盗品と美術館の切っても切れない関係
サイモン・フープト『盗まれた世界の名画美術館』内藤憲吾 訳(創元社・2011年)
「美術館の歴史は、盗品の歴史である」と言えば、反発する人もいるかもしれない。しかし、ルーブル美術館や大英博物館は、植民地や対戦国から大量に美術品を奪って、コレクションしたことはよく知られている。時々、返還訴訟のようなことが起こっているのはそのためだ。本書は、今日まで続いている盗まれた美術品の歴史をつまびらかにしていてる。現在も行方不明の美術品はたくさんあり、名画も多い。それを防ぐ方法もまた難しい。
しかし、その前に、そもそもよく美術品が盗まれる美術館もまた、盗品が出発点ではないかという疑問もある。近くはナポレオンやヒトラーがもっとも有名だ。特に本書では画家であったヒトラーがゲッペルスなどに指示して、徹底的に侵略した国の美術品を強奪した歴史が克明に記されている。現在、京都市美術館で展示されている、ヨハネス・フェルメールの名作《天文学者》もまた、ヒトラーが一度奪ったものだ。《天文学者》は初来日となる(註)。
一方でヒトラーは、20世紀のモダンアートにはまったく理解を示さなかったばかりではなく、それらを退廃芸術と名付け、一斉に集めて展覧会をした後、売り払っている。本書によると、ヒトラーは「ダダイスト、キュビスト、先進的な表現者たち、客観主義者たちは、どんなことがあっても我々の文化の再生に参加することはないだろう。そして我々は我々の文化の退廃を克服したことを知るだろう」と述べている。
皮肉なことに、国民に退廃芸術を見せつけ、嫌悪感を抱かせるために開いた退廃芸術展は、1937年にミュンヘンで開催された後、1941年4月までドイツの各都市とオーストラリアを巡回し、300万人以上を動員した、歴史上最も成功した近代美術展になっているという。ヒトラーが嫌悪した芸術は、多くの亡命した芸術家とともに、アメリカで花開き、モダンアートの新しい潮流を作ったことは皮肉なことである。ヒトラーは、逆説的にもっとも成功したキュレーターということになる。一方で、新しいドイツ芸術会館で開催されたドイツ芸術の展覧会はさっぱり動員ができなかった。
戦時中の大規模な強奪とは別に、今日においても、盗品問題は解決していない。かの《モナ・リザ》でさえ盗まれた過去がある(しかし、《モナ・リザ》が爆発的に人気が出たのは、皮肉なことに盗まれた後のことだという)。
この問題を解決するのは容易ではなく、国際刑事警察機構(インターポール)でさえ、各国の警察官の情報を共有できるだけで、調査をする司法権をもってないというのは意外な事実だった。そして、ほとんどの盗品は、外国で発見されているというからやっかいである。
もう一つの発見は、盗難美術品登録協会(ザ・アート・ロス・レジスター)がそれを防ぐ役割を果たしているということだった。オークション会社は、美術品の出所が怪しい場合、盗難美術品登録協会のデータベースを参照して、盗品かどうか調査することができる。盗難美術品のデータベースの充実が、犯罪の抑止力になっているのである。これもまた一つのビックデータであるかもしれない。
我々が美術館で見ている偉大な美術品も実は盗まれた過去があるかもしれない。また、将来、盗まれて直接見れなくなるかもしれない。美術品が巨額な価格で取引される限り、その可能性は常にあるのだ。そう思えば、美術品を見る態度も、より慎重になるかもしれない。
註
ルーヴル美術館展
https://www.ntv.co.jp/louvre2015/
初出「盗品と美術館のきってもきれない関係-サイモン・フープト『盗まれた世界の名画美術館』」『shadowtimesβ』2015年7月30日