつ絶対視しない自由で自立的な態度は、やがて西洋美術そのものを相対化する視点も導き、次第に劉生を《麗子像》を筆頭とする東洋的美意識の追求へと促すことになる。
その点で、この最初の転換期の典型例である《黒き土の上に立てる女》は、劉生の個人画歴において重要であると同時に、日本近代美術史全体にとっても意義深い画期的作品である。長らく失われていた劉生の幻の名作が再び世に現れたことを、心から喜びたい。
※秋丸知貴「時評 劉生の幻の名作、51年ぶりに現る」『日本美術新聞』2012年5・6月号、日本美術新聞社、2012年4月、10頁より転載。