「ANTEROOM TRANSMISSION Vol. 3 – 24/7」が韓国、HOTEL ANTEROOM SEOULで開催されている。「ANTEROOM TRANSMISSION」はアートホテル、HOTEL ANTEROOM KYOTOが2021年、開業10周年企画として始めた若手作家育成プロジェクトであり、Vol.1、Vol.2と京都で開催され、今回、初めて海外での開催となる。
同プロジェクトの対象となる作家は、「現役大学生及び卒業後3年以内の若手作家」となり、次世代の作家に実験と活躍の場を提供することに重きを置いている。数多くいる若手作家を独自の視点で選出するのは、リコメンダーである(※1)。リコメンダーは、展覧会のテーマに合わせて作家を選出し、若手作家は問いとして投げかけられたテーマに呼応するように作品を用意する。テーマ設定は、同時代を生きる彼女・彼たちへ向けられた問いでもあり、これからの時代を生きていく上で避けては通れないテーマであることが多い(※2)。
ソウル開催となる今回の展覧会には、「24/7(トゥエンティーフォーセブン)」というタイトルがつけられた。「24/7」とは英語表現で、「24時間」「年中無休」「四六時中」という意味が含まれた言葉だ。本プロジェクトの企画・立案者であり、Vol.1からキュレーションを務めるインディペンデントキュレーターの上田聖子(MISENOMA)は今回、ソウルで開催することをふまえて、民族観や歴史的な違い、あるいはそれらの共通項でテーマを設定をするのでなく、国や文化が違えど変わらない、生活に根ざした時間性に着目してテーマを決めたという。時間の過ごし方は、もちろん国や都市によっても異なるが、人々の生活の指針となることは同じで、ボーダレスな概念である。また、会場となるのはホテルのギャラリーだ。昼夜問わず稼働し続けるホテルが持つ特殊な時間性は、まさに「24/7」を象徴するものである。そのような場所の中に、再度時間という概念を持ち込むことで、展示がソウルという都市と緩やかに繋がっていくのではないかという仮説を立てたそうだ。
Vol.3となる今回は、日本と韓国からそれぞれ1名ずつ、リコメンダーによって作家が選出されている。韓国からは、主にリアルとバーチャルを行き来しながら、様々な形式で作品制作を行うナム・ソヨンが。日本からは、生活の中で日常的に形成される言葉が持つ 「可笑しさ」を、映像や造形物を用いて独自の視点で探求する倉知朋之介が、作家として選出されている。
2名の作家を推薦したのは、日本と韓国、それぞれの国のレコメンダーだ。日本からは、京都のカルチャー発信拠点のひとつとして市民、アート関係者から親しまれている「VOU/棒」のオーナー、川良謙太が務めている。「VOU/棒」はギャラリー機能と、オリジナル商品を含むグッズを販売するショップ機能を持つ施設であり、日夜様々な文化関係者やアートファンで賑わっている。作家にとって実験的な展示やイベントを行えるオルタナティブスペースのような役割もあり、その時々で、都市に求められる役割を独自のスタンスで果たす稀有な場所だ。ソウルという、東アジアにおける文化の重要な発信地で展覧会を行うにあたり、川良のようにアートやデザインなど様々な領域にまたがっている人物をレコメンダーに選んだことは意義深い。
一方韓国からはソウル文化財団のイ・ハヌルが担当している。イ・ハヌルはソウル生まれで、京都造形芸術大学大学院(現:京都芸術大学大学院)でアートマネジメントを専攻。京都でのキュレーションや、彫刻家・名和晃平が主宰するSANDWICHでのプロジェクトマネジメントなどを経て帰国し、文化事業を支える仕事を続けている。上田が今回、彼女をコラボレーターに選んだのは、2つ理由がある。ひとつは彼女が京都に在住していた時から、アートプロジェクトなどを通し、特に若手作家の育成支援について問題意識を共有していたこと。もうひとつはソウル文化財団で支援するアーティストが、キャリア10年を超える中堅が多くなっており、若手支援がまだまだできていないという課題の共有も受けたからだそうだ。それらの観点からも、今回の協働は2人にとって問題意識を形にする念願の機会であり、且つ日韓の若手をクロスさせる今回の企画は、財団にとっても新しい視点を得られる助けになりそうだ。
さて今回の会場である「GALLERY 9.5」に入ってすぐ目につくのは、倉知がポリスチレンフォームで制作した、オクラの断面を模した巨大な立体作品で、一見してTVや映画のセットのようにも見える。倉知の映像にはお馴染みの独自の言語(本稿ではこれを「倉知語」と呼ぶことにする)が聞こえ、裏側に回るとスクリーンになっており、映像が投影されている。
一方で反対側には、スタンド型ディスプレイを中心にナムの作品が並ぶ。倉知とナムの作品が対岸で向かい合うように展示されており、緩やかな動線が引かれている。ナムの作品からは森のさざめきのような安らかな音がディスプレイから発せられており、呪文のような声を発し続ける倉知のそれとは対照的だ。展覧会は向かい合う2名の作品を行き来しながら、あるいは、左右の壁にわかれた2名の作品を個別にも鑑賞できるように作品が配置されている。
倉知の作品から見ていこう。愛知県出身の倉知は、京都芸術大学情報デザイン学科を卒業した後、東京藝術大学映像研究科メディア映像専攻を卒業。もともとショート形式の動画共有サービス「Vine(ヴァイン)」(2017年1月でサービス終了)やTikTok等で作品を発表していたそうで、本格的に映像インスタレーションを制作するようになったのは、大学進学後(※3)。お笑い芸人ならハリウッドザコシショウ、映画なら『少林サッカー』が好きだという彼は、映像内でも特に人物の表情や表現の誇張を多用し、ユーモラスな作品を数多く生み出している。
彼は今回、「24/7」というテーマから「眠ること、眠れないこと、眠ろうとすること」をキーワードとして抽出し、今回のメインとなる作品、《オクラ・ネイバー》を制作している。オクラの断面に写し出された12分のその映像は、絵本のようにシーンがテンポよく変わり、ターザン、妖精、ホスト、料理人、ラッパーなど様々な人・モノが登場し、物語を揺らし、乱しながら消えていく。光の使い方やカメラワーク、人物の誇張された表情などから古いコメディ映画にも、愉快なミュージックビデオを見ているような感覚にもなる。12分間の映像はループ再生で切れ目がなく、起点と終点がわからない。そのせいか夢中になって見ていると、幻覚、あるいは悪夢を見ているような錯覚に襲われる。
倉知の映像作品では、彼自身がメインアクターとなり、ある種案内人のように鑑賞者を作品の世界へ誘っていくものが多いが、今回メインアクターは、倉知の友人で映画制作にも携わる小島翔が務めている。筆者はループで三度、映像を見てみたが、小島がとめどなく話す倉知語を聞いていると、いつの間にか彼が倉知その人に見えてくるような瞬間が何度もあった。
言語が人に与える影響は大きい。例えば複数言語を扱う話者が、使用言語によって態度や性格に変化が現れたりすることがしばしばあるが、これは異なる言語を扱う際に、その言語を形成している文化的背景、言語的特性に影響を受けることが多いためと言われている。その影響は当然、言語習得のプロセスからきており、例えば日本語を話す時、多くの他言語話者は日本的な仕草や表現を用いるし、私たちが英語を話すときは、より直接的に意図を伝えることに重きをおき、感情表現などもいつもより強調される。言語習得において特に重要な要素は、ネイティブ話者の「模倣」である。「模倣」は、異なる言語背景をもった他者と自分を繋ぎ、混じらせながら、他言語を話すもうひとりの自分を作り上げる。
倉知の作品は、彼が影響を受けた映画、ミュージックビデオなどのコンテンツの断片的な模倣(彼の場合は「ものまね」という言葉の方がしっくりくる)、あるいは再解釈によって構成されている。いわば模倣の集合体が、倉知の想像力によって再編集され、独自の世界観を形成しているとも言えるだろう。それら倉知の世界観を演者が理解し、倉知の言語でそれを体現する時、演者自身も倉知の世界に取り込まれ、気づかないうちに倉知という存在に侵食されているのではないだろうか。そして鑑賞者も、映像を見ていると、意味は分からなくても耳に残る倉知語がエコーのように響き、サブリミナルのように映像内の顔や表情、言語が植え付けられ、鑑賞中は自身もそこに沈んでいく。模倣の模倣はその特徴をさらに強調させ、誇張された表現はより強いメッセージとなって響く。倉知の作品がもつ力は、関わるものたちを知らず知らず彼の世界へと引きずり込んでいく引力にあり、同時にそこがやみつきになりそうな魅力でもある。
今回倉知は映像に加え、コンテンツに合わせた作品をいくつか制作している。まさに「眠れないこと」をキーワードとし、24時間不眠の状態で制作した作品《オクラ・ネイバー〜まちがいさがし〜》や、《眠れない隣人》などの立体作品もあり、映像の外へと染み出す倉知の想像力の大きさを感じられる展示構成になっていた。
一方のナム・ソヨンの空間は、倉知のある種混沌としたそれとは対照的に、近未来的で柔らかく、どこまでも静謐だ。ナムは数年前から、「namsoyeonguso(ナムソ研究所)」という仮想のプラットフォーム(研究所)を作り、研究所の「所長」として鑑賞者との対話から始まる作品制作を行っている。ナムの空間は、まさに研究所内にいるかのような、時間感覚を忘れる雰囲気に包まれている。
ナムは嘉泉大学校美術学部修士課程卒業後、VRの専門家養成コース「コネクトプラス」を修了。特にコロナ禍において、無意識下にある生への渇望、人が社会の中でどう生きているのかということに関心を持ったそうだ。その中で彼女が特に関心を覚え、今日の制作テーマのひとつとしているのが道具(ツール)と人間の関係性である。彼女によると、人類は時代の発展とともに新たな道具を発明して進化を重ねてきているが、同時にその道具にも影響を受けて生きている。つまり道具と人間にはある種の互換性があり、その関係性を作品制作を通して明らかにしようとしている。
その関係性を確かめるために、ナムは個人の物語を収集する。具体的には「簡易依頼書」というものを人々(ナムソ研究所では「クライアント」と呼ぶ)から事前に集め、その内容を元に作品(ナムは「アイテム」という言葉を用いている)を制作しており、依頼書には、悩みが書かれている。悩みとは感情の塊でもあるわけだが、彼女はそれを、視覚化される情報としてリアルにアイテムとして再構築する。再構築されたものは、物理的に着用するモノと、バーチャルのみのモノがあり、どちらも等しく、そこに優位性はない。具現化されたものの多くは奇妙な形をしているが、それを見ることでクライアントは不可解さやおかしさを覚え、その鑑賞体験が悩みの「楽しい解消」につながるとナムは考えているそうだ。
展示会場にはクライアントからの過去の依頼書と、それによって生まれたアイテムが、いくつかセットで展示され、依頼書の内容も読めるようになっていた。
メインとなるスタンドディスプレイの映像作品のひとつには《投げろ!心と体の浮遊ベルト》というタイトルがつけられており、2名のクライアント(依頼者)の悩みに基づいて制作されている。依頼文は韓国語で記載されているが、翻訳アプリを使って見ると、「疲れて苦しい時に体が重くなり、ぼーっとしてしまう」、「何かをはじめようとした時に、やる気とは別に胸に重いものがある」とある。ナムはこれに対し、「心と体を分離させず、一緒に浮遊させるアイテム」を制作。ディスプレイには、ナムの作成した「アイテム」の3Dデータが映し出され、全体を見れるようにゆっくりと回転している。ナムが作成した「浮遊ベルト」は土星のような球体に細い筒が縦に立ち、筒の上下三箇所にはバルブらしきものがあり、そこにはホースがついてる。キャプションにはナムから丁寧に使い方が書かれている。もうひとつの作品も同様に、依頼書に基づいてナムが作り出したアイテムだ。
かつてブルーノ・ムナーリは新しいことを考え出せる人間の能力を「ファンタジア」と名付けた。ファンタジアは、絶対的に新しいことを考え出すことではなく、自分にとっての新しいもの(こと)を考え出せる能力を指す。それは今まで存在しなかったものを考えつく発明のようなものではなく、何かを見出し、考え方をドラスティックに変化させる発見なのだと。
ナムの作品は、研究者という枠組みを借りてアイテムを制作しながら、発明と発見を同時に行ったもののようで興味深い。アイテムは、確かに依頼者の悩みに基づいて制作されているが、誰もが見たことのないもので、一見して使い方がわからない。依頼者の雑然とした悩みを、ナムは作家であり研究所長でもあるという2つの視点で想像し、それを解決するための必要な要素(パーツ)を日常、あるいは想像の世界から抽出して組み合わせ、アイテムという形で視覚化する。ナムにはきっとそのアイテムがどのように作動し、依頼者の悩みを解決するのか見えているのだろう。我々は静かに回転するアイテムの3Dデータを見ながら、ナムの発見に自分の想像を重ね、そのアイテムを架空の世界で使ってみる。アイテムの背後に映る森の風景や安らかなBGMは心を穏やかにして想像力を掻き立てていく。もしかするとナムソ研究所とは、ナムがひとりでアイテムを制作するための場所ではなく、鑑賞者も鑑賞という行為を通して研究員となり、プロトタイプ的に提示されたナムのアイテムを、想像力を持って共に創り上げていくような、共創性の高いプラットフォームなのかもしれない。
ちなみに今回は上田の働きかけで、倉知とナムのコラボレーション作品も展示されている。倉知が依頼者となって依頼書をだし、ナムがそれを元に作品制作を行うというものだ。
依頼書で倉知は、①寝言が激しく、それにより恋人に誤解されて困っていること、②歯並びが悪い箇所が気になって物事に集中できないことがあるという悩みを日本語のテキストで提出し、ナムが韓国語でそれに応答している。ナムが倉知の悩みに基づいて作成したのは2つの ジークレー版画の作品で、倉知の悩みを解消するアイテムが2つのパターンで左右に並んで描かれていた。
《無意識の^領域の分割維持器(口腔装着型)》と名付けられたこの作品は口腔内に装着して使用するそうだ。口の中に入れても問題なさそうな柔らかな素材に、羽の形をしたガラスのようなものがついている。ナムによると、これを装着し、舌を丸めることで口腔内に空間が生まれ、発話が意味不明の呟きになるそうだ。ナムが倉知語を想像しているのかはわからないが、倉知が寝言でも倉知語を呟いているところが想像できる、非常にユーモラスなコラボレーション作品となっていた。
そのほかナムが学生時代に作成した作品など、彼女の近年の関心が現在までどう繋がってきたか、会場ではそれを断片的に見ることができた。
全体を通して、倉知は映像の他は立体が多く、ナムは平面作品が多いという印象だったが、個性の強い倉知ばかりが目立つということもなく、異なる雰囲気の作品群が調和しており、混沌と安穏の中で「24/7」という展覧会が出来上がっていた。また2名の作家、それぞれが作品を通して鑑賞者を巻き込もうとしており、強い引力をそこここで感じる展覧会であった。
HOTEL ANTEROOM SEOULの「GALLERY 9.5」は、ANTEROOM KYOTOの同名のギャラリーと比較すると約60㎡と広さもそんなにない。せっかくソウルでやるならばあともうひと組くらい展示に入れてもと当初は思っていたが、倉知とナムというひと組に絞ったからこその快活さや自由さが現れており、若手作家の伸び伸びとした想像力を五感で感じることのできる展覧会だった。
若手作家の育成企画では、概ねベテラン作家やキュレーターが恣意的に作家を選出し、選出された作家たちはそれぞれに同会場で展示をするということにとどまることも多いが、若手作家同士のリアルな対話、作品のコラボレーションという機会も、彼らの自由性や独自性を育む上で不可欠ではないだろうか。ANTEROOM TRANSMISSIONはVol.1から若手作家同士の交流・対話の機会をできるだけつくりながら、常に新たな視点を生み出そうとしている。
今回は初の海外開催となったが、これからも様々な場所で「若手の育成」というフレームに収まらず、挑戦的な企画を続けて欲しい。
初出「MISENOMA」2024年10月24日公開。
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「ANTEROOM TRANSMISSION Vol. 3 – 24/7」
HOTEL ANTEROOM SEOUL GALLERY 9.5(2024年9月3日〜2024年11月1日)
(※1)
Vol.1では美術家のヤノベケンジ、やんツー、髙橋耕平とキュレーターの伊藤まゆみ(京都精華大学ギャラリーTerra-S)というベテランアーティストとキュレーターという組み合わせで構成されており、Vol.2ではキュレーターの金澤韻(Code-a-Machine)、アートディレクターの筒井一隆(BnA Alter Museum)、アートマネージャーの堀江紀子(OFFICE HORIE)が務めた。
(※2)
「ANTEROOM TRANSMISSION Vol.1 – 変容する社会の肖像」
HOTEL ANTEROOM KYOTO GALLERY 9.5(2021年4月28日~5月30日)
「ANTEROOM TRANSMISSIONVol. 2 – re+habilis」 HOTEL ANTEROOM KYOTO GALLERY 9.5(2023年12月8日〜2024年2月18日)
(※3)『日本社会に根付くアートの生態系と世界発信に向けて ー ARTISTS’ FAIR KYOTO 2024』
記事内で、美術評論家の三木学さんが各作家へ簡易インタビューを行い、倉知についてもまとめられている。