魅惑的な異貌の日本近世絵画を発掘
辻惟雄『奇想の系譜』(ちくま学芸文庫・2004年)
秋丸 知貴
東京大学名誉教授で日本美術研究の第一人者である辻惟雄氏が30代後半で著した、日本近世の個性的な前衛画家達を論じた意欲作である。
大学紛争燃え盛る1968年に『美術手帖』で連載された後、1970年に美術出版社から単行本として刊行され、1988年にぺりかん社から新版が発行され、2004年に筑摩書房のちくま学芸文庫に加わった。日本絵画史の相貌を大きく変えた画期的名著である。
本書は、当初ゲテモノとして長く忘れられていた、岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曾我蕭白、長澤芦雪、歌川国芳を、大量の図版を掲載して紹介し、再評価の機縁を作った。現在の若冲・蕭白ブームの先鞭を付けたことでも知られる。
本書がこの6人を位置付ける「奇想の系譜」とは、「眠っている感性と想像力が一瞬目覚めさせられ、日常性から解き放たれたときの喜び」をもたらす、「奇矯(エキセントリック)で幻想的(ファンタスティック)なイメージの表出を特色とする画家の系譜」の謂である。
こうした意味での「奇想」は、「エキセントリックの度合の多少にかかわらず、因習の殻を打ち破る、自由で斬新な発想のすべてを包括できる」ので、異端の少数派であるどころか、その系譜には、雪村、永徳、宗達、光琳、白隠、大雅、玉堂、米山人、写楽等の日本近世絵画史の主流も含めうる。つまり本書は、「奇想」という新しいキーワードを提出することで、忘却されていた魅力ある画家達を日の当たる場所に連れ出すと共に、旧来の平板で無機的な日本近世絵画史像も根底から変革する野心的な意図も有しているのである。
筆者のこうした観点には、日本の伝統美術への敬慕はもちろん、筆者の個人的なピカソやダリ等のシュルレアリスム絵画への関心や、マンガやポスターや壁画等を有力な表現の場とする同時代のアヴァンギャルド造形への柔軟な理解も働いている。
さらに、こうした「奇想」には、「陰」と「陽」」の両面があると説明される。「陰」の奇想とは、近代的な自意識を持つ芸術家が現実社会との軋轢を触媒として内面に育んだ奇矯なイメージの世界であり、血なまぐさい残虐表現等が含まれる。
一方、「陽」の奇想とは、観客への娯楽として演出された奇抜な身振りや趣向であり、見立てのパロディ表現等が含まれる。これは、日本美術が古来持つ奔放で闊達な「あそび」の精神や、生の喜びの表現である「かざり」の伝統に深く繋がるものであり、その意味で「奇想」は「時代を超えた日本人の造形表現の大きな特徴」としても捉えられる。
1989年に平凡社より出版された姉妹編『奇想の図譜』も、2005年に同じちくま学芸文庫に入っている。また、2010年にはダイジェスト版といえる『ギョッとする江戸の絵画』が羽鳥書店から刊行されている。
美とは発見されうるものであることを実証した優れた美術史家が展開する、とびきりスリリングで魅惑的な日本美術史を堪能したい。
※初出 秋丸知貴「辻惟雄著『奇想の系譜』筑摩書房(ちくま学芸文庫)・2004年」『日本美術新聞』2012年3・4月号、日本美術新聞社、22頁。