何せ、「なんじゃ、こりゃ」と「現代アートはわからんね」である。もちろんそれらは現代アートの難解さから出てくる言葉なのだが、そのとても親しみの湧く言い回し自体に、当初から田口さんが現代アートを楽しんでいた様子がにじみ出ている。
田口さんは1980年代末頃、東京の街なかでキース・ヘリング(※)の版画作品をたまたま目にする機会があり、落書きのようなその絵に「なんじゃ、こりゃ」と驚いたという。しかし、見ているうちに「元気が出るような絵だな」と思い、当時社長を務めていたミスミの社員に見せるために、企業コレクションを始めたそうだ。
※キース・ヘリングの作品をご覧になりたい方はこちらのサイトへ。
「元気が出る」という感覚、これはすごくよく分かる。筆者も連日の仕事で疲れている時など、展覧会に出かけること自体が億劫になることがしばしばある。しかし、重い足を引きずりながら会場にたどり着き、会場内を一巡すると、けっこうな元気が湧いていることをたびたび経験してきた。おそらくは、さまざまな発想や表現に満ちたアート作品に触れることで、意識するしないにかかわらず脳が活性化し、気持ちが前向きになるからなのだろうと自己分析している。
田口さんはその後、スタートアップ支援を手掛けるエムアウト(東京・港)を創業。現代美術への思いは途切れず、個人コレクションの構築を始める。その成果が、現在の「タグチアートコレクション」だ。2013年からは娘の田口美和さんが共同代表を務め、世界を周りながらのコレクションの拡充と、日本全国のアートスポットを巡る所蔵品の展示や、小中高の学校に現代アート作品を持って行って生徒たちに身近な感覚で見てもらうアウトリーチ活動に勤しんでいる。
また、ヘリングがきっかけだったこともあって当初は米国の現代アート作品が対象だったコレクションは、日本人作家にも広がっている。少々前の話になるのだが、2015年に岐阜県美術館で開かれたタグチアートコレクションの展覧会に出かけた折に、会田誠の《灰色の山》という、倒れたサラリーマンが折り重なってまるでぼた山のような山を築いていた構図の大作を目にして、「何と、この作品は田口さんのコレクションになっていたのか」とそれこそ驚いたことがあった(角川武蔵野ミュージアムの今展でも展示されている)。以前、森美術館(東京・六本木)の企画展で展示されていて、とても強く脳裏に残っていたからだ。
この作品はそばに寄って細部を見ると、さらなるすごさがわかる。会田誠の作品には比較的おおぶりな印象のものが多いのだが、この作品の描写は非常に細かい。それが、倒れたサラリーマンが累々と山になっていく過程を想像させるのだ。おそらく作家もすごく手をかけて描きこんだのではなかろうか。制作年が「2009〜2011年」となっているのも、3年がかりで描いたことを物語っているのだろう。戦後の日本を象徴する作品と筆者は捉えている。
角川武蔵野ミュージアムの展示作品は、ヘリングのほかアンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンスタイン、トーマス・ルフ、デヴィッド・サーレら著名な作家のものから、日本人にはあまり馴染みがない、すなわちタグチアートコレクションの〝 目〟が独自に海外で見出した作家のものまで。日本人作家では、会田誠のほか、奈良美智、加藤泉、名和晃平などのそうそうたるラインナップ。1階のグランドギャラリーのほか、4階の「スタンダードエリア」では田名網敬一、小泉明郎、さわひらき、潘逸舟の作品が、多くの書籍が並ぶ書棚の中に埋め込まれるような形で展示されている。西野達、宮島達男の作品など、無料エリアに展示されているものもある。
※写真はすべて、主催者の許可を得てプレス向け内覧会で撮影したものです。
◎NIKKEI Financial(日本経済新聞社運営の有料ウェブマガジン)にタグチアートコレクションについて取り上げた記事「作品コレクション、あえて美術館を作らない収集家」を寄稿しました。厚いコレクションを、ある信念をもって、あえて美術館を作らずに全国で見せている理由などに言及しています。機会がありましたら、ぜひご高覧ください。
【展覧会情報】
展覧会名:タグコレ 現代アートはわからんね
会場:角川武蔵野ミュージアム 1階グランドギャラリー
会期:2023年2月4日〜5月7日
※4階の「スタンダードエリア」の展示作品を見る際は、1階の企画展のチケットとは別の「KCM スタンダードチケット」もしくは「KCM 1DAY パスポート」が必要です。
【企画展サイト】
【特設サイト】