引き剥がされたイメージの旅
川田知志「彼方からの手紙」展
会期:2022年2月26日~4月13日
会場:アートコートギャラリー
2022年2月26日から4月13日まで、アートコートギャラリーで川田知志「彼方からの手紙」展が開催されている。
川田知志は、フレスコ画という古典技法を使い、さらに壁面に描かれた絵を、ストラッポという保存修復のために使用された技法で描画層を引き剥がし、別の支持体に張り付けて、様々な空間にインスタレーションなどを行ってきた。ストラッポによって場所との関係を切断し、別の場所との関係を切り結ぶ。それは本来サイトスペシフィックである壁画の再サイトスペシフィック化とも呼べるものだ。
そもそも絵画は、洞窟壁画から発展し、建築の一部として描かれてきた。フレスコ画はまさに教会の壁面などに漆喰を塗り、それが乾燥するまでの間に、顔料で描いて定着するという技法である。フレスコ(fresco)=フレッシュ(新鮮)であり、漆喰が生乾きの状態の時に素早く描かなければならず、やり直しはきかない。油絵のように時間をおいて塗り重ねるようなことはできないため、綿密な構想・下絵と描写力が必要となる。
当然のことながら、そもそも建築の構造が異なる日本の絵画の技法とはまったく異なるため、明治以降もフレスコ画が体系的に教えられることはなかった。日本で著名な作家といえば、本場のイタリアでフレスコ画を学んだ絹谷幸二になるだろう。ただし、京都市立芸術大学は、油画専攻にフレスコ画を教える授業があり、京都市立芸術大学出身者には、フレスコ画を扱う作家もいる。川田もその一人である。
ただ、川田がフレスコ画を学ぶようになった動機は、西洋の古典技法への関心とは全く違うものだ。川田は大阪府の寝屋川市に生まれ育った。寝屋川市は京都から大阪を流れる淀川の河川敷から生駒山麓のエリアにあり、上流は枚方市、下流は門真市に挟まれている。住所は枚方市にあたるが、日本住宅公団が関西で最初に手掛けた郊外型大規模住宅団地、香里団地の最寄り駅があり、大阪の郊外都市であるといってよい。香里団地は、香里ニュータウンとも呼ばれ、京都大学の西山夘三研究室が基本計画を担い、当時、最先端のLDK方式の様々なタイプの間取りや星型棟(スターハウス)、テラスハウスがつくられたほか、フランス文学者の多田道太郎ら知識人が入居し、香里ヶ丘文化会議がつくられたり、サルトルとシモーヌ・ド・ボーヴォワールが来訪するなど、先進的な団地と注目された。
一方で、松下電器(現・パナソニック)や三洋電機(パナソニックが吸収)などが近隣にあり、工場や町工場も多く、河川敷とロードサイド、工場、住宅地が混在した空間といってよいだろう。その河川敷に建てられた橋脚に描かれていたのが、グラフィティである。ヒップホップやストリートカルチャーから派生したといわれる、都市の壁面に描くグラフィティは、1970年代のNYのダウンタウンから始まったとされ、90年代には日本のトンネルや河川敷の橋脚などにも数多く描かれるようになった。今でこそ取り締まりが厳しく、その数は少なくなったが、川田の幼少期は、グラフィティは郊外都市に欠かせない風景になっていたといえるだろう。川田は、現在の壁画であるグラフィティを学びたくて、京都市立芸術大学に入学し、フレスコ画に出会うことになる。つまり、もっとも新しく身近な非合法的な「壁画」をきっかけに、もっとも古く伝統的な壁画技法を学んだことになる。
同時に、壁画とそれを引き剥がしストラッポを習得し、場所や建築と不可分であるはずのイメージの転写をテーマとする。そして、世界各地で均質化する郊外の特徴を考現学的な視点で観察し、何重にも塗り重ねられた均質化されたイメージを引き剥がし、特定の空間に集めて固有の絵画空間を立ち上げようとしてきた。あるいは、一回性の裂け目から生まれる風景に、そこに住む人の人生や固有の風景を見出そうとした。
それは、まさに郊外化、均質化が徹底された、インターネット以後の「フラットな世界」を生きる川田の世代の実存へのもがきともいえる。とはいえ、その「フラット」と思われた世界も、気候変動とコロナ禍、ロシアのウクライナ軍事侵攻によって、やはり歪であることが明らかになっており、川田の郊外への関心も変化するかもしれない。
さて、本展は、フレスコ画をストラッポによって引き剥がし、キャンバスに張り付けた絵画作品から構成されている。現在、川田は寝屋川市から遠く離れた、日本海側にある京都府京丹後市の久美浜にスタジオを構え、その壁面でフレスコ画を描き、ストラッポの技法で別の支持体に転写している。今回、初めてキャンバスに張り付け、移動可能なタブローとして展開された。
そもそも、壁画からタブローへと移行する過程で、ヴェネチアにおいてキャンバスが誕生したと言われている。その理由は、フィレンツエェなどに比べて、湿度が高く板絵が傷みやすかったこと、帆船が多く、帆布が多かったことなどが挙げられている。後に、北方ルネサンスで生まれた油絵と、ヴェネチアで生まれたキャンバスが結びつき、西洋の伝統的な絵画技法として確立されていくが、フレスコ画をキャンパスに写し取る例は、ほとんどなかったかもしれない。
発色のよい彩度の高い色彩と、植物のようにも、昆虫のようにも見える有機的な形は、モチーフにしている均質的な郊外とは異なり、あまり見たことがないイメージになっている。表面のマチエールも、アクリルや油絵具、岩絵具が主流の現代の絵画とは異なる、色彩と支持体が溶け込んだマットで独特な質感を称えている。しかし表面は所々剥げており、漆喰の白が顔を覗かせている。発色がよいにも関わらず艶がない、新鮮なようで剥げている。矛盾した要素が溶け込んで漆喰の中で混然一体となっていることも奇妙に見える。まさに、宙に浮いたような状態でキャンバスに張り付けられたイメージは、今にも浮き上がって蠢きそうでもある。
そのように不安定で、即興的な線が定着されているように見えるが、制作の仕方は極めて計画的で、デジタル技術を駆使したものだ。様々な観察の中で描いた大量のスケッチをスキャニングしておき、それらを組み合わせて輪郭をつくり、配色のシミュレーションをコンピューター上で行う。それを下絵に、フレスコ画が描かれている。当然ながら、湿っている間に描かなければならないので計画的にならざるをえないのだが、その方法もユニークである。
しかし、絵の端は引き剥がすときの偶然性によるものなので、不定形になっている。それが、引き剥がされた絵であることを示す証拠にもなっている。それは、建設途上の壁面に描き不可視な状態にする《Time Capsule of Wall》(2018 -)や石膏ボードやトタン板を破り、奥に描いた絵画を見せる《Time Capsule Media》(2020-)と関心がつらなっている。引き剥がされ、張られた絵は、破られた穴から見える絵を反転したもののようにも思える。また、それは建築の「内外」を破って無効化するゴードン・マッタ=クラークや絵画の「表裏」を破って無効化する村上三郎のオマージュでもある。
元々はグローバリズムによって世界的に均質化する「郊外」に破れを見出す試みだったかもしれない。出品された色が濁るために混色せずに置いていくという顔料と、様々な形態観察から生まれたスケッチを組み合わせたイメージは、日本人にはあまり見られない対比になっており、川田の明らかな個性であろう。あえて言えば、フランク・ステラを想起させるが、ご存じのようにステラは、リテラルに絵画を「立体化」させているため、マチエールが極めて平面的な川田とは対照的である。明度と彩度が高い、シャーベットカラーのようなトーンの色彩は、甘味のような味覚を刺激する一方、植物と昆虫のような有機的な形は触覚を刺激する。官能的で誘惑的な色彩に対して、近寄ることを距離する棘のような形のダブルバインドによって、視覚とイメージに留まることを要請される。この奇妙な生命感を持つイメージの形態が、展示空間内に生まれた関係性により、新たなイメージを生み出している。
絵画としては巨大なサイズの作品が多いが、まさに壁に描かれたものであり、スタジオの大きさと川田の身体性を感じさせる。極めて空間的なものであるが、1つのスタジオで描いた壁画である限りは、1枚ずつしか描けない。つまりここに展示された作品は、並行的に描かれたものではなく、明確な順番があり、時間的な連続性、タイムラインを持っている。つまり、これらのイメージは、1つの場所における身体、行為のレコードであり、そこで育まれた息遣いの展開図でもある。
川田は、本来壁面に描く技術としてのフレスコ画を、運びやすく、不特定多数の人に売りやすくするためにタブローにするという絵画の歴史をなぞることを単純にしたいわけではないだろう。郊外の風景が自動車や電車による移動や速度がもたらした像であるように、イメージ自体が転写と移動を繰り返すことで、様々な空間や人々の記憶の中で像が結ばれ、それぞれの固有の風景が立ち上がることを狙っているのだ。そこから均質化した世界が崩れ行く時代の新たな道標が見えてくるかもしれない。