本書は塙将良の絵と藤井しんの解説による、モノクロによるオリジナルのモンスター図鑑である。塙がモノクロで描き続けた名もない「モンスター」に、藤井しんが何も聞かずに解説を付けていく。長年この共同作業を続けてきた。その集大成でもある。本書には、藤井によって分類された12の部族、175体の怪獣が描かれている。モノクロで描かれているにも関わらず、塙が見た異世界に住む怪獣が圧倒的な存在感と迫力で迫ってくる。あえてカテゴライズすれば、アウトサイダーアートやロウブロウアートということになるのかもしれない。
近年、アール・ブリュットやアウトサイダーアートの存在はますます大きくなっている。コンテンポラリーアートが、知的で思想的な表現や、物質的ではなく、映像やリサーチ、インスタレーションといった形のない表現になっていったことに対する、ある種の反動の面もあるかもしれない。その中には、カラーフィールドペインティングやミニマルアートの作家の作品に見えるものもあり、作品だけ見れば見分けがつかないものもある。
ただ、具象的な作品に関しては、より個性的で幻視的な作品も多い。アウトサイダーアートは、日本の場合は、知的障害者や精神障害・精神疾患の患者のアートとして認識されている側面もあるが、正規の美術教育を受けてない独習のアーティストも多い。
日本の場合は、特に戦後、漫画やアニメ、ゲームといった大衆文化が発達し、それらのクリエイターは正規の美術教育を受けてないことも多かった。そのこともあってか、漫画のようなストーリーもなく、商業的なイラストでもない1枚絵は、それらの「亜種」に過ぎない「サブカル」として不遇な場所に置かれてきたというのが、本書で解説を寄稿している都築響一の見立てである。
ロウブロウアートも、大衆文化の延長にあるものであり、アングラのコミックスやグラフィティ、タトゥーなど包含しているが、日本では一つの表現分野として確立してこなかったという経緯はあるかもしれない。
塙は美容師を経て、独自の絵画を描くようになった。正規の美術教育を受けておらず、現在でも工場労働の後に近所のケーズデンキの駐車場で集中的に、名もなきモンスターを描き続けているという。その憑りつかれたような、モンスターの圧倒的な描写に、凝視するのをためらってしまう。そこに何かいる、と思わせるからだろう。作品だけを見たならば、どこかの民族芸術だと思うだろう。世界観を崩さず、これだけのモンスターを描き続けられるのは、何かが見えているのではないかと信じたくなる。しかし描いているのが、関東の郊外にあるロードサイドの駐車場であり、伝統的な文化を残す場所や、原始的な世界とは程遠い無機質な空間であることにも驚かされる。これらのモンスターはどこから来たのだろうか?
今回の作品集はモノクロであるが、色付きの作品や立体作品も制作している。メディウムも紙や布など複数用いられている。極彩色が塗られた作品も、揺るぎない統一的な世界観があり、ますます本当に何か見えているのではないかと信じたくなる。
「芸術は呪術である。人間精神の根源的混沌を、もっとも明快な形でつき出す。人の姿を映すのに鏡があるように、精神を逆手にとって呪縛するのが芸術なのだ。ところで、理解されることを、あくまで拒否することが、また芸術の本質である」(『呪術誕生』みすず書房、1998年、p.6)
岡本太郎はかつてこう記した。
その定義からすれば、『モンストロール』は、正しく芸術なのだ。