
アートバーゼル香港のワンシーン Art Basel in Hong Kong 2016 Gladstone Gallery © Art Basel
「アートに興味はある。けれど、どう見ればいいのかわからない」。そんな声を聞くたびに、私はかつての自分を思い出す。知識や教養がなければ、アートの扉は開かれないのだろうか。高尚で、どこか近寄りがたい存在。もし今、あなたがそう感じているのなら、このコラムはあなたのためにある。これは、私がアートと共に歩む中で見つけた、ささやかだが確かな「道しるべ」についての話だ。アートが、あなたの人生を豊かにする冒険の入り口になることを願って。
第一章:アートという物語の読み解き方 ― 鑑賞は読書や映画と似ている
アートとの対話は、一冊の本を読み解き、一本の映画に没入する行為と本質的に似ている。分厚い小説の冒頭、登場人物や世界観に馴染めず、ページをめくる手が重くなる経験はないだろうか。あるいは映画の序盤、物語がなかなか動かず、退屈に感じてしまうことは。しかし、その静かな序盤を乗り越えた先に、心を鷲掴みにされるような展開が待っていることを私たちは知っている。一度夢中になれば、寝る間も惜しんで物語の世界に浸り、結末を迎えるのが寂しくなる。そして、次の一冊、次の一本へと手を伸ばすのだ。

アートバーゼル香港のワンシーン。Experimenter Ayesha Sultana, Rathin Barman © Art Basel
アート鑑賞における「わからない」という感覚は、まさにこの序盤の状態に他ならない。一枚の絵の前に立ち、何を感じればいいのか戸惑う。その沈黙の時間が、アートとの間に見えない壁を作ってしまう。だが、ここで鑑賞を諦めてしまうのは、傑作の冒頭数ページで本を閉じてしまうのと同じことだ。
鍵となるのは、焦らず、作品と向き合う「量」と「時間」である。ジグソーパズルのピースが一つひとつ嵌っていくように、様々な展覧会に足を運び続けることで、点と点だった知識や感覚が線で結ばれていく瞬間が必ず訪れる。例えば、印象派の展覧会をいくつか巡るうちに、モネが見た光、ルノワールが描いた喜び、そして彼らの間に流れていた友情やライバル意識といった、キャンバスの裏側に息づく人間ドラマが透けて見えてくる。単なる「絵画」だったものが、時代を生き抜いた人々の「人生の断片」として立ち上がってくるのだ。この感覚こそ、アートが面白くなる決定的な転換点である。作品解説の言葉が、単なる文字情報ではなく、血の通った物語として心に響き始めるだろう。そうなればもう、あなたはアートという広大な海の探求者だ。
第二章:現代アートという「謎」への挑戦状 ― 作家の思考を旅する
クラシックな絵画とは異なり、現代アートは時に私たちを大きく揺さぶり、挑発してくる。一見して理解しがたい作品群は、「これのどこがアートなのか」という根源的な問いを突きつける。しかし、その「わからなさ」こそが、現代アートの核心であり、最大の魅力なのだ。
現代アートを鑑賞する際のコツは、作品そのものの美しさや巧みさだけではなく、「なぜアーティストはこれを創ったのか?」という問いを自分の中に持つことだ。彼らにとって作品とは、世界に対する自身の視点、哲学、そして問いかけを形にしたものである。つまり、作品を理解しようとすることは、アーティストの思考の旅路を追体験することに等しい。それは、自分とは全く異なる価値観や世界の見方に触れ、知的な刺激を受けるスリリングな体験だ。
小説の主人公の人生を読み解くように、アーティストの背景やコンセプトを知ることで、作品はより多層的な意味を帯び始める。社会の矛盾、テクノロジーの進化、アイデンティティの探求。現代アートは、私たちが生きるこの時代そのものを映し出す鏡である。その鏡と向き合うとき、私たちは自分自身の価値観をも問われることになるだろう。明確な答えを提示するのではなく、鑑賞者に思考の余白を与えること。それこそが、現代アートが私たちに与えてくれる豊かさなのだ。
第三章:アートが拓く、人生の新たな地平
アートとの関わりが深まると、鑑賞の喜びだけに留まらない、人生そのものにポジティブな変化が訪れることに気づく。それは、まるで新しいOSをインストールしたかのように、世界を見る解像度を上げてくれる。
1) 知的好奇心の拡張 ― 歴史と文化の探求へ
一つの作品は、その時代の歴史、文化、宗教、科学といったあらゆる知の集合体である。例えば、日本美術に心惹かれれば、自然と仏像の様式の違いや寺社建築の美学に興味が湧き、仏教思想や日本の精神史へと探求は広がっていく。学生時代には無味乾燥な暗記科目だった歴史が、アーティストたちの情熱や苦悩を通して、生きた物語として立ち上がってくるのだ。アートは、知的好奇心の扉を開ける万能の鍵となる。
~西国三十三所観音霊場の第八番札所-撮影:著者.jpg)
静かな境内。心が洗われる。長谷寺(奈良県桜井市)~西国三十三所観音霊場の第八番札所 撮影:著者
の体験の様子。禅寺の東福寺-塔頭勝林寺にて。-撮影:著者-216x300.jpg)
座禅と茶香服(利き茶)の体験の様子。禅寺の東福寺 塔頭勝林寺にて
2) 関係性の拡張 ― 世代や職業を超えた出会い
アートという共通言語は、驚くほど多様な人々を引き合わせる。美術館のギャラリートーク、アートフェア、ギャラリーのオープニングレセプション。そうした場に足を運べば、普段の生活では出会うことのない様々な職業の人々と、ごく自然に言葉を交わすことができる。年齢や肩書を超えて、好きな作品について語り合う時間は、何物にも代えがたい喜びだ。アートは、私たちの人間関係を予期せぬ方向へと豊かに広げてくれる、一種のサロンのような役割をも果たしてくれるのである。
3) 経験の拡張 ― まだ見ぬ世界への羅針盤
アートは、私たちを未知の場所へと駆り立てる。特定の作品に会うため、あるいは芸術祭に参加するために、これまで訪れたことのない街や国へ旅をする。関西を拠点とする私自身、この数年でアートを目的として日本各地、そしてアジアやヨーロッパの国々を訪れた。アートがなければ決して踏み入れることのなかったであろう土地で、その地域の文化に触れ、人々と出会い、新たな発見をする。アートは、私にとって世界を旅するための羅針盤であり、人生という旅の目的地を増やしてくれる存在なのだ。

昼はアートフェア、ギャラリー、美術館でアート三昧。夜は観光、台湾にて
さらに、アートは私たちの内面にも深く作用する。理解できないものに直面したとき、自分はそれを知ろうとするのか、拒絶するのか。その態度は、他者とのコミュニケーションにおける自身の姿勢を映し出す鏡ともなる。アートとの対話は、巡り巡って自分自身との対話へと繋がっていくのである。
第四章:一枚の絵 ― パリ、ポンピドゥー・センターでの邂逅
現在の私はアートライターとして活動しているが、美術大学で専門教育を受けたわけではない。美術とは無縁の仕事に長年従事してきた。そんな私がなぜ今、この仕事をしているのか。その原点を語るには、20代の頃に経験したパリでのある出来事に触れなければならない。

パリ、エッフェル塔
当時、私は人生のどん底にいた。すべてから逃れるようにパリへ3ヶ月間の滞在を決めた。何かを学ぶには短すぎ、無為に過ごすには長すぎる時間。ガイドブックに載っていた「パリには100以上の美術館がある」という一文に導かれるように、私は美術館巡りを日課にすることを決めた。
初めのうちは、何もわからなかった。ただ、有名な作品を教科書で見た写真と見比べるだけの日々。そんな中、現地で出会ったパリ在住の日本人画家(のちに大阪の番画廊の作家と判明)に「今は本物をただ見るだけでいい。わからなくていいんだ」と励まされ、私はひたすら作品と向き合い続けた。
滞在が2ヶ月を過ぎた頃、その瞬間は訪れた。ポンピドゥー・センター(国立近代美術館)で、巨大な抽象画の前に立った時だった。名も知らぬ作家の、激しい色彩と筆致で構成されたその絵を見た瞬間、雷に打たれたような衝撃が走る。「これは、私だ」。そう直感した。そこには、身動きが取れなかった苦しい過去、拠り所を失った現在の自分、そして何も見えない未来、そのすべてが描かれているように思えた。気づけば、私の頬を涙が伝っていた。感情の堰が切れたように、嗚咽が止まらない。周囲の目も気に留めず、私はその絵の前で一時間近く立ち尽くしていた。
振り返れば、度重なる喪失の中で、私は何年も自分の感情に蓋をし、感じることを一切やめていたのだと思う。パリという非日常の地で、来る日も来る日も膨大な数のアートに触れ続けることで、凍りついていた心が少しずつ解きほぐされていったのだろう。そして、自分自身の魂を投影できる作品と出会ったことで、抑圧されていた感情が一気に噴出したのだ。
この体験が、直接的にアートに関わる職業に結びついたわけではない。帰国後も、私は長くアートとは関係のない世界で生きてきた。しかし、あのポンピドゥー・センターでの邂逅は、私の心の奥深くに、消えない灯火のように在り続けた。多くの遠回りを経て、様々な人との縁に導かれ、私は今、言葉でアートと人とを繋ぐ仕事をしている。あの日の体験がなければ、今の私はここにいない。
あなただけのアートとの対話を見つけるために
アートは、人生を豊かにし、心を癒し、世界を広げてくれる。これは、私自身の人生が証明する、紛れもない事実である。アートの面白さは、知識の量だけで決まるのではない。それは、一枚の絵、一つの彫刻との、個人的でかけがえのない「体験」から始まる。
もしあなたが今、「わからない」という壁の前で立ち尽くしているのなら、焦る必要はない。まずは近所のギャラリーを覗いてみてほしい。入場料は無料の場所がほとんどだ。作品を買う必要などない。ただ、そこに身を置き、空気に触れるだけでいい。そして、少しでも心が動いた作品があれば、なぜ惹かれたのかを自分に問いかけてみてほしい。その小さな問いの積み重ねが、あなただけのアートとの対話の始まりとなる。その対話は、やがてあなた自身の内面を照らし、まだ見ぬ世界の扉を開く鍵となるだろう。アートという名の冒険に、完璧な地図は存在しない。だからこそ、その旅は面白さに満ちているのだ。
参考
本稿は、2016年の記事をリライトしています。参考に「原文」オリジナルとして附記します。
アートが身近に感じられる、ちょっと内緒の話 |(2016.07.17) / ARTLOGUE (2025年8月16日最終確認)
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