鎌田東二 第三詩集
鎌田東二『狂天慟地』(土曜美術社・2019年)
秋丸 知貴
宗教哲学の京都大学名誉教授にしてフリーランス神主である、鎌田東二氏の第三詩集である。
本書は、第一詩集『常世の時軸』、第二詩集『夢通分娩』と共に、「神話詩三部作」を構成している。第一詩集が言わば裃を付けた正統派の現代詩の詩集とすれば、中間形態の第二詩集を挟み、第三詩集は詩集であり小説であり自伝でもあるといういかにも融通無碍な鎌田氏らしい詩集になっている。
「みなさん 天気は死にました」から始まるこの第三詩集は、「神の死」(ニーチェ)以後に、言葉は、詩は、美は、いかに成立するかという一つの宗教芸術的実験でもある。つまり、一般に近代においては「聖骨でさえ流通による価格化に抵抗不可能」(マルクス)となり、信仰上の「中心の喪失」(ゼーデルマイヤー)が生じ、「世界の脱聖化(=世俗化)」(ヴェーバー)が進み、芸術全般が「礼拝価値から展示価値へ」(ベンヤミン)と重心を移行することになる。
こうした状況下で、「乏しき時代の詩人」(ハイデガー)はいかに「新しい神話」(シュレーゲル)を創出し、芸術を通じて人々の心を結びつけることができるだろうか? この古くて新しいロマン主義的課題に応答していることが、本詩集の日本はもちろん世界的に見た場合の現代芸術的意義と言える。
興味深いのは、自伝的要素の強い第二部「驚天動心」である。ここには、神に童心を愛でられた人間においては、いかに人生がそのまま一つの不思議な詩の連続となるかの具体的実例を様々に見出すことができるだろう。
本詩集の隠れた通奏低音は、「(太母=大自然に支えられた)生と死」という人類に普遍的なテーマであろう。おそらく、鎌田氏は母親に人一倍深く愛されたに違いない。だからこそ、子供の心のまま大人になることができ、神の内である七歳前の生と死の未分化なトランスパーソナルな世界に揺蕩いつつ、言語生成の場において宇宙的真理の直接的豊饒性を生々しく掴み取ることができたのではないかと想像される。
三部作を貫くのは、第一詩集の表題であり、世界の根源的・永遠的本質を捉えたような「常世の時軸」というキー・ワードである。もう一つのキー・ワードは、内なる異性としての「金星少女」であり、彼女とどこで不意の出会いを果たすのかもまたこの三部作を鑑賞する際の一つの楽しみである。
鎌田氏の詩歴・俳句歴は、優に50年を超える。折に触れて発表されてきたそれらの詩や俳句は、しかし本三部作に全て収録されている訳ではない。それどころか、むしろこの三部作にはごく最近の作ばかりが集められている。そのため、筆者は改めて鎌田氏の全詩句集の刊行を心待ちにするものである。
しかし、鎌田氏自身はこの「神話詩三部作」の出版動機について、混迷を極める「今」という時代に「今」生まれた詩で向き合いたかったと語っている。その意味で、鎌田氏の作詩法はゲーテの言う「機縁詩」に通じるものであり、この遅咲きの現代詩人は、特殊性の先にある普遍性を追求した古代的神話詩人ゲーテの直系的後継者と解釈することができるだろう。