日本的モダニズムの配色
美術に詳しい人でも和田三造という名前を聞いたことをある人は少ないかもしれない。しかし、彼が船の上の男達を描いた『南風』という絵画は教科書にも掲載されていたので見たことのある人も多いだろう。油絵を完璧にマスターした圧倒的な描写力で、第1回文部省美術展覧会(文展)で2等賞(最高賞)を受賞している。
また、映画『地獄門』では第27回アカデミー賞の衣裳デザイン賞を受賞している。『地獄門』は名誉賞(外国語映画賞)も受賞しており、さらに第7回カンヌ国際映画祭でもグランプリを受賞した名作である。それが戦後間もない1953年、大映初の「総天然色映画」として作られたというのも驚きである。和田三造は平安時代を舞台にしたこの映画の色彩デザインを担当したのだ。
洋画家として出発した和田三造は、日本画、版画、デザイン、舞台美術、映画美術、ファッションデザインなど様々な顔を持つ多彩な視覚芸術家だ。中でも色彩研究の功績は大きい。日本標準色協会を創立し色の標準化を推し進め、『色名総鑑』などを発刊、日本標準色協会は戦後、日本色彩研究所に改組し、現在でも色彩における唯一の財団法人として存続している。
和田三造の研究は今日のJIS標準色票などに受け継がれている。この本は、実用を重んじた和田三造が、昭和初期に具体的な利用用途の多い配色パターンを編纂した『配色総鑑』(全6巻・1933~1934年)を再編したものである。
現在のJISの慣用色では使われてない色名も多く、モダニズムが浸透し始めた昭和初期の配色として歴史的な価値があるがそれだけではない。日本の伝統的な襲(かさね)の配色の要素がありながらも、西洋的な配色体系と接続されているという点で、戦前・戦後に輸入された色、そしでデジタルカラーによって著しく混乱している現代の日本においても有効な色と配色だと思われる。
昭和初期は、建築においても近代数奇屋を確立させた吉田五十八や堀口捨己など、西洋風建築の輸入から脱して、日本の伝統的な手法との接合が盛んに行われていた時期である。この時期の様々な試みは戦争によって断絶してしまった側面が大きいが、日本の西洋文化受容における一つの到達点して見直すべき時代だろうと思う(実際、杉本博司は吉田五十八、堀口捨己、村野藤吾などの試みを再評価している)。
写真に関しては光画(野島康三、中山岩太、木村伊兵衛、伊奈信男)などの新興写真と時期が重なるだろう。カラー写真が一般的になるのは戦後のため、リアルタイムで写真と交わることはなかったが、今日の視点から西洋的な色彩と日本的な色彩の接合を考える上でも一つの尺度になりうるだろう。
もちろん、写真だけではなく、和田三造の配色は建築、デザイン、ファッションなどすべての視覚芸術にとって未完の可能性であるとともに、新たな可能性に満ちている。多くのクリエイターにワイドな視野を持った和田三造の業績を今日の現場で活用してもらいたい。
初出『shadowtimesβ』2015年6月17日掲載