五浦海岸と流失前の六角堂
2011(平成23)年3月11日の東北地方太平洋沖地震による約10メートルの津波で、土台だけを残して流失した、茨城県北茨城市の五浦海岸にある「六角堂」の復興が進められている。
この六角堂は、岡倉天心( 文久3・1863〜大正2・1913)が思索の場所として、1905(明治38)年に自ら設計したものであり、国登録有形文化財に認定されていた。
天心は、旧文部省に入省後、東京美術学校(現東京藝術大学)校長や、米国ボストン美術館の中国・日本美術部長を務め、日本の美術行政及び日本画の復興・革新運動に携わると共に、東洋や日本の芸術を海外に広く紹介した思想家・実務家である。『茶の本』や『東洋の理想』等の著作でもよく知られている。
六角堂の建設当時、天心は誹謗により東京美術学校校長を失職し、新たに創設した日本美術院の新画風も「朦朧体」と非難さ
れるなど非常に厳しい苦境にあった。それでも天心は、自らの理念に共鳴する横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山という若き俊英画家達を率いて五浦に移住し、意欲的に近代日本画の名作を世に送り出し、画壇に一時代を築く。その指導活動の拠点となったのが、この六角堂であった。
現在、六角堂を管理する茨城大学は、「岡倉天心記念六角堂等復興基金」を設立し、文部科学省、茨城県、北茨城市、関係
機関等と協力して、六角堂の再建に取り組んでいる。2011(平成23)年11月21日には再建起工式が行われ、竣工は
2012(平成24)年4月中旬を予定している。屋根の宝珠には海底捜索で回収された元の水晶柱を組み込み、瓦は愛知県、ガラスはイギリスから取り寄せる等、創建当初に限りなく近い復元的再現が目指されている。
また、既に失われていた近隣の日本美術院研究所の再建や、復興の経緯を展示する復興記念館の新設も併せて進められてい
る。復興基金の目標は2億円であり、現在約230件3500万円の寄付が集まり、引き続き募金が呼びかけられている。
さらに、復興支援の一環として、生誕150年、没後100年にあたる2013(平成25)年の公開を目指して、岡倉天
心の映画化も松村克弥監督により進められている。2012(平成24)年11月にクランクインの予定であり、橋本昌茨城県知事、池田幸雄茨城大学学長、宮田亮平東京藝術大学学長が特別顧問を務める「天心」映画実行委員会が発足し、一口1万円から協賛金を募集している。
天心が東京から離れて五浦に移住した時、一般からは「都落ち」と揶揄された。しかし、実際に六角堂から清冽で峻厳な海
岸風景を眺めていると、天心は強固な意志と雄渾な大志を湧き立たせる再起の地として、五浦を自発的に選択したと感じずにはいられない。再建される新しい六角堂が、東日本の復興、そして日本全体の復興のシンボルとなることを心より祈念したい。
※秋丸知貴「東日本大震災と岡倉天心・五浦六角堂」『日本美術新聞』2012年3・4月号、2012年2月、日本美術新聞社、20頁より転載。