インサイトによる新しい日本のビジョン
本書は、坂茂が設計したポンピドゥー・センターの別館、ポンピドゥー・センター・メッスで2017年に開催された「ジャパノラマ-1970年以降の日本の現代アート」展のカタログの日本語版である。開催時のカタログはフランス語版しかなく、多くの英訳と和訳の要望を受け、日本語版と英語版が出版されることになった。
日本語版の本書は、日仏11人の執筆者によるテキストおよび作家紹介、展覧会資料による構成されている。私は、「大阪万博」をテーマに寄稿し、大阪万博に関する展示内容についても協力をした。キュレーターの長谷川祐子氏からこの企画を聞かされた時、即座に「前衛芸術の日本」展を継承するものだということを理解した。長谷川が記しているように、日本の現代アート史を紹介する展覧会は、「前衛芸術の日本」展以来、実に30年ぶりのことになる。
1986年、ポンピドゥー・センターで開催された「前衛芸術の日本 1910-1970」展は、具体やハイ・レッドセンター、もの派など日本の現代美術の評価を決定づけるものとなった。その経緯は、展覧会のコミッショナーを務めた岡部あおみ著の『ポンピドゥー・センター物語』(紀伊國屋書店、1997年)詳しい。今読み返しても、ポンピドゥー・センターの黎明期の内情や、場が用意されてこなかった戦後の日本の現代美術の置かれた苦難を注視し、展覧会を組み立てていく様子はエキサイティングだ。「前衛」とは、兵站がなく前線で戦った戦後日本のアーティストの姿を表している。
その頃、ポンピドゥー・センターでは、二国間の交流をテーマにしていた展覧会がシリーズ化されていて、「パリ―ニューヨーク」(1977)「パリ―ベルリン」(1978)「パリ―モスクワ」(1979)などが開催され、最後に1981年の「パリ―パリ」展で終了する。その頃、「パリ―東京」展の可能性が検討され、最終的に1986年の「前衛芸術の日本」展に結実する。ちょうどパリのモード界では、三宅一生やコム・デ・ギャルソン(川久保玲)が脚光を浴びていた。それ以前の1978年には、磯崎新が企画した「間」展が話題を呼ぶ。
「前衛芸術の日本」展は、美術・写真・建築・工芸・デザイン・ファッションを網羅する、日本の創造性と歴史的転換を見直すかつてない展覧会となった。その後、1993年にアレキサンダー・モローによって、「戦後日本の前衛芸術」展が横浜美術館で開催され、ニューヨークとサンフランシスコに巡回するが、岡部は90年代までカバーするものの美術分野に限られており、新たな視点が加えられえたものではなかったという。特に「日本の近現代の創造力を外部へと提示できる歴史と評価を、内側から生み出すこと、これは今でも課題のようだ。」と述べ、「日本独自の内側からのインサイトの視点」の重要性を指摘している。[i]。
その意味では、今回初めて日本人キュレーターによって、インサイトの視点から編まれた展覧会と言えるだろう。キュレーションを担当した長谷川は、2015年、ラヴィ―ニュ元館長から企画の依頼を受けた際、「フランス人は日本文化に興味をもっているが、二つのステレオタイプが支配している。「禅」と「カワイイ」だ。展覧会で、この言葉を超える日本の文化の多様性を、もっと見せて欲しい」と言われたという[ii]。
そこで長谷川は表面的に見える類型化ではなく、ハイ・ロウがなく、様々なジャンルと関係を結びながら多様な創造活動が行われた「触媒」の存在を探る。日本の現代アートが置かれた状況は未だに困難で、特に、アートという言葉の拠り所、美術史という共通の土台のなさに苦しめられているからだ。長谷川は、「美術史という〈共通の土台〉ではなく、表現活動の〈土台〉、〈拠り所〉を個々独自に探究し、新たな創造に辿り着いた作家たちの実践、あるいはデザインや建築など他のジャンルとクロスボーダーを可能にした〈触媒〉として、日本人特有の2つの要素を挙げることができるだろう。1つめは、〈独特の身体性〉、2つめが〈ゆるやかな主体のあり方〉である。」と述べている[iii]。
そして、長谷川は「前衛芸術の日本」展とは異なり、ジャンルごとに分けるのではなく、むしろジャンル間を、2つの「触媒」によって交錯する状態をあえて見えるようにして、6つのテーマによるアーキペラゴ(群島)が有機的につながる形で提示している。それが、A「奇妙なオブジェ・身体―ポストヒューマン」、B「80年代以前のポップとそれ以降」、C「協働、参加性、共有」、D「ポリティクスを超えるポリティクス」、E「やわらかで浮遊する主体性・極私的ドキュメンタリー」、F「物質の関係性・還元主義」である。
大きくは、舞踏や身体的パフォーマンス、オブジェなどをA、ポップ/ネオ・ポップなどをB、プロヴォーグや私写真的な系譜などをE、建築やSEAのような協働性のある作品をC、禅やもの派を継承するものはFとした上で、焦点となるカワイイは、反抗や政治的アクションの隠喩を込めたものとしてDとしたと言ったところだろう。特に、70年代以降は全共闘が下火となり、政治的なアクションは表面化せず、内にこもるところがある。凶暴さを備えたカワイイは、まさに隠喩的な政治なのだ。やはりDについて一番質問が多かったという。
象徴的なのは田中敦子の《電気服》など、「前衛芸術の日本」展でも展示された作品が再展示されている点だろう。そこに、「前衛芸術の日本」の頃パリに鮮烈にデビューした、川久保玲やライゾマティクスとパフュームの新しい「電気服」が加えられ、日本的な身体性の系譜をなしている。
長谷川は、新しいビジョンとして、「触媒」をキーワードに、日本の創造性が世界の中で機能するためのパノラマ的なインデックスを提示したといえる。また、小林康夫、毛利嘉孝、加冶屋健司、宮沢章夫、清水穣、星野太、エマニュエル・ドゥ・モンガゾンといった識者の論考によって、より多面的な解釈が与えられている。
キリスト教、イスラム教といったメジャーな宗教的価値感をほとんど共有しておらず、ほぼ日本だけで使われている日本語という言語を持ち、植民地化されたことのない、歴史の極めて長い国という客観的な要素だけ見ても日本はユニークなところが多い(もちろん多文化、多様化されてきている)。さらに、近代化が革命ではく復古という形でなされ、原子爆弾が落とされて、戦後は民主主義と産業化の実験場となり、伝統とテクノロジー、人間と自然が奇妙な形で共生・分裂している。そこにある「触媒」の存在は、分断・対立する世界の中で新たな選択肢として価値を与えるかもしれない。
いっぽうでそれを理解してもらうのにはハンディがある。身体性やゆるやかな主体は、言語になり難いからである。その点で、アートや視覚文化はその助けになるだろう。グローバリズムが加速し、一瞬でパンデミックになるような状況の中、日本のビジョンを表明することはますます重要になる。表明することではじめて「触媒」の存在も見えてくるからだ。内にこもれば「ゆるやかな主体」や「独自の身体性」は、無責任の体系を生む温床にもなりうる。その悪い面を防ぎ、良い面を引き出すことは、日本社会の永遠の課題である。本書は、インサイトの視点で、アートによって、外に表明した一つの記録として、今後とも参照されるだろう。
[i] 岡部あおみ『ポンピドゥー・センター物語』紀伊國屋書店、1997年、p.97
[ii] 長谷川祐子編『ジャパノラマ-1970年以降の日本の現代アート』水声社、p,47
[iii] 前掲書、p.16