記念鼎談「アトモスケープからKhoraへ」(「水津達大展 蹤跡」圓徳院) 津城寛文・水津達大・秋丸知貴

 

水津達大展 蹤跡

会期:2025年3月14日-2025年5月6日
(2025年2月20日より先行公開中)
会場:圓徳院(高台寺塔頭)
(京都府京都市東山区下河原町530)

記念鼎談「アトモスケープからKhoraへ」

【登壇者】
津城寛文(筑波大学名誉教授)
水津達大(画家)
秋丸知貴(企画監修者・美術評論家)

 

【秋丸】これより「水津達大展 蹤跡」記念鼎談を始めさせていただきます。司会は、企画監修者で美術評論家の秋丸知貴が務めます。

さて、本展は水津さんの新作絵画「コーラ(Khora)」というシリーズを展覧するものです。この「Khora」シリーズの誕生には、日本の宗教から文化や芸術を読み解く第一人者である、筑波大学名誉教授の津城寛文先生の「アトモスケープ(Atmoscape)」という概念が影響を与えています。

そこで、まず津城先生に「アトモスケープ」とは何かについて基本的な話をしていただき、次に水津さんに「Khora」シリーズについての説明をしていただこうと思います。そして、私の方で今回の展覧会の紹介をさせていただくという順番で話を進めたいと思います。

それでは、津城先生お願いいたします。

 

【津城】今回、水津達大さんの「コ-ラ(Khora)」をテーマとする展覧会ということで、私も映像で見せていただいて、ご本人と秋丸さんから、内容についても伺いました。「アトモスケープ(Atmoscape)」という言葉が出発点になっているところがありますので、まずそこを説明した後で、今回の個展への期待をお話したいと思います。

「アトモスケープ」は、3年前の西武池袋本店での、水津さんの個展のタイトルに使っていただきました。この時は水辺の風景をモチーフにしたものが多くて、私は直感的にも感覚的にもとても好きな作品群でした。このアトモスケープ、「雰囲気の景観」という言葉は、私が造語して、1995年に発表したものです。日本人が英語その他で造語をするのは、珍しいことですけども、敢えて試みてみました。誰かすでに提案していないだろうかと思って、いろいろ検索しましたが、2010年ころまでは、ヒットしませんでした。2010年ころ、はじめて検索にかかってきたのは、オーストラリアのインターネット・ムービーの企業のホームページでしたが、言葉の由来については、言及がありませんでした。私が1995年に出した本は、日本語で書いたものですから、世界的にほとんど知られていないのは、当然ですが、造語のプライオリティは私にあり、コピーライトは「津城」です。

それはともかく、いろいろ調べているうちに、「atomospheric landscape(雰囲気的な景観)」で検索すると、まさに私が雰囲気の景観で言おうとしていたような雰囲気の絵画や映像が、ヒットしてきました。ターナーとか、印象派とか、日本で言えば縹渺体とか朦朧体とか、あるいはさかのぼれば水墨画のようなものです。音楽で言えばアンビエントとよばれる、包み込まれるような音楽です。

視覚的な景観がランドスケープと呼ばれてきたのを受けて、R・マリー・シェーファーというカナダ人が、1960年代に「音の風景」ということを言い出して、視覚優位の景観の認知が、他の感覚に広がってきたように思います。その後、「香りの風景」という商業用語もありました。これを全感覚に広げて、共感覚的に膨らませると、「雰囲気の景観」になるのではないかと考えて、実験的、試験的にこういう言葉を考えてみました。私は絵画や音楽はまったく創作できませんが、和歌を多少嗜んでおり、こういう景観と気分が同調するような叙景歌を作ってきました。一例として、つぎのような拙い和歌があります。

 

むれ鳥の 川面を渡り 離る辺に 雲の透く間ゆ 黄金日の蒸す(日守麟伍)

 

これは、群がった鳥が川面を渡ってずっとこう遠くへ去っていくところに、雲の隙間からこがね日が射して、蒸気がむせ返るという雰囲気の歌です。こういう情景を、理論的に説明するために、自分で「アトモスケープ」という言葉を造って、和歌の実作と平行しながら、楽しんできました。この言葉に、水津さんが関心を持っていただいて、使っていただいたというのは、水津さんの絵自体が、水をライトモチーフにしており、水津さんが水的な人だからだろうと思います。私も水的な人間なので、深く親近感を覚えます。音楽でいえば、武満徹が非常に水的な人で、彼の音楽のいくつかは、まさにアトモスケープを表現するもの、アンビエントな音楽で、とても好きな作曲家です。もちろんそうでない音楽もあり、アヴァンギャルドな実験作品は、感傷的な雰囲気を拒否する厳しさで張りつめていますけれども、ちょっと力を抜いて楽しむような、たとえば「青幻記」「波の盆」といった映画や、「未来への遺産」などの映像に寄せた音楽は、アトモスケープに浸る耽美的な感覚に満ちています。

そのような共感覚的な「アトモスケープ(Atmoscape)」から、水津さんは今回、「コーラ(Khora)」を志向する境地へと、展開しておられます。コーラはプラトンの宇宙論である『ティマイオス』に出てくる言葉で、後で水津さんがご説明されるように、創造神に先立つ、創造の基盤と言うか前提を指す記号です。ユダヤ教の神は、創造神、唯一神教と言われる一方、歴史的で人格的な神とされますが、他方、神秘主義の中には、歴史的、人格的な神とも、創造神とも違う、「隠れた神」「原空間」という考えすらあるようです。「原空間」というヘブライ語について、私はまったく知りませんけれども、少しは仏教の知識がありますので、安易に等置はできないにせよ、「無」とか「空」とか、「真空」とか「妙有」とか「虚空」という言葉を連想して、想像できるように思います。ユダヤ神秘主義を研究した有名なゲルショム・ショーレムは、その「隠れた神」と「生きた神」を随所で対比して論じています。しかし、「コーラ(Khora)」に言及してもいいのに、と思うようなところで、いっさいこのギリシア語に触れていません。これは多分Khoraを論じ始めると「生きた神」から離れ、ユダヤ教ではなくなってしまうという、自己制限、自己検閲がかかるからではないかと思いました。「コーラに言及してもいいのに」と思ったのは、私の勝手な反応ではなく、ユダヤ人である、脱構築で有名ジャック・デリダに、『khôra』という単著があって、ユダヤ教の神との間を行き来しながら論じているからです。実際、この「コーラ」の立場からすれば、あらゆるものは構築の産物ですので、脱構築することができます。ユダヤ教の伝統ではなくて、ギリシア語のKhoraという言葉が、デリダの一つの脱構築の足場になっていたと思います。

宗教芸術においては「無」とか「空」というのを志向する方向と、それから「荘厳」とか「美」というのを志向するものがせめぎ合っていると思うんですけども、どっちかに行くというよりも、この緊張感が作品の強度を高めるのではないかと思っております。今回の水津さんのKhoraというのは、そういう緊張感が、画面から溢れ出るような作品になっているように感じました。宗教と芸術という一般論でいえば、水津さんの美学、画作は、「蹤跡」とあるように、「蹤跡」が無くなってしまうと、まったく人間離れのした世界になる訳ですけども、そこに至るところの蹤跡=足跡を今刻んでいるところであるという言い方をされています。これは「否定道」とか「向上の道」とか「往相」と言われるような道行きだと思います。

他方で少し参考になると思うのは、藤原俊成が歌論『古来風体抄』で、「空仮中」という天台の教義に言及しております。この思想は、究極の真理としての「空」と、現象としての「仮=色」と、それからその両者を二つながら束ねるような空即絶色・色即是空の「中」の立場を、モデル的に並べたものです。和歌は「仮」「虚」を詠んでいるように見えるけれども、「空」「真」を実践しつつ、すなわち「中」を観じている、という安心のし方をしたのだろうと、自らの和歌の実作の体験を踏まえて、そう思います。この「空仮中」の区分を使えば、水津さんは今、「仮」を離れて、「否定道」を辿って、人跡未踏の「空」に近付いていこうとしておられるところかと思います。その足跡はどこに続くのだろうかと考えると、「仮」が蒸発していくのだろうか、あるいはまた向きを変えて、「向下」「還相」といった肯定の道に入ってくるのか、「往相」と「還相」が反復して遊戯三昧のようになることもあるのかな、と想像したりしております。

いずれにしても、今回の個展では、大変素晴らしい作品として残された足跡を楽しみたいと思っております。私からは以上です。

 

【秋丸】津城先生の参考文献では、一番基本的なのはこちらでしょうか。この『日本の深層文化序説』(玉川大学出版部・1995年)です。ここで「アトモスケープ」という概念が最初に提出されています。第8章の5節です。

その他、特に注目すべき津城先生の参考文献は、これもアマゾンで販売されていますが、『深層文化から頂点文化まで』(2021年)です。こちらでも「アトモスケープ」についての学問的考察が展開されていますので、補足させていただきます。

津城先生、ありがとうございました。それでは、次に水津さんどうぞよろしくお願いします。

 

【水津】はい、お願いします。Khoraという作品についての芸術家的直感を何とか言葉にまとめて、お話しできればなと思います。

どういった作品かと言いますと、写真だとなかなか伝わらないのですが、色々な方向に線を引き続けて、その重なりが空間というか、場として成立する。

それを絵画と呼ぶものなのかはもはや私にも分からないのですが、そういった場を作り続けて今回の展示で発表しております。

それで、ここに行くまでの過程として、私の最初の出発点は、津城先生がおっしゃったように風景からでした。元々、大学にいた頃は何を描くか、またその理由をずっと考えていました。風景を描く作家への憧憬があり、実際私も風景を描いていましたが、自分が風景を描く理由をなかなか解釈することができなくて。それで色々な文献やらを読んでいたところ、ある学者の方が、風景は特定の文化がどういう風に世界を見ているのかの指標になると、言っていました。

例えば西洋の一神教を根底とする一点透視図法からくる風景画、もしくは、山水に遊ぶ、自分が景色の中に赴いて遊ぶことを主題とする中国。

また、基本的に中国由来ですけれども、外来文化を取り入れながら余白などを重視する――牧谿とか長谷川等伯なんかはすごく人気ですけれども――、そこに美を見出す日本。勿論、他の文化圏、インドであったり、イスラムであったり、また他にも様々な文化圏によって見方が変わると思うのですけれども、当時の私はその3つの文化が風景をどのように見ているかなということを調べながらも、では、現代で暮らす私自身は風景をどのように見ているのかということを考えました。

一つ気づいたのは、名所。例えば和歌で詠まれたような場所に行く時も必ず舗装された道路があり、電気が走っていて、常に文化的なレイヤーと文明的なレイヤーが必ずあるなということに、ある時思いいたってですね、二項対立・主客二分の世界に生きているな、と。ただそういう結論だけだと物足りなくて。

ちょっと飛躍するのですけれども、私が尊敬していた西行が2回修行に行ったとされる吉野から熊野へと行く、「大峯奥駈修行」という一番修験道の中でも厳しい行があり、2回参加いたしました。そこでご一緒した方がいらっしゃいまして、その方を通して津城先生との出会いがありました。

そうして、私がアトモスケープに触れるきっかけになったのが、2017年です。津城先生をお尋ねして筑波大学に遊びに行ったことがあり、余白に対するアプローチの仕方が、津城先生のアトモスケープ論を伺うことで変化したな、というタイミングでした。

津城先生よりお話を伺い、その後も反芻していく中で、はじめは何もない空間だと思っていた余白が実は濃密な空間といいますか、視覚以上にものを言う空間なのだという風に私なりには理解をして、そこからかなり制作に対する意識が変わった感覚があります。

その後、風景に対するアプローチというのは、アトモスケープ論を学んだことからある一定の答えといいますか、結論が出まして。

では、それを具体的にどういう風に表現するかという段になった時に、基本的に私は古典に立ち戻りがちなのですが、中国絵画、山水水墨の筆法を学ぶことにしました。

以前東京藝大でも教えてらっしゃった大竹卓民先生にお話を聞きに伺いました。その時に伺ったお話の中で、筆法というのは描く側が世界認識をどうしているか、それで、その世界認識をどういう風に表現に還元していくかという方法としての筆法だと、私は理解しました。逆に言えば、世界認識が変われば表現も変わる、と。

私は色々な方から教えを受けて、その中で世界認識がどんどん変化していく感覚がありました。その結果、つまり表現行為も単純に風景を美しく描くということではなく、もうちょっと深い何かを表せるのではないか、というところまでは考えていたのですけれども、では実際、どのように描くかというのは全く先が見えず、でした。

でも、ある時、練習線をずっと引き続けていたのですが――練習線というのは、筆を身体となじませる為の基本的な筆の使い方の訓練の線です――、その線を、重ねてみたのです。そうしたら、私自身も初めて見る新しい絵画空間をそこに見出すことができました。

その後更にもう少し展開があり、アルミニウムという近代化によって生じた金属素材と伝統的なアジアの画材である墨を混ぜて線を引くと、比重のせいか、墨とアルミが乾く段階で分離したり、分離しなかったりして、筆跡がいろんな表情、同じように線を引くにもかかわらず、同じ線というのは一度として再訪しない。それで、線を引き続けることによって生成したものの、痕跡を重ね続けることによってできたものを作品として昇華できるのではないかと思いました。

基本的にKhoraという作品を書く時は、筆1本しか使ってきません。

「khôra」はプラトンの『ティマイオス』に現われる概念で、私なりの芸術家的感性としての理解なのですけれども、基本的に二元論世界の外側もしくは二元論世界になる以前の世界を表わしていると思っています。

それで、先ほども申した西行とも実は繋がってくるなという感覚がありまして、西行法師が明恵上人――鎌倉時代初期の名僧です――に語ったとされる歌論があり、その中に「蹤跡(しょうせき)なし」という境地を語っているシーンがあります。空にはさまざまな要素、虹や太陽の光などが差すけれども、空そのものは変わらないと言いますか。

その境地は私も目指したい境地だなと思いまして、今回の展覧会タイトルに適切な言葉だなと思い、蹤跡(しょうせき)という言葉を付けたのですが、その後に、デリダが痕跡について触れている箇所を見つけました。Khoraというのが世界の起源を痕跡(Trace)として、母体とか受容者の中へ書き込むその行為そのものに対する問題意識を持っていたという風に私は理解して、もともと”Trace”を展覧会タイトルの英訳として使っていたのですけれども、ここにきて、Khoraと蹤跡という言葉が繋がったなという感覚がありました。

津城先生がおっしゃったとおり、ここから先、私がどのような表現をするのかというのは、全く見えていなくて、風景表現にもしかしたら戻るかもしれないですし、更に突き詰めた境地に行くのかもしれないのですけれども、まず今回の展示を通して次への展開を見出すことができればいいなと思っております。私からは以上です。

 

【秋丸】ありがとうございました。それでは、次は私の方から、画面を共有しつつ、今津城先生と水津さんにそれぞれ解説をいただいたことを受けて、改めて私の方で補助線のような形で、作品と展覧会の理解が深まるようなお話ができればと思います。

元々、Khoraとは何かと考えた時に、一番分かりやすいのは「水」ではないかと思います。つまり、光の反射とか波が立つというのは、そもそもまず水がないと存在しない訳です。Khoraというのは――ものすごく雑駁なイメージで恐縮なのですけれども――まずそのようなものとしてKhoraを捉えてみたいと思います。それで、それがなぜ「アトモスケープ」と関係してくるかというのが問題になります。

まず私の理解では、「アトモスケープ」というのは、西洋とは違う、日本の伝統的な世界の捉え方、世界との関わり方の問題です。

まず、人間は物心ついた時から自分と相手を分けて世界を認識します。これは人類にとって普遍的、老若男女、誰にとっても同じです。ただし、いわゆる西洋文明というのは、ものすごくその主客分離を強調していったと言えます。つまり、できるだけ視覚を重視する、そのために主客が分離していく。これが、基本的な西洋文明・西洋文化の根源だと思います。

これに対して、日本はやや違うところがあります。それを言語化し、概念化したのが「アトモスケープ」と解釈できると思います。

つまり、視覚を通じて世界と向き合うのではなく、視覚だけではなく、まず五感全体で――視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚全てを使って――世界と向き合い、世界を捉える。さらに、その五感がそれぞれ分かれているのではなく、共感覚的に一体化する。まず、この形が「アトモスケープ」の前提となります。

そのことにより、視覚というのは主体と客体を分けていきますけれども、むしろ主体と客体が分かれない形になる。つまり、主客合一もしくは主客未分離というような形で、世界と向き合う。この状態を言語化・概念化すると「アトモスケープ」と言えると思います。それを日本は――日本の文化的伝統、文芸的伝統、芸術的伝統は――追求していったところがある。例えば、「もののあはれ」とか「風雅」「風流」というのは、そういう形ではないかと思うのです。

これが、実は《Khora》と関わってくると思います。最初に「Khora」シリーズを見せていただいた時は全く意味が分かりませんでした。むしろ、「面白くない」と思っていたんですね。それはなぜかというと、画面の中に対象を探していたからです。具体的な、具象的な形、もしくは抽象的な形を探しても全然ないので、極めて退屈な画面だなと思っていました。

ところが、水津さんからそういう絵画ではないのだと説明を受けました。描くともなく描くという形で、線とも筆触とも点とも分からない形で、筆法で表現していく、身体を使って。それを聞いた時に突然分かったんですね、この「アトモスケープ」という概念との関わりが。

どういうことかと言いますと、まず水津さんの実践された大峰奥駈修行、山歩きの時というのは、歩くともなく歩く、一歩一歩足を踏み出していく。そのたびに雑念が消えて、次にどこに足を置こうかということしか考えなくなっていく。歩むともなく歩んで行く。そうすると、雑念が消えて無心になっていく。浄化されていく訳ですよね。水津さんは、画面でそれと同じことをしていると理解しました。

つまり、描くともなく描く。意識的にではなく、ほぼ意識を減らしていき、無意識的な形で画面に筆を置いていく。そのことにより、どんどん雑念が消え、無我といいますか主客合一の方向に向かっていく。これが《Khora》という画面の秘密だと分かった訳です。そうするとですね。突然私には水津さんの「Khora」シリーズが魅力的なものに思えた訳です。

元々、水津さんは東京芸術大学の日本画科――入試の鉛筆デッサンで日本最高の高度なレベルを要求される――のご出身です。ですので、主客分離という意味では具象的・写実的な絵画は極めて高度なレベルで習得されていました。そして、そういう作品を描いていたのですが、だんだん画面がそういう主客分離ではなくなっていく訳です。

ちょうど水の光の反射、波の反射のような画面が出てきておりますけれども、こういう形でだんだん対象を描くというよりも、対象と一体化していく。世界と一体化していく。つまり、アトモスケープ的な感覚を表現していくという形に作風が進展していく訳ですね。特にこの作品(《揺らぐ森》2021年)などはそういう意味でないと何を描いているのか分かりにくいのですが、主客分離を主客合一にしていくというような形で理解できると思います。

これに加えて、「青い海」シリーズや「水辺」シリーズも同時並行しています。《青い海》(2021年)というのも、主客分離ではなく、主客が合一化していくような形。こういう《白い海》(2019‐22年)もほとんど何も描いていないように見えますが、しかしこれは対象が消えていくということなんですね。対象が消えていくことにより、世界と一体化していく感覚を描く。それも、ちゃんと日本や中国、東洋、東アジアの伝統に基づいている訳です。

さらに、桜を描いても桜に包まれていくような感覚になる訳ですよね。そこから、次第に対象を描く必要はないのではないかという方向に進んだと思われます。こういう風に、もう画面が全て桜で埋まって、自分と桜の境界がなくなっていく訳です。その中で《遊心方外》(2022年)という極めて描写対象の少ない作風になり、その中で《Disappearing》(2021年)という「消える」という作風が出てきます。ここで、もう対象を描かなくなっています。というのも、むしろ筆法自体が、身体感覚自体が表現になっていく。そこから「Khora」シリーズというのが発展していきます。

ですので、対象を描いているのではない。対象を探そうとしても、そこには何もない。でも、主客分離が主客合一になっていくような感覚を描いていると思うと突然、ここに爽やかな風が吹き渡るような魅力を感じるのではないでしょうか。この「Khora」シリーズが、今回の圓徳院での個展の中心シリーズになります。

圓徳院は、北政所ねね様が、夫の豊臣秀吉公の菩提を弔う高台寺を創建し、そこに通うため山内に移築した伏見城の化粧御殿及び前庭が元になっています。そこで、本堂の左右に脇侍のように《Khora》が掛かっており、またその回廊を周っていくと、長谷川等伯の《山水図》と水津さんのサムホールの《Khora》の競演が見られます。

さらに、「無盡蔵」という蔵の中では、青色の「Khora」シリーズが展覧されています。そして、扁額の前にも《Khora》が置かれています。これらは、いわゆる日本の伝統的な自然観、そして仏教における禅の感覚を、水津さんなりにある種の調和を目指して展示していると言えます。

それで、これが国指定名勝庭園の北書院の北庭なのですけれども、それに向かい合うように床の間3つに大型の《Khora》作品と立体の《Khora》作品が設えられています。こういう形ですね。この個展は、高台寺・圓徳院の「春の特別拝観・夜間ライトアップ」に合わせた特別展示ですので、夜も展示を見ることができます。こういう形で、今回禅寺で「Khora」シリーズの個展ということになった訳です。

そして、これは特別展示ですが、American Expressカードの休憩所の床の間に展示されている黄金の《Khora》の掛け軸、そして白銀の《Khora》です。

一番重要なのは、この西行の「蹤跡」ということなのですが、日本の文化、そして芸術というのは、全て自然観、そして宗教観に深く根ざしていると思います。その中で、西行は自分の和歌というのは全て仏の教えに近づくための道歌であるという風に説明されています。ただし、そこに至るまでにはまずきちんと現世のものに触れなければいけない。つまり、実際に自然、大自然に触れて、雑念(≒蹤跡)が浄化され、無心になることにより仏の教えに近づくことができる。そういった意味での「風雅」としての和歌だという風に説明していると、私は理解しています。

そこで「蹤跡なし」という言葉が出てくるのですけれども、それは実は西行だけではなくて、「恵心僧都」と呼ばれた源信も同じような歌論を説いています。そして、藤原俊成も同様の系統にあるということが、津城先生から先ほどご説明がありました。

何よりも重要なのは、古いだけではなく、しかしきちんと伝統を押さえた上で、現代において日本の良いところ、日本の文化芸術の良いところを、どのように再生できるか、反映できるか、改めて命を吹き込むことができるかだと思います。

 

◇ ◇ ◇

 

【秋丸】それでは、今3人それぞれ話し終わったところで、改めてフリートークに入りたいと思います。どなたかお話をまず口火を切っていただけませんでしょうか?

 

【津城】では私から。

 

【秋丸】津城先生、お願いいたします。

 

【津城】今、秋丸さんが水津さんの作品の流れを、初期から今まで並べていただき、水津さんご自身の説明も伺いながら思っていたのが、「筆法」ということでした。書道も同じく、筆を使って造形しますが、これは造形一般で言えば、手の動かし方とか、あるいはもっと広く体の動かし方とか構えとかいうのがあって、音楽もビデオでなければ音だけを聞きます。造形者ならぬ我々は、それを見ることはできなくて、作品だけを見るのに対して、生み出す側からすると、どんな構えでどんな筆使い、動かし方をして、足跡を刻んでいくかが大事なのだろうと、思いました。連想したのは、昔読んだ一節で、書道と剣道の達人で禅僧の大森曹玄さんが書かれたなかに、筆で書いたものを電子顕微鏡で見ると、達人が書いた書は、墨の粒子がきれいに揃っているとありました。素人のは不規則で、達人のは粒子が揃っているのは、何だろうかと思ったことがあります。水津さんが、運筆を重ねながら書いているうちに発見があったというのは、これは素人には分からない次元だとと思いながら伺っていました。

「Khora」という言葉にたどり着いたのがとても面白いと思ったのは、Khoraは創造「以前」の記号で、そうすると我々は創造された「以後」の宇宙の中で、更にその一かけらが固まった地球にへばりついて、建築物があって、色んな制度でがんじがらめになって、杭を打ったり、何か建てたりした世の中で生きている訳です。その中で、学者であればいい論文を書きたいとか、画家であればいい絵を描きたいとか、小説家だと芥川賞が欲しいというように、構造の中で動きまわっています。Khoraに遡るということは創造「以前」を目指すことですから、まさに脱構築です。あるところで、私が「デリダも最後の脱構築をしたらどうだ」と言ったら、「最後の脱構築ってどういうこと」と突っ込まれて、何ともお答えできなかったんですけど、「脱構築」には、西洋的なバイアスというか、ユダヤ的なバイアスがというか、政治的なバイアスがあるとは思います。それを外さないといけないのではないかなと思って、そう言ったように思います。水津さんが、伝統とか師匠の言うこととか、そうして構築されたものを外していって、始源に遡るというのは、向上の道、否定道をひたむきに進んでいるところだなと思いました。そこから表現される作品は、創造され、構築され、構成された世界の中でジタバタやっている作品とは、違う質のものだと思います。我々は、被造物の末端ですから、創造の始源には帰れませんけれども、理想的にはその究極の場から創造するという志向は、普通の構造物とはレベルの違う状態にあるように思います。

Khoraは水のようなものという、秋丸さんのご指摘もとても面白と思いました。Khoraは水以前だろうとも思われますが、タレスが万物は水から生じる、万物の始源は水だと言ったように、これは水の源になる根源のエレメントです。ドイツ人は「Ur‐」という接頭辞が好きで、水に関しては、「Urwasser」という言葉があります。四つか五つあるエレメントのなかで、根源のエレメントになり得るのは、水か火です。ビッグバンを考えると、火だと思うかもしれませんし、原子雲にしても火と言っていいのかもしれませんけれども、ビッグバンは、すでに創造の第一歩です。創造以前は、すべてが満ち満ちていながら、無限に静謐な、想像すれば水のような、「真空妙有」といわれる状態だと思います。水津さんの作品は女性的と秋丸さんがおっしゃったように、私の和歌も女性的なんですけど、女性的なものは火的というよりも水的なもので、根源に近い気がします。火は戦いのエレメントでもあり、根源から発火したあと、すでに創造された構築物のなかで、戦いの原理になっているような気がします。お二人の話を聞きながら、こんなことも考えました。以上です。ありがとうございます。

 

【秋丸】ありがとうございます。補足させていただくと、私もKhoraは直接の水ということではないと考えております。ただ、魚は多分水を意識しない。泳いでいる魚は、水を意識しない。我々も空気があることを、通常は意識しない。だけど、それがあることによって、実は世界というのが成り立っているという意味での「水」というようなイメージで、私も捉えております。

それで、それはプラトンもそういう風に「女性的なもの」と書かれていたと思うのですけれども、むしろ受け皿というような形、受動的な存在と言えるのではないかと。そこが、水津さんの作風とも何か親和的なのではないかという気がいたします。

私の方でさらに補足させていただくと、水津さんは極めて真面目な方です。アーティストとしても自分に嘘をつけない、自分の理想を真面目に追求されるタイプだと思っています。彼は画家ですけれども、日本の文芸にも関心があり、特に西行の切り拓いた文芸的世界に対してすごくリスペクトされている。

ただ、その時に彼も多分大変だったと思うのです。色々と自分が進んでいる方向が、これで正しいのかどうか迷わずにはいられないと思います。ならば温故知新と言うか、彼はその中で古典にすごく注目するのが良いところだと思っています。さらに、極めて勉強家でもあります。ですので、自分が求めているものをきちんと学問の世界にも求められ、その中で津城先生の「アトモスケープ」という概念にきちんと辿り着いています。

ですので、その学問をバックボーンにして、誰も現代においては切り拓いていない道を進んでいくという、そういう意味で極めてアヴァンギャルドであり――この「アヴァンギャルド」というのは先程津城先生が言われた言葉ですけれども――極めてアクチュアルでアヴァンギャルドな作風、そしてそれを日本の由緒正しい禅寺で行っている、展覧しているというのが、この展覧会の一つの魅力、チャームポイントと言えるのではないかと思います。

学問と芸術、知性と感性の競演も、一つの見どころですね。そして、古典と現代、伝統と現代という形で再解釈しつつ、日本文化の最新形を見せる、極めて刺激的な、そして意義深い展覧会になっているのではないかと、企画監修者の私自身は考えています。

ちょっとここまでハードルを高くするとなかなかコメントしにくいかもしれませんが、それでは水津さんの方で最後に何か一言いただけますでしょうか。

 

【水津】そうですね。先程津城先生が「型」の話をおっしゃったかと思いますが、自分の中では「型」というのは無心に至るための方法論みたいなもので、「型」を習得すれば頭で考えなくても形通りに動くことができます。秋丸さんに以前教えていただいた、オイゲン・ヘリゲルによる『弓と禅』という本があり、弓道の宗匠に習った西洋人、しかもドイツ哲学者である西洋人オイゲン・ヘルゲルがいかにして悟りに行き着くかという、その過程を描いたドキュメンタリーのような面白い本があるのですが、その中でもやはり「型」を重要視していて、「型」の修練から悟りへの道筋が見えるという風に、自分は理解をしました。

さらに、練習線というのが、それ自体には何の意味もない線なんですよ。

竹の葉っぱのようにも見えますけれども、別に竹の葉っぱを描いている訳でもないですし、そこから何かが発生するのですけれども、何かが派生する以前、まさにロゴス的な、制度とか言語とかになり得る前の世界を表現することができるという意味での練習線の「型」というのが、今の自分にとっては非常に適した身の振り方だなという風に思っています。

 

【秋丸】そこに、水津さんが大切にしている「身体性」というのが関わってくるということでしょうか。

 

【水津】それはそうですね。風土論を勉強していた時期があったのですけれども、やはり私達は概念的な人間ではなくて、身体を持っている人間なので、身体性を抜きにはやはり絵画が描けないという風に思っています。手がなければ筆も持てないですし。

 

【秋丸】頭で描くのではなく、身体というものを、自分で実感したものを表現する。そこがすごく、今のいわゆる西洋化された日本画とは少し違うところ、少しというか本質的に違うところかなという気がいたします。

 

【水津】恐らくですが、これは特別私だけが考えていることではなくて、同時代性があると思っておりまして。恐らく今「日本画」、例えば大学制度の日本画科で勉強している人たちなんかでも、明治以降に現れた「日本画」よりも前、というものを射程にして考えている人たちというのは増えているのではないかなという気はしています。あくまで個人的な印象ですが。

 

【秋丸】そうした同時代的な取り組み、それもアクチュアルな取り組みの一つとして、今回の「水津達大展 蹤跡」は位置づけられるのではないかと思います。

会期は、2025年3月14日から2025年5月6日までです。ただし、圓徳院の後藤正晃住職のご厚意により、2025年の2月20日よりすでに先行公開されています。

会場は、高台寺塔頭の圓徳院。京都府京都市東山区の「ねねの道」に面した圓徳院になります。ぜひ、皆さんにこの貴重な機会を楽しんでいただきご観覧いただければと思います。

それでは、本日の鼎談は一旦ここで締めせていただきます。また、改めてこの水津さんの画風について鼎談の機会を持てればと考えております。ぜひご期待ください。

それでは、津城先生、水津さん、本日はどうもありがとうございました。

 

【津城・水津】ありがとうございました。

 

(2025年2月25日録画。書き起こし時に文言を多少修正)

 

【関連論考】

解説「水津達大展 蹤跡」圓徳院 秋丸知貴企画監修
https://critique.aicajapan.com/8880

解説「水津達大――清新な風雅の探究者:『水辺』『青い海』『白い海』『花の雲』『Khora』シリーズ」秋丸知貴評
https://critique.aicajapan.com/4395

 

「水津達大展 蹤跡」公式ウェブサイト
https://suizutatsuhiro.com/2025traces/

「水津達大展 蹤跡」公式インスタグラム
https://www.instagram.com/2025traces/

水津達大公式ウェブサイト
https://suizutatsuhiro.com/

圓徳院公式ウェブサイト
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美術評論家・美術史家・美学者・キュレーター。 1997年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業、1998年インターメディウム研究所アートセオリー専攻修了、2001年大阪大学大学院文学研究科文化表現論専攻美学文芸学専修修士課程修了、2009年京都芸術大学大学院芸術研究科美術史専攻博士課程単位取得満期退学、2012年京都芸術大学より博士学位(学術)授与。 2013年に博士論文『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』(晃洋書房)を出版し、2014年に同書で比較文明学会研究奨励賞(伊東俊太郎賞)受賞。2010年4月から2012年3月まで京都大学こころの未来研究センターで連携研究員として連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の研究代表を務める。2023年に高木慶子・秋丸知貴『グリーフケア・スピリチュアルケアに携わる人達へ』(クリエイツかもがわ・2023年)出版。 主なキュレーションに、現代京都藝苑2015「悲とアニマ——モノ学・感覚価値研究会」展(会場:北野天満宮、会期:2015年3月7日-2015年3月14日)、現代京都藝苑2015「素材と知覚——『もの派』の根源を求めて」展(第1会場:遊狐草舎、第2会場:Impact Hub Kyoto〔虚白院 内〕、会期:2015年3月7日-2015年3月22日)、現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展(第1会場:両足院〔建仁寺塔頭〕、第2会場:The Terminal KYOTO、会期:2021年11月19日-2021年11月28日)、「藤井湧泉——龍花春早 猫虎懶眠」展(第1会場:高台寺、第2会場:圓徳院、第3会場:高台寺掌美術館、会期:2022年3月3日-2022年5月6日)、「水津達大展 蹤跡」(会場:圓徳院〔高台寺塔頭〕、会期:2025年3月14日-2025年5月6日)等。 2010年4月-2012年3月: 京都大学こころの未来研究センター連携研究員 2011年4月-2013年3月: 京都大学地域研究統合情報センター共同研究員 2011年4月-2016年3月: 京都大学こころの未来研究センター共同研究員 2016年4月-: 滋賀医科大学非常勤講師 2017年4月-2024年3月: 上智大学グリーフケア研究所非常勤講師 2020年4月-2023年3月: 上智大学グリーフケア研究所特別研究員 2021年4月-2024年3月: 京都ノートルダム女子大学非常勤講師 2022年4月-: 京都芸術大学非常勤講師