難解なアートの親密なコレクション
2010年に公開され大いに話題となったアートドキュメンタリー映画『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』が、昨日NHKBSプレミアムで放映されることに気付き視聴する機会を得た。話題になっていることは知っていたのだが、劇場に行くかずじまいで、DVDなども購入してなかったのでちょうどよかった。
すでに知っている人も多いのだろうが、一応概要を説明すると、近年コレクターは、アートワールドの中でも力を発揮しているが、 ハーブ(夫)とドロシー(妻)のヴォーゲル夫妻のスタンスは全く違う。ハーブは郵便局員、ドロシーは図書館司書という決して裕福とは言えない給料を注ぎ込み、現代アートを購入し続けてきた。ハーブの収入はすべて現代アートの蒐集に費やされ、ドロシーの収入は生活費に当てられた。
彼らの方針はいたってシンプルで、以下の二つのルールに基づいていた。
- 自分たちのお給料で買える値段であること。
- 1LDKのアパートに収まるサイズであること。
彼らはNYに住み、仕事終わりや休日にマメにギャラリーを周り、アーティストと交流をし、ほとんどのコレクションをギャラリーを介さず、アーティストから直接交渉によって購入した。そして、車を持っていない二人は、持ち運べるサイズの小作品を購入し、地下鉄を使って家に持って帰っていた。
彼らが初期に好んで購入したのは、60年代~70年代のコンセプチュアル・アートやミニマル・アートと呼ばれる、観念的で抽象的、一般的に難解だといわれる現代アートだった。もちろん、まだ評価は定まっておらず、有名無名を問わず彼らが気に入るかどうかが重要だった。
その中で、後に著名となるクリスト夫妻、ソル・ルイット、チャック・クローズ、リチャード・タトルなど、今では美術史に刻まれるようなアーティストたちとも深い交流をし、スタジオにある作品を全部見て、気に入った作品を交渉して購入していった。
そのうち、彼らの独特な蒐集方法やアーティストとの交流のユニークさがメディアに取り上げられ、多くの記事に掲載されたり、コレクション展などが各地で開催され、彼ら自身が伝説となっていく。それはまるで、ギルバート&ジョージのような生きる彫刻のようでもあり、対照的で特徴的、そして共にキュートであるという、二人が戯画的であったことも大きい。
映画では、すでに仕事を引退した二人が、現在でも旺盛な蒐集欲で、変わらずアーティストのスタジオに訪れ、アーティストと作品の意見交換をし、気に入った作品の売買交渉をしている様子が撮影されていた。
時代を築いてきた、アーティストたちにとっても、作品のすべてを見たがり、作品の変化を見逃さず、その思考過程を示す作品を好んで購入する彼らのスタンスは特別だったようで、単なるコレクターという存在を超えて、友人であり、情報交換する相手であり、アドバイスを聞く相手でもあった。それはキュレーターのようでもあるが、もっとアーティストに対して近い存在だったといえる。彼らの様子は作品とともに、アーティストも愛しているようだった。
限られた予算、1LDKという限られた収納、展示スペースに買って帰ることを考えると、どうしてもシビアな審美眼が要求される。彼らは美術館のキュレーターと違い、仕事としてではなく、作品を購入し、裕福なコレクターと違い、売買を念頭にしていたわけではない。あくまで自分たちが好きで、自分の手元に置きたいから購入していたわけであり、実際、狭い壁にはぎっしりとアートを展示し、アートと共に暮らしていたのである。その証拠に、購入したアート作品は、1点も売らなかった。
生活の中に置くという意味では、アーティストの内面を表現したり、自己主張の強いアートよりも、抽象的でミニマル、抑制の効いたアートの方が良かったかもしれない。彼らは、アーティストの個人的な感情よりも、考え抜かれた思考やその思考過程を現しているアートを好んだことも、実は生活と密接になることに違和感がないポイントだったかもしれない。ときに現代アートは難解だからと、避けられることがあるが、難解だからこそ親密になれた例をみた気がした。コンセプチュアル・アートやミニマル・アートは、作家の個性を超えて、より普遍的な価値観に開かれている。
以前より、日本の戦後においては、収入、家屋、文化の面から見ると現代アートのコレクターは少ないのは必然であると指摘していたが、ハーブ&ドロシーのような徹底したスタイルをもっていれば、日本でも十分にコレクターとして成立することを見せられた気がした。もちろん、いまだにアートの中心地であるNYと日本では差があることは否めないが、近年の具体やもの派などの戦後の日本のアートの高騰を考えると、日本にもハーブ&ドロシーのような人がいてもおかしくはなかったかもしれない。
最近では、日本のアートファンの中では、積極的にアーティストと交流を持ち、自分の買える値段で飾れる作品を購入する動きも生まれおり、これから日本にハーブ&ドロシーが誕生しないとはいえない。そのことを考えても、ハーブ&ドロシーの購入方針は参考になるだろう。
美術史においても重要な価値を持ち、しかもアーティストの初期の思考遍歴が分かるハーブ&ドロシーの作品は、1点も売られないままナショナル・ギャラリーに寄贈されることになった。しかし、すでに引退した彼らの生活費のためを思って支払われた謝礼も、また新たな作品購入に注ぎ込まれた。結果的に1000点まではナショナル・ギャラリーに寄贈されたが、それ以上は全米の別の美術館に寄贈するプロジェクトが展開されることになった。大評判となった『ハーブ&ドロシー』の二作目は、その後の様子を描いている。
日本では地域活性化や地域振興にアーティストが駆り出される動きがここ数年続いているが、気に入った作品を買って家に飾る、というシンプルなアート鑑賞の方法が浸透していくことは、今後も必要だろう。
映画では、ランド・アートの代表的作家ともいわれるクリスト夫妻との深い交流も描かれている。梱包の対象を自然や建築物に移行した初期代表作である《ヴァレー・カーテン》(1970-72)の設営時、コロラド州に通うために頻繁に家を空けるクリスト夫妻が、その間、猫の面倒を見ることを条件に《ヴァレー・カーテン》のドローイング作品を提供したのだ。クリスト夫妻とハーブ&ドロシーはその後も、交流をし続けてきた。
ハーブ&ドロシーは《ヴァレー・カーテン》を見に行くことはなかったが、1979年に発案して2005年3月にようやく実現した、セントラル・パークに赤みのオレンジ色の布の門を置いていく、《ザ・ゲーツ》を二人で見に行っていた。その思考過程をハーブ&ドロシーはつぶさに観察していただろう。『ハーブ&ドロシー 』が示唆するものは、今日の日本でも大きい。
2012年、ハーブことハーバート・ヴォーゲル氏は亡くなったが、ナショナル・ギャラリーと全米の美術館に行けば、彼らの足跡は今後も辿れるだろう。
初出『shadowtimesβ』2015年10月31日掲載