宇津久志1号墳から出土した重層ガラス玉
(左)側面( 右)上面
(写真提供・奈良文化財研究所)
2012年6月21日に奈良文化財研究所と長岡京市埋蔵文化財センターは、京都府長岡京市にある5世紀中頃の宇津久志古墳で発見された国内最古級の重層ガラス玉が、ローマンガラスである可能性が極めて高いと発表した。
ローマンガラスは、一般に帝政開始から東西分裂までの紀元前1世紀から4世紀にかけて、ローマ帝国領内で製造されたガラス製品を指す。今回の発表は、ローマ帝国の影響がほぼ同時代に古墳時代中期中頃の京都周辺にまで及んでいたことを具体的に示す点で非常に興味深い。
1988年に、一辺7メートルの方墳である宇津久志1号墳から副葬品として、最大で直径5ミリ、長さ5ミリ以上、中心に1.5ミリの孔を持つ重層ガラス玉が3点見つかる。これらに対し、同研究所が文化財の材質分析で広く利用される蛍光X線分析による非破壊調査を行ったところ、技法と組成の両面でローマンガラスを示す特徴が明らかになった。
まず、技法上は、ローマ帝国領内でよく使われていた、ガラス層の間に金箔等を挟み込んで装飾効果を高める「重層ガラス玉」という高度な技法が用いられていた。また、組成上は、溶剤にナトロン(蒸発塩)を用い、酸化アルミニウム、酸化マグネシウム、酸化カリウムの含有量が少なく、アンチモンが検出される等、ローマンガラス特有の成分を示す分析結果が出た。
重層ガラス玉自体は、日本では5世紀中頃以後の80以上の遺跡で200点ほど出土している。しかしその内、化学分析の結果が公表されているのは6世紀中頃以降の5遺跡10点ほどで、いずれもササン朝ペルシアか南・東南アジアで作られたガラスの特徴を示している。これに対し、国内でローマンガラスと特定される重層ガラス玉が確認されたのは今回が初めてである。
もちろん、ローマンガラスが日本に届いていたとしても、それがすぐに日本とローマ帝国が直接交易していたことを意味する訳ではない。おそらく、中国等のユーラシア大陸の様々な国々を媒介にして、極めて貴重な珍宝として日本にもたらされたと考えるべきであろう。しかし、ローマ帝国は季節風を利用してインドとも交易しており、今回の重層ガラス玉は、陸のシルクロードではなく海のシルクロード経由で渡って来た可能性もある。
少なくとも、品物が渡来できたということは、思想はより容易に渡来できたことを示唆する。その意味で、例えば聖徳太子が厩戸で出生したという伝承が、イエスが厩戸で誕生したという伝説の影響を受けていたとしても特に不思議ではない。そうであれば、日本のグローバルな文化交流は、既に古代から始まっていたとさえ言えよう。
いずれにしても、今回の調査成果は、モノが歴史のロマンを物語る好例である。同重層ガラス玉は、2012年11月に同センターの企画展で展示予定である。
※秋丸知貴「時評 帝政ローマの重層ガラス玉、京都の古墳で国内初発見」『日本美術新聞』2012年9・10月号、日本美術新聞社、2012年8月、10頁より転載。