芸術作品の色彩美を科学する
三木学が参加するシンポジウムのお知らせです。画像解析から美術を読む試みです。ご関心のある方はぜひご覧ください。
学術講演会「芸術作品の色彩美を科学する」
とき:2024年2月24日(土) 13:00~16:00
ところ:国立新美術館 講堂 (東京都港区六本木7-22-2,https://nact.jp)
主催:日本色彩学会関東支部,国立新美術館,日本色彩学会画像色彩研究会
後援:日本色彩学会視覚情報基礎研究会,同 色覚研究会,同 美的感性研究会
参加費:無料 事前登録は必要ありません.当日会場へ直接お越しください.
開催趣旨
多くの芸術作品において,その色彩は,作品が示す“美”と分かちがたい関係性をもちます.この講演会では,科学の立場に立って,芸術作品がもたらす色彩美について考えていきます.ひとつは,脳の働きから人間が美を感じる数理的メカニズムに迫る,というアプローチ,もうひとつは,絵画の科学的分析から画家が美を作り上げる表現技法およびその意図を解き明かす,というアプローチです.科学は,人類が長い時間をかけて積み上げてきた,人間が自分自身を知るための,強力な方法論のひとつです.ふだん私たちが感じるもの・考えるものとは違った視点から“美”をながめ考えることは,「考える葦」たる人間の,もっとも贅沢な楽しみのひとつでありましょう.みなさまのご参加をお待ちしております.
プログラム
13:00~13:05 開会のあいさつ 鈴木卓治(画像色彩研究会主査;国立歴史民俗博物館)
13:05~13:55 講演1
「計算論的神経美学 : 脳の情報処理に基づく新しい美術史と美学」
本吉勇(東京大学大学院総合文化研究科・認知行動科学講座 教授)
13:55~14:45 講演2
「レオナール・フジタ(藤田嗣治)―蛍光発光で再現した“乳白色の肌”の質感」
三木学(文筆家・編集者/美術評論家・色彩研究家)
14:55~15:55 パネルディスカッション 「美・色彩・科学」
司会:鈴木卓治
パネラー:本吉勇,三木学,室屋泰三(画像色彩研究会幹事;国立新美術館),
大住雅之(オフィス・カラーサイエンス)
15:55~16:00 閉会のあいさつ 東吉彦(日本色彩学会関東支部長;東京工芸大学)
お問い合わせ先
日本色彩学会画像色彩研究会 sigci-event2023@sigci.sakura.ne.jp
(こちらでは参加申し込みは受け付けておりません.悪しからずご了承ください.)
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講演1
計算論的神経美学 : 脳の情報処理に基づく新しい美術史と美学
本吉勇
東京大学大学院総合文化研究科・認知行動科学講座 教授
人間の脳は芸術作品の美をどのように捉えるのでしょうか.多くの人が「美しい」と言っているときの脳の反応を調べればよいでしょうか.しかし,それは単なる好き嫌いや感覚的な綺麗さへの反応かもしれません.しかも現代という限られた時代を生きる一部の人間だけの反応です.
ここで私は,単なる個人の快楽や感想ではない「美」に迫るための,別のアプローチを提案したいと思います.それは,長く評価されてきた芸術作品は多世代の膨大な人間により「美しい」と判断され続けてきた画像であると見なし,それを脳の視覚情報処理(腹側皮質)モデルに基づき分析することによって,美の普遍性や多様性,その地理的歴史的展開を明らかにしていくというものです.計算論的神経美学(computational neuro-aesthetics)と呼ぶことにします.
今回の講演では,西洋・東洋の膨大な絵画群を対象に,脳情報処理モデル(AI含む)を用いて画像の質感(texture)情報を取り出し「様式」を分析した結果をいくつか紹介します.- (1) 東西の絵画様式の違いとその環境起源,(2) 15-19世紀の西洋古典絵画の様式展開,(3) 低次視覚野における神経表現から見た作家論-レンブラントの特殊性.
このアプローチは,人類普遍の審美眼の仕組みを一足飛びに解明するわけではありませんが,評論家や研究者の主観に委ねられてきた「様式」や「画風」を客観的に記述・比較することを可能にする点で,美術史と美術鑑賞をもっと「面白く」すると期待しています.現在の展覧会では,「内容」(犬が描かれている意味,など)に関する解説しか聴くことができませんが,そのうち「様式」に関する解説(色の分布がどれほど個性的か,など)も聴くことができるようになるかもしれません.
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講演2
レオナール・フジタ(藤田嗣治)―蛍光発光で再現した“乳白色の肌”の質感
三木学
文筆家・編集者/美術評論家・色彩研究家
レオナール・フジタ(藤田嗣治)は、1920年代、「エコール・ド・パリ」(パリ派)と称された世界中からパリに集まった画家たちの中で高い評価を得ました。なかでも「素晴らしき乳白色」(grand fond blanc)と称された、独特の下地によって実際の肌を思わせる質感表現を実現し、人々を驚かせました。それは、ルネサンス以来の線遠近法や陰影法による錯覚(イリュージョン)とは全く異なるアプローチであり、肌そのものを貼り付けるような再現(シミュレーション)の手法であったといえるでしょう。
近年組成分析によって、フジタが秘密にしていた技法の一端が明らかになってきています。一つの謎としては、水性の墨を使った細い輪郭線を、どのように油性の油絵に描いたかということでしたが、タルク(含水珪酸マグネシウム)によって油分を吸い取っていたことがわかっています。それは、テカテカした油絵のマチエールではなく、半光沢の滑らかな質感も実現しました。ただし、鉛白に炭酸カルシウムを混ぜることでできる「乳白色」の下地の時点で、ある程度、水性の墨が描けることもわかっており、その技法と意図には不明な部分もありました。
今回、ポーラ美術館、国立情報科学研究所、東京藝術大学、東京大学、京都大学との共同研究により、フジタの絵画に紫外線を当てると、背景、肌、肌の部分(唇や足の裏、爪、乳首など)が異なる蛍光発光をしていることに気付きました。さらに、ハイパースペクトルカメラを用いた、蛍光スペクトル解析により、肌や顔料と比較することで、フジタが蛍光発光を肌のように見せるために意図的に使っていると判定しました。これは大半がニスによって修復されたり、紫外線がカットされたりしていた戦後の美術館の環境ではわからなかったことでもあります。
フジタ以前にもフジタ以後にもほとんど見られないこの方法は、日本画の技法を西洋画に応用したことが大きいと思いますが、フジタが質感に鋭敏な日本の環境の中で育ったことも無関係ではないでしょう。近代美術史の中でもっとも評価された日本出身の画家、フジタの試みから日本の表現の可能性について考える機会になればと思います。