映画『アートのお値段』に見る ”アートのお仕事”(アーティスト篇)
監督:ナサニエル・カーン 出演:ラリー・プーンズ、ジェフ・クーンズ、エイミー・カペラッツォ、ステファン・エドリス、ジェリー・サルツ、ジョージ・コンド、ジデカ・アクーニーリ・クロスビー、マリリン・ミンター、ゲルハルト・リヒター 他
HOT & SUNNY PRODUCTIONS and ANTHOS MEDIA in association with ARTEMIS RISING and FILM MANUFACTURERS, INC. present
2018年/アメリカ/98分/英語/DCP/カラー/原題:THE PRICE OF EVERYTHING/配給:ユーロスペース
2019年に公開されたドキュメンタリー映画『アートのお値段』。アート界は、作品が生み出される現場と末端における価値観が大きく違うのでいつも目まいがするのですが、そのクラクラする感じが本当によく描出されていて見事でした。登場人物たちも魅力的です。それぞれの「アートの価値」の話は、つまりそれぞれにとっての「人生の中で何に価値を置くか」という話でもあります。ドタバタ劇としても楽しめますが、私にとっては、やはりそれ以上のものが味わえる、滋味深い映画でした。
実はよく「キュレーターってどんな仕事なの?」と、業界外の友達から質問されて、仕事内容を説明するのですが、説明してもあまりピンと来てもらえないこともあって…。もしかしたら社会の中でーー経済の中でーーどうおさまっているのかのほうを説明すべきなのかもしれないと思っていました。それで今回は、アートとお金をテーマにしたこの映画の登場人物たちの仕事を見ながら、私がどのあたりに立っているのかも話してみたいと思います。
書き始めたらけっこういい感じのボリュームになりそうなので、5回連載にします。(ネタバレを含みます。が、業界の中にいる人でなければ逆に先になんらか読んだほうが映画も分かりやすいのでは、と個人的には思います。ちなみにレビューもいろいろあります(例 1 & 2)。映画自体はネット上のレンタルなどで視聴可能です。私はAmazonプライムで見ました。)
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作品を生み出す作家たちのほうから、言葉を拾っていきます。*引用は字幕版の日本語より。翻訳者名が見つけられず…。わかれば追記します。
アーティスト
アートと金に本質的なつながりは何もない
ーーラリー・プーンズ
ルールなんてない 何がいいか 何が悪いかなんて
アートは意に介さない 気にしたこともない
ーーラリー・プーンズ
ラリー・プーンズは1960年代から70年代にかけて人気のあった作家。でも絵画のスタイルを変えたら売れなくなったという。それでも「進化したいんだ」と自分を貫きます。彼の生き方はクラシックな芸術家像として映ります。映画にはまず不遇な作家として登場しますが、終盤でNYのギャラリーに”再発見” されて個展を開催。救われた感じのエンディング。
ところでこの映画では一次市場(プライマリー・ギャラリー)と二次市場(オークション、セカンダリー・ギャラリー)がはっきり描き分けられていないので、そこが業界外の人には分かりづらい気が。両方はゆるやかにつながって”マーケット”を構成していますが、前者が作家と直接やりとりし、協働する立場なのに対して、後者は作品を購入した人がさらにそれを売りに出す場なので、作家とは基本的には切り離されています。
以下の作家たちのコメントは、映画自体がサザビーズのオークションを一つの軸にして構成されているので、概ね二次市場についての言及です。
(世界一成功しているアーティストです、の問いかけに答えて)
もしそうなら恐れ多いことですが
なぜ私が作品を作るのか その理由はただ1つ 自分の関心なんです
ーージェフ・クーンズ
マーケットで高額取引される作品を次々と生み出すジェフ・クーンズ。そんな彼であっても、自分が作りたいと思うものを作っている、ただそれだけだと話します。
作品が展示される頃には死んでることも。そこがツラい
特に女の場合は高齢か死んでないとダメ
ーーマリリン・ミンター
1948年生まれのマリリン・ミンター。最近まで稼げなかったけどなんとかやってきた、と話す。作品は「売れなくてもいいのよ」。自分の創作に向き合うほか特にやることはないと達観しています。
白熱状態で冷静になれる?
(白熱状態とは?)自分の作品に100万ドルがつく時。
アーティストには危険よ 白熱状態で 人は消耗し 正気を失ってしまう
規模が大きすぎる 長く続く試合みたいなもの 長距離走ね
ーーマリリン・ミンター
マーケットとの距離感をすごくしっかり持っています。お金に惑わされないように、という警告。
お金はモチベーションにはならない
私を掻き立てたのは”緊急性”と その視覚化だった
ーージデカ・アクーニーリ・クロスビー
ナイジェリア出身の若手作家、ジデカ・アクーニーリ・クロスビーは、いまマーケットで人気が急上昇中。でもやはりしっかりとした距離感がある。
”成功”については 長期的な視点で考えるようにしてる
長期的には公共機関や展覧会が大切なの
(美術館に収蔵されたい?) ええ 美術館は文化の門番と言えるもの
ーージデカ・アクーニーリ・クロスビー
上記はオークションで高値がついた直後のコメント。オークションでいくら高値で売られても彼女の手元には一銭も入ってこない。”成功” についての距離感も参考になります。そして美術館に信頼を寄せているのがわかる。
マーケットは切り離された存在だ
芸術作品の創造とは別物だよ
ーージョージ・コンド
ジョージ・コンドもマーケットで非常に人気の高い作家。それでもコメントは他の作家と同じですね。
(作品が突然 競売にかけられることについては・・・)
美術館で展示されるほうがいい
ーーゲルハルト・リヒター
作中、サザビーズのオークションで、リヒターの作品はこの時の目玉として、日本円にして20億円以上の値段で取引されていた。しかし彼の態度は、本作に登場する作家の中でも最もはっきりしている。つまりマーケットを忌み嫌っています。
家の価値を上げるなんてごめんだ
フェアじゃない 絵は家じゃない
金は汚い
ーーゲルハルト・リヒター
リヒターの妻で自身も作家のザビーネ・モーリッツ・リヒターが、美術館に収蔵されることの意義を説明する。「美術館には民主的な意味がある。貧乏人にも金持ちにも平等に機会を与えてくれる」。
まとめると、アーティスト達はギャラリーと協働して作品を売りながらも、それがのちのち高値で取引されることには否定的、あるいは距離を置いていて、評価は値段ではなくて美術館に収蔵されること、と考えていました。
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この映画の舞台、ニューヨークには以前しばらく滞在したことがあって、若い世代の作家たちがどうやって生活し、制作しているか、いろいろ教えてもらいました。すでに成功している作家のアシスタントをしている作家は多かったです(映画の中で、クーンズのアトリエが映りましたね。あそこで働いていたのは若い作家たちではないかと思います)。あとアートハンドラー(作品を運んだり、設営したりする仕事)も。アートとは関係ない仕事をやっている作家もいました。いずれもパートタイムで、自分の創作の時間はきちんと確保しますし、自分の展覧会の設営があれば仕事をがっつり休みます。いっぽうで助成金やアーティスト・イン・レジデンスに応募を続けます。助成金がとれれば、それは生活費ではなく制作費(材料を買ったり、技術的なことを外注する費用など)に当てます。
つまり、いろんな方法でとにかく作り続ける環境を自分で用意して、なんとかかんとか生活し、創作し続けていく。その中で、人によってはギャラリーがついて展覧会をし、作品を売ってくれます(売れるかどうかはまた別だそうですが)。アートプロジェクトみたいにあまり売るのに適さないタイプの作品を作る作家もいますし、また評価が生きている間にやってくるとは限りません。でも作家は作ることが生きることなので、みんな粘り強く、どうやったら生活しつつ作家をやっていけるかを模索していました。
マーケットの動きと連動しながら活動できるような作家も中にはいるのかな、と思っていましたが、あの、マーケットを手玉にとっているかのように見えるジェフ・クーンズですら、やはり自分の創作のことにしか関心がないと言っているのをこの映画はとらえています。作家とマーケットの距離はやはりかなり遠そうです。
(つづく)
※初出 金澤韻「『アートのお値段』に見る”アートのお仕事”(アーティスト篇)」、KODAMATRIX(金澤韻のnote)、2021年2月5日