気候と移動の絵画運動
「東北画は可能か?~まなざしの解放~」
2013年8月31日(土)~9月23日(月) @ARTZONE
《東北八重山景》(2010)
「東北画」とは自明のジャンルではない。「可能か?」という問いである。「東北画」という言葉は、山形にある東北芸術工科大学のチュートリアル(学生との共同課外活動)、「東北画は可能か?」において初めて使われた。それは担当教員の一人である「日本画家」の三瀬夏之介が、絵画のジャンルに関する根本的な問いを持っていたことと関係しているだろう。
そもそも日本画は、その起源からして西洋画に対置するために作られた明治以降の新しいジャンルである。もちろん、その日本画の源流に大和絵の伝統はあった。しかし、その大和絵も唐絵に対置するために作られた平安時代、国風文化の産物である。国家意識が目覚める時、歴史や伝統も作られる。
日本画もまた近代国家成立時の虚構性を抱えている。彼らが「東北画は可能か?」と提唱する時、必然的に「日本画は可能か?」「洋画は可能か?」という自身の土台すらも揺るがす問いを孕んでいる。
国家やその歴史や伝統は統合的に語るために上塗りされていくもので、あらかじめ在ったものではない。東北という地方区分も明治以降の中央集権的な近代国家によって明示化されたものだ。彼らは「東北画」と名乗ることで、あえてそれらの問いも含めて浮上させようとしているように思える。
しかし、私はそのようなジャンルの問答があることを踏まえつつも、史学や哲学ではなく、絵画運動としてこの試みを捉えたいと思っている。そして、観念的な問いの下で蠢いている無意識の情動やそれらを醸成する風土について注目したい。
近代絵画において、移動と様式の革新は無関係ではない。風土が画家にもたらす影響はことのほか大きい。フランス北部を被写体にした印象派と比較して、後期印象派やそれに続くフォーヴィスムの画家達は強い日差しと鮮やかな色彩に魅せられ、フランス南部や北アフリカ、さらには南島などに移動した。それによって絵画の彩度は高くなり明度差は大きくなった。光と風土が観念的な殻を超えて、内発的な変化までもたらした例であろう。
「東北画」が複数の作家による複数の手法で描かれていたとしても、その色彩や被写体には共通の「地」が出てくるはずだ。それは上塗りされてきた虚構としての歴史や伝統と言った「図」を剥いでいくものでもある。
当初、私は印象派と同じで日本の北部でも絵画の彩度は低くなると想像していた。しかし、ARTZONEで開催された「東北画が可能か?」展では彩度が低くグレー気味の作品だけではなく、彩度が高い作品が多くみられた。
《東北八重山景》(2010)の色彩分析
マンセル表色系の色分布(色相・彩度図)
マンセル表色系の色分布(明度・彩度図)
彩度割合
色相割合
有彩色(中彩度)の割合が一番高いが、有彩色(高彩度)の割合も高い。無彩色の中でも黒の割合が低いので、全体的に浮いた印象を受ける。色相は全体に拡がっているが、ベースカラーは緑になっている。中間色のトーンの固まりから、高彩度色が飛び出しており、きらびやかな印象を受ける。赤や黄色、紫の割合は低いが、彩度高いのでアクセントとなって目立っている。
三瀬は「関西の方が空気が霞んで見える」と言う。山形の方が遠景の山々がくっきり見えるそうだ。確かに高温多湿の日本列島においては、湿度が高いことで空気が霞み、絵画の彩度が低くなる可能性がある。南部の方が湿度が高いことは充分考えられる。
しかし、気象庁のデータを調べてみたら、東京、京都、奈良よりも山形の方が年間の相対湿度が高い。ただし、季節による湿度の差が激しく、東京や京都、奈良と違い夏より冬の湿度の方が高い。山形では春(4月)が一番湿度が低く冬(1月)が一番高い。つまり山に新緑が芽吹く春に湿度が低く、日照時間も長くなることで、視界が開けていくと考えられる。(まなざしが解放される―)逆に冬には湿度が高く、日照時間も短くなり視界が閉ざされる。
冬が明けた後に訪れる光と風景の鮮やかさが彩度が高い作品と、その逆の彩度の低い作品の両極を生んでいるのではないか。同時に無彩色や濁色(中間色)が多く、明度幅が大きいことが画面に深みや透明感を与えている。
「東北画」に見られる二面性のある色彩的な傾向は、まさに光と風土による影響だろう。これは三瀬を含め学生の多くが山形県以南の出身で、南から北への移動による絵画運動の効果としても注目すべき点だ。
もう一つ気になった特徴は、箱庭的、ジオラマ的な構図である。山と麓の風景が鳥瞰図的な高い視点から描かれている作品が多いのだ。それは自身が山と盆地を中心とした風景の中に存在し、それを俯瞰的に「見る」視覚を獲得しているということである。それは東北芸術工科大学のある山形(村山)盆地を囲む風景と、それを体感できる春を中心とした空気の透明性に起因していると考えられる。パンフォーカス的な画面全体に渡る細密な描写も同じ要因であろう。
共同制作である『方舟計画』、『東北八重山景』や渡辺綾『今日もここにいる』、田中望『いでは』などは、上記の特徴を示している顕著な例であろう。意欲的な試みである合議型の共同制作の絵画は、参加者の集合無意識を表していると言えるかもしれない。震災前から「計画」された作品として話題となった『方舟計画』も箱庭の絵と読み替えることもできる。
その上で再度「東北画は可能か?」の問いに戻ろう。「東北画は可能か?」展の作品には確かに共通性が見てとれる。しかし、広く複雑な風土を持つ東北を網羅する傾向とは言えない。山形盆地がある内陸部と違って、日本海沿岸や太平洋沿岸は異なる光と風土を持っているだろう。
あえて「東北画は可能か?」展の作品をさらに分類すれば、「内陸画」と呼べるものだろう。三瀬が奈良盆地や京都盆地に暮らしていて、山形への移動がさほど違和感がなかったと述べているのも、内陸であり盆地であるという共通性によるものはないかと想像できる。
そして、奈良盆地の奥にある大峰山系、京都盆地の奥にある比叡山系と、山形盆地の奥にある出羽三山は、修験道、山岳信仰の聖地として深い類似性がある。そこには霊的な鉱脈が繋がっていると言ってもいい。出展されている絵画の奥にある霊性はその「地霊」に由来しているとも言える。
しかし、彼らは新たな歴史や伝統を作ろうとしているわけではないだろう。「東北画は可能か?」と問うた時、「日本画は可能か?」という根源的な問いや「内陸画」、「沿岸画」、「半島画」、「島嶼画」、「列島画」など、複数のカテゴリやサブカテゴリが統合不能な形で分散的に現れてしまう。
この問いは、東北の風土との交感や共同制作による相互干渉によって、「日本の絵」の可能性を引き出しているのだ。参加した学生たちが「東北画」を問う絵画運動から出発しつつも、安易な分類や定義から解放され、さらなる視野と可能性を広げていくことを期待したい。その萌芽はすでに現れ始めている。
初出「東北画考」、山下里加監修《東北画は可能か?~まなざしの解放~》アーカイブブック、京都造形芸術大学芸術表現・アートプロデュース学科、2014年