装飾芸術を巡る19世紀末西欧の心性「白田由樹・辻昌子編著『装飾の夢と転生――世紀転換期ヨーロッパのアール・ヌーヴォー(第1巻 イギリス・ベルギー・フランス編)』国書刊行会・2022年」(秋丸知貴評)

 

アルフォンス・ミュシャ《ダンス》1898年

 

「アール・ヌーヴォー」と聞くと、私達には一定のイメージが思い浮かぶ。セピア色に彩られた、植物的・有機的・曲線的・女性的・官能的・耽美的・幻想的な装飾模様。その基調は、懐古調(レトロ)である。

しかし、そこではたと疑問に思う。一体、そんなアール・ヌーヴォーのどこが「新しい(ヌーヴォー)」のだろうか?

一八九〇年代にヨーロッパ中で急速に流行し、一九一〇年代以降あっという間に退潮したアール・ヌーヴォーは、実は極めて捉えにくい芸術運動である。漠然とした集約性はあるものの周縁は拡散し、絵画・彫刻・建築・工芸等のジャンルごとやフランス・ベルギー・イギリス・ドイツ等の国ごとによってもそれぞれ微妙に特徴が異なり、厳密な様式定義は困難である。しかも、基調が懐古調にもかかわらず、それらはある種の実体としてまとめて「新しき芸術(アール・ヌーヴォー)」と呼び慣らわされてきた。よく考えてみれば、不思議である。

従来、そうしたアール・ヌーヴォーは、世紀末の内向的・退廃的な雰囲気とばかり関連付けて論じられることが多かった。確かに、この芸術運動のそこかしこに後ろ向きでユートピア的な子宮回帰願望としての室内愛好的感受性が見出されることは事実である。

しかし、この芸術運動はその一方で、新しい工業素材である鉄やガラスを巧みに加工し、資本主義や民主主義に基づく新しい大衆消費社会への適応も着実に模索していた。つまり、この芸術運動は、退行的な過去志向のみならず進歩的な未来志向も含んでいたのである。その意味で、やはりこの芸術運動が「新しき芸術(アール・ヌーヴォー)」と呼称されるのは故無きことではない。

 

エミール・ガレ《カメオ・ガラスランプ》1900年頃

 

ヘクター・ギマール《パリの地下鉄駅入口》1900年

 

私なりにベンヤミンの顰に倣って言うならば、アール・ヌーヴォーとは既に体の目覚めている人が見る寝覚め間際の夢である。つまり、新しい工業や産業は駆動しているにもかかわらず、人々の古い心性はまだそれに追い付けていない「文化遅滞」(オグバーン)の時期がある。例えば、鉄骨ガラス建築の嚆矢である一八五一年の第一回ロンドン万博の水晶宮は、その露骨な合理性がドストエフスキーに嫌悪された。これに対し、既に自由に扱える新式の工業技術と産業体制を利用しつつ、古く柔らかい大自然の懐に抱かれて安らかに微睡み続ける夢を見ようとしたのがアール・ヌーヴォーの精神なのである。枝葉は分かれるとしても、その根源は一つと言って良い。

 

ジョゼフ・パクストン《水晶宮》1851年

 

別例として、一八八九年の第四回パリ万博で建てられた鉄骨のエッフェル塔の足回りに構造上必要のないレース編みに似た装飾が施されたことや、装飾を罪悪視したアドルフ・ロースの《ロースハウス》(一九一一年)の低層部分にまだ妥協的な古典的列柱が並べられたことも、そうした旧世代への配慮の動向に含まれる。

 

ギュスターヴ・エッフェル《エッフェル塔》1889年

 

アドルフ・ロース《ロースハウス》1911年

 

それでも、やがて新しい技術的現実に順応し、自分の心に正直に従う近代主義者達は、そうした余計で過剰な装飾を再び削ぎ落としていく。一九二〇年代以降、建築では鉄とガラスで無駄の無い幾何学的構成を表象する国際様式(インターナショナル・スタイル)が席巻し、装飾では機械的な直線性を鋭く強調するアール・デコが一世を風靡するだろう。すなわち、アール・ヌーヴォーとは、進み過ぎた現実に一旦心が落ち着くための一種の緩衝地帯であり、前近代から近代への過渡期あるいは準備期間なのである。

 

ミース・ファン・デル・ローエ《ガラス高層建築案》1922年

 

A・M・カサンドル《北部急行》1927年

 

これに似た問題意識から、本書もただの郷愁的傾向のみならず進取的傾向も併せ持つ両義的文化現象としてのアール・ヌーヴォーを分析している。特に、美術史・建築史の知見を踏まえつつ、文学的・文化史的観点による考察に力点を置いているところにその特色と見所がある。取り上げられるのは、イギリス・ベルギー・フランスの動向であり、世紀末のみならず一九世紀後半から二十世紀初頭までの長い時間幅で事実や記録を丹念に追っている。制作側、受容側、支援側を取り巻く様々な思想的・社会的環境が、個別のテーマに沿って丁寧に読み解かれる。科研費の共同研究から出発しているために各論者の記述は非常に手堅く学問的に信頼できるが、美意識や詩的抒情性に事欠いていないことも特筆される。

現代もまた、AIやゲノム編集等の新しい技術が未知の現実をもたらそうとしている。不安と期待の綯い交ざる私達自身の未来を占うためにも、既に同様の経験をした過去の歴史や思想や芸術から学び示唆されることは多い。二〇二〇年代において一九世紀末を探索する本書のアクチュアリティも、そこにある。

続く第二巻のドイツ・オーストリア編の刊行も、楽しみに待たれる。

(初出:秋丸知貴「白田由樹・辻昌子編著『装飾の夢と転生』国書刊行会・2022年」『週刊読書人』2023年1月13日号)

 

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評者: (AKIMARU Tomoki)

美術評論家・美学者・美術史家・キュレーター。1997年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業、1998年インターメディウム研究所アートセオリー専攻修了、2001年大阪大学大学院文学研究科文化表現論専攻美学文芸学専修修士課程修了、2009年京都芸術大学大学院芸術研究科美術史専攻博士課程単位取得満期退学、2012年京都芸術大学より博士学位(学術)授与。2013年に博士論文『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』(晃洋書房)を出版し、2014年に同書で比較文明学会研究奨励賞(伊東俊太郎賞)受賞。2010年4月から2012年3月まで京都大学こころの未来研究センターで連携研究員として連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の研究代表を務める。主なキュレーションに、現代京都藝苑2015「悲とアニマ——モノ学・感覚価値研究会」展(会場:北野天満宮、会期:2015年3月7日〜2015年3月14日)、現代京都藝苑2015「素材と知覚——『もの派』の根源を求めて」展(第1会場:遊狐草舎、第2会場:Impact Hub Kyoto(虚白院 内)、会期:2015年3月7日〜2015年3月22日)、現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展(第1会場:両足院、第2会場:The Terminal KYOTO、会期:2021年11月19日~2021年11月28日)、「藤井湧泉——龍花春早 猫虎懶眠」展(第1会場:高台寺、第2会場:圓徳院、第3会場:掌美術館、会期:2022年3月3日~2022年5月6日)等。2020年4月から2023年3月まで上智大学グリーフケア研究所特別研究員。2023年に高木慶子・秋丸知貴『グリーフケア・スピリチュアルケアに携わる人達へ』(クリエイツかもがわ・2023年)出版。上智大学、滋賀医科大学、京都芸術大学、京都ノートルダム女子大学で、非常勤講師を務める。現在、鹿児島県霧島アートの森学芸員。

(『週刊読書人』WEBでも書評を掲載中 https://dokushojin.com/)

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