装飾から見える建築と街の歴史『装飾をひもとくー日本橋の建築・再発見ー』
本書は、2020年9月2日から2021年2月21日まで、日本橋高島屋S.C.本館4階展示室、高島屋史料館TOKYOで開催された「装飾をひもとくー日本橋の建築・再発見ー」展の関連書籍である。
本書の監修者である、建築史家・建築評論家の五十嵐太郎は、2008年の第11回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館のコミッショナーを含め数多くの建築展を手掛けるだけではなく、2013年には、「あいちトリエンナーレ2013」の芸術監督を務めるなど、建築とアートをまたがるキュレーションや評論活動でも知られている。2019年には、ザハ・ハディッドらが設計した「幻の国立競技場」など、実現しなかった建築・都市をテーマにした展覧会「インポッシブル・アーキテクチャー」の監修を手掛け、話題となった。
五十嵐は、評論活動の初期から、KPOキリンプラザ大阪のコミッティとなって、建築とアートの領域を横断するような展覧会の企画を行っていたことから、アートと建築を展覧会として表現する際の共通性や特性の違いをよく理解している。その明らかな違いは、当然、建築展は「現物」を展示できないという点だろう。そのため、KPOキリンプラザ大阪では、体験可能な等身大の作品を展示するなどの工夫をしてきた。それが難しい場合は、模型や図面、写真、映像、近年では3DCGなどを組み合わせることになる。
いっぽう大阪では、実際の建築を一斉公開して見ることができる「オープンハウス」形式の「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪(イケフェス大阪)」などが開催されており、新しい建築の楽しみ方が浸透してきている。突き詰めれば、建築の場合、実際建っている場所を訪ね、見回ることが一番だろう。とはいえ、図面や模型、写真などで、別の角度でわかることも多い。建てられる前にも後にも歴史があるからだ。
本展では、その2つの要素をうまく組み合わせて開催されたようだ。つまり、日本橋高島屋が建っている立地を活かし、日本橋の建築にフォーカスを当てて、展覧会の後に実際に建築を自分の目で見て確認できるようになっているのだ。特に日本橋という場所に加えて、「装飾」に絞ったのは慧眼だといえるだろう。建築史家ではないと、装飾の細かい来歴はわからない。多くのガイドブックは、様式と建築家のエピソードが書かれている程度であると五十嵐も指摘しており、それも間違いが多いという。本展ではそのようなレッテルや背景ではなく、物そのもの、装飾そのものに語ることを試みたのだ。
本書では、1章に「様式の受容」として、日本における古典主義様式の代表作ともいえる日本銀行本店本館(1896)と三井本館(1929)、2章「和風の融合」として、日本橋三越本店本館(1914)、展覧会場となった日本橋高島屋S.C.本館(1933)、日本橋(1911)、3章「現代への継承」として、日本橋高島屋S.R.新館(2018)、スターツ日本橋ビル(1989)、東京日本橋タワー(2015)、日本橋御幸ビル(1975)、野村証券日本橋本社ビル(1930)、日本橋三井タワー(2005)、コレド室町1・2・3(2010-2014)、日本橋室町三井タワーコレド室町テラス(2019)が紹介されている。
1章は、もともと古典主義建築が、ギリシア建築に由来しており、日本銀行本店本館や三井本館の意匠がどのような部分からとられているか、辰野金吾のスケッチを含め豊富な参考図版を挙げつつ、細かくひも解いている。辰野が、ギリシア建築の意匠をよく理解しつつ、建物の条件に合わせて、選択していたことがよくわかる。参照されたとされるベルギー国立銀行だけではなく、今回初めて指摘されたというアイルランド国立図書館との類似性も興味深い。オリンピックと同様、古代エジプトとの歴史を切断した上で、古代ギリシアの歴史がいかに反復されて、極東の島国まで伝わってきたのか把握することができる。この章は、 菅野裕子が担当している。
2章は、古典主義建築から、モダニズム建築の間にあたるアールデコなどに相当する、日本橋高島屋S.C.本館などが紹介されている。これが近代の百貨店建築の型となるものだろう。エレベーターやエスカレーター、照明、空調などの設備など、近代的な設備を完備しつつ、装飾性を捨てていないこの時期に、和風の意匠との融合が進んでいる。
3章は、現代建築であるが、1919年に定められた市街地建築物法の高さ制限、「百尺規制」と言われた高さ約31メートルに合わせて、スカイラインを分節化しているという工夫が紹介されている。新しい高層ビルも百尺のラインを強調する形で、下層部に基壇のような部分をつくり、装飾の調子を合わせ、その上に高層部をのせて景観の連続性を損なわないようにしている。つまり、装飾こそが街の遺伝子となっているのだ。モダニズム建築においては、そのような装飾性は排除され、機能性だけが注目されていたが、ポストモダニズムになって記号操作のような形で復活し、現在ではコクテクストに沿って装飾性が生かされているといえるだろう。
なかでも興味深いのは4章の「百貨店の建築展」であろう。百貨店の上層階に催事場をもうけ、まず利用客をそこまで上げて、そこから各階に降ろして買い物をしてもらうことを「シャワー効果」と言うが、設計者の高橋貞太郎はそのことをすでに動線設計として計画していたという。その方法は、戦後の百貨店内の美術館にも継承され、現代でも森美術館やあべのノハルカス美術館などで採用されている。
本書では、日本高島屋で開催され、建築・生活・文化に関連する展覧会を抽出し、年表形式で記載している。1955年の「芸術の綜合への提案 巴里1955年 ル・コルビジェ、レジェ、ペリアン三人展」、1956年の「ザ・ファミリー・オブ・マン写真展」(会場構成:丹下健三研究室)、1957年の「第11回ミラノ・トリエンナーレ国内展示会」(会場設計:坂倉準三、丹下健三、清家清)など、建築家にとっても重要なメディアであり、仕事場であったことがわかる。特に、「ザ・ファミリー・オブ・マン(人間家族)」は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の写真部門のディレクターであるエドワード・スタイケンが企画した展覧会で、1955年から1962年まで38か国を巡回し、900万人を動員した伝説的展覧会である。大小のパネルを立体的に展示したことで知られ、一つの物語のように構成されていた。丹下研はMoMAにはない円環状の展示什器を導入したという。この章は、菊池尊也が担当している。
また本書の表紙は、日本橋の地図や装飾の解説が織り込まれており、それを開きながら、実際の街を歩いて確認することが可能になっている。糸綴り製本のため、開きがよく、見ているときのストレスもない。今までに見たことがない造本であり、さすがにさまざまな造本作品を制作している松田行正の仕事であるとうならされる。
本展・本書自体が、「百貨店の建築展」の自己言及であり、批評的なアプローチになっており、同時に「シャワー効果」を街にまで拡張するという、意欲的な試みになっている。展覧会は終了してしまったが、本書の価値はまったく失われていない。装飾を通すことで、より高い解像度で街が見えてくるに違いない。