知られざる現代京都の実力派水墨画家⑥
藤井湧泉と長沢蘆雪――猫のような虎
藤井湧泉《嘯虎襖絵(部分)》2020年 大蔵院蔵
今夏、中国江蘇省啓東市出身の藤井湧泉が、大蔵院(兵庫県明石市)に新作《雲龍嘯虎襖絵》を描いた。本稿は「虎」、次稿は「龍」について紹介する。
これまで、湧泉は複数の虎の絵を描いている。まず、それらが収蔵されている寺院の歴史的背景から説明しよう。
日本では、奈良時代は天皇が政治の中心であったが、平安時代は貴族に政治の主導権が移り、鎌倉時代は武士が鎌倉幕府を開いて政治の実権を握った。その後、1333年に後醍醐天皇が政権奪還を試み、武士の足利尊氏らの力を借りて鎌倉幕府を倒す。しかし、後醍醐天皇が新たに始めた親政は武士を軽んじたために尊氏が反旗を翻し、以後尊氏の戴く光明天皇の北朝と、後醍醐天皇の南朝に国家が分裂して激しい内乱状態になる。北朝に征夷大将軍に任命された尊氏は室町幕府を開き、彼の孫の第3代将軍・足利義満が1392年に南北朝の講和を実現する。その際、皇位を継承したのは後小松天皇である。
この後小松天皇の落胤とされる禅僧が、一休宗純である。後世に創作された有名な頓智話では、足利義満に「絵の中の虎を捕まえよ」と命じられた一休は、「絵の中から虎を追い出してください」と切り返したと伝わる。1456年以来、一休が住持として居住したのが「一休寺」と呼ばれる酬恩庵(京都府京田辺市)である。この来歴を踏まえて、湧泉は一休寺に《虎絵衝立》(図1)を描いている。
図1 藤井湧泉《虎絵衝立》2008年 酬恩庵(一休寺)蔵
足利義満は中国への憧憬が強く、明との勘合貿易で巨富を得ると共に、舶来の文物を「唐物」として珍重した。1382年に義満が中国文化の輸入拠点として創建したのが、相国寺(京都府京都市)である。また、1397年に義満が山荘として造成した金閣寺(京都府京都市)は、現在相国寺の山外塔頭である。相国寺や金閣寺に絵を描いている湧泉は、相国寺の山内塔頭・林光院(京都府京都市)にも襖絵《虎図》(図2)を描いている。
図2 藤井湧泉《虎図》2017年 林光院蔵
この《虎図》の猫のような虎は、伝統的な禅機画の「四睡図」に由来している。この「四睡図」は、中国唐代の天台山国清寺の禅僧豊干が一匹の虎の背に乗って歩いたという伝説にちなみ、その弟子の寒山と拾得と合わせて四者で仲良く眠る姿を描くものである。これは禅宗における「悟り」の境地を示す画題とされるが、虎が猛獣であるだけに「平和と安寧」のシンボルであることも間違いない。この《虎図》(図2)では、豊干・寒山・拾得の三人は姿を消し、片目で微睡む虎だけを龍と組み合わせ、禅宗の別の伝統的画題である「龍虎図」として描くところに湧泉の新しい創意工夫がある。
足利義満より偏諱授与され、室町幕府の侍所頭人も務めた、赤松満祐という有力武将がいる。満祐は、義満の息子の第6代将軍足利義教の恐怖政治により身の危険が迫ると、逆に1441年に義教を自邸の酒宴に招き暗殺した(嘉吉の乱)。その際、満祐と共に室町幕府の追討軍と戦った弟の赤松祐尚の陣屋跡地に建立されたのが、現在の大蔵院(兵庫県明石市)である。今回、湧泉はここに眠たげに大欠伸をする猫のような大虎による《嘯虎襖絵》(図3)を描いた。この虎は、「四睡図」を踏まえて、平和こそが生物全てにとっての一番の幸福であると優しく無言で語りかけているようである。
図3 藤井湧泉《嘯虎襖絵》2020年 大蔵院蔵
足利義教の暗殺以後、室町幕府は衰退し、1467年から勃発した応仁の乱を経て、全国に群雄が割拠する戦乱の時代を迎える。その後、120年以上続く疾風怒濤の戦国時代を終焉させて、最初に国内を平定したのが豊臣秀吉であり、その夫の菩提を弔うために正妻ねねが1606年に建立したのが高台寺である。
湧泉が高台寺に描いた《妖女赤夜行進図》(図4)の左から6番目の女性の着物の意匠にも、呑気に眠り込むおなじみの猫のような虎がいる。しかし、これもまた何気ない平和な日常こそが最上の幸福であることを私達に思い起こさせてくれるものといえるであろう。
図4 藤井湧泉《妖女赤夜行進図(部分)》2019年 高台寺蔵
虎は、ネコ科である。また、元々日本には生息していない。そのため、古来日本では、虎の容姿を中国伝来の絵や毛皮で学びつつ、実際には身近な猫が参考にされてきた。その中でも、最も猫のような虎を描いたことで有名なのが、無量寺(和歌山県串本町)の本堂における長沢蘆雪の《虎図襖》(図5)である。ここでも、獰猛な肉食獣である大虎を愛嬌のある猫のように描くところに、呑気な日常をこよなく愛する素朴な心が現れている。
図5 長沢蘆雪《虎図襖》1786年 無量寺蔵
湧泉と蘆雪。230年以上の時を超えて、共に猫のような虎を描いて人々の心を和やかに楽しませてくれるところに一脈通じるものがある。その一方で、そこには画家として際立つ個性の差異もある。
実は、蘆雪の《虎図襖》の裏側には、川の中の魚を岸から狙う猫が描かれている。つまり、この「虎」は魚から見た「猫」という仕掛けになっている。その意味で、蘆雪は「猫」を「虎」として描いたといえる。素早い筆致で描かれた、揃えた前足、踏ん張る後足、丸まった尻尾、そして逆立った髭が、今にも獲物に飛び掛かりそうな躍動感を的確に表現している。
その一方で、湧泉の虎達は、輪郭線を用いずに巨体の毛先を一本一本丁寧に手描きし、墨の微細な濃淡の移調で立体感を表している。そのため、一見すると「猫」に見間違いがちであるが、その尋常ではない筆致の繊細さと濃密さが神獣としての「虎」の霊妙で静謐な実在感を醸し出している。その意味で、湧泉はむしろ「虎」を「猫」として描いたといえる。見れば見るほど、単なる可愛さを超えて崇高な迫力が増してくるように感じられるのが、湧泉の描く虎達の魅力である。
直近では、蘆雪の《虎図襖》(図5)は、2020年にあべのハルカス美術館の「奇才――江戸絵画の冒険者たち」展と、京都市京セラ美術館の「京都の美術――二五〇年の夢(総集編)」展で展示された。また、湧泉の《嘯虎襖絵》(図3)は、2021年から大蔵院で一般公開されている(拝観や予約等は、大蔵院に要問合せ)。
※初出 秋丸知貴「藤井湧泉と長沢蘆雪――猫のような虎」『関西華文時報』第421期、2020年9月15日。(2021年8月27日改稿)