知られざる現代京都の実力派水墨画家①
藤井湧泉(黄稚)――中国と日本の美的昇華
中国と日本の美意識は、どのように違うのだろうか?
例えば、中国の服はできるだけ余白を刺繍で埋めようとする。それは、豪華絢爛な美である。これに対し、日本の服はできるだけ余白を無地で残そうとする。それは、瀟洒淡麗な美といえる。
このように、一般的に、中国では足し算の美意識、日本では引き算の美意識が発達した。ここで重要なことは、どちらが優れているかではなく、両方とも等しく人間の本質的で普遍的な美意識であることだ。
中国の重厚で濃密な美と、日本の軽妙で洒脱な美――中国と日本の二つの母国を持つ画家・藤井湧泉(黄稚)は、この二つの異質な美を融合させようと試みている。
例えば、蓮を描いた彼の作品を時系列で見てみよう。
《蓮》(2006年)(図1)では、まだ中国風に画面は大量の蓮でほぼ埋め尽くされている。次に、《蓮》(2007年)(図2)では、蓮と葉を一つに絞り、日本風の大胆な余白表現に挑戦している。そして、《蓮独鯉》(2010年)(図3)では、その中国風の濃密性と日本風の余白性の二つの美意識が弁証法的に昇華されている。これにより、画面にはこれまで誰も見たことのない新しい絶妙な調和美が生まれている。
図1 藤井湧泉《蓮》2006年 個人蔵
図2 藤井湧泉《蓮》2007年 個人蔵
図3 藤井湧泉《蓮独鯉》2010年 圓徳院蔵
図3 部分
図3 部分
また、牡丹を主題とする彼の幾つかの作品を見てみよう。
湧泉の描くどの牡丹も、花冠は中国風に一枚ずつ丁寧に重厚濃密に描き込まれている。その一方で、その茎葉は日本風に軽妙洒脱に抽象化され、気品に満ちた絶妙な対照を生み出している。これにより、花々は非常に豪奢な生命美に満ち溢れると共に、極めて洗練された装飾美も兼ね備えている。
湧泉は、次のように語っている。「元々、中国と日本の美の起源は同一である。ただ、中国で唐宋の時代に完成した美意識は、日本に入って来た時に独自の発達を遂げた。私は、この二つの美意識を融合して新しい美の境地を生み出したい」。
また、湧泉は次のようにも語っている。「日本の装飾美――引き算の美意識を、中国に紹介したい。また、中国の写実美――足し算の美意識を、日本に紹介したい。中国出身で、日本人として京都で20年以上生活する僕ならば決して不可能ではないと信じている」。
図4 藤井湧泉《牡丹》2010年 個人蔵
図5 藤井湧泉《牡丹》2006年 個人蔵
図6 藤井湧泉《牡丹》2010年 個人蔵
藤井湧泉(中国名:黄稚)は、1964年に中華人民共和国江蘇省啓東市で生まれた。早くから将来を嘱望され、中国大陸全土で数万人に一人しか入学できない蘇州大学藝術学院を1984年に卒業後、翌1985年にすぐに北京服装学院の講師に採用されている。
その後、湧泉は画技を磨くために視野を海外に広げ、1988年にスイスの世界青年ファッションショーに招待されている。また、1993年には日本の京都市立芸術大学大学院美術研究科に研究留学している。1994年に日本人の藤井伸恵と結婚し、以後日本名藤井雅一として日本で活動している。来日後、急速に日本の伝統的な装飾美の魅力に開眼し、京都で和装・洋装の意匠図案等に長らく携わったという経歴も持つ。
2007年に、湧泉は京都市美術館で開催された「墨の力――日中・墨人交流展」への出展を機に、絵画制作を本格化する。2008年には京都の一休寺に《虎》、2009年には奈良の西大寺に《佛画》、2010年には京都の高台寺の塔頭圓徳院に《蓮独鯉》、また奈良の元興寺に《牡丹》を収めている。
また、2012年には相国寺の山外塔頭・金閣寺(鹿苑寺)に《葡萄絵衝立》、相国寺承天閣美術館に《野葡萄二曲屏風》、2013年には相国寺林光院に《鶴鳳衝立》が収蔵されている。2017年には、相国寺の塔頭・林光院に約80面の障壁画・襖絵を完成させて大いに話題を呼んだ。
この間、2012年に、京都市立芸術大学学長や国際日本文化研究センター初代所長などを歴任した哲学者の梅原猛より「湧泉」の雅号を授かり、以降は藤井湧泉として活躍の場を広げている。
この興趣無尽の実力画家は、花鳥画のみならず、人物画・美人画・静物画・風景画のいずれの分野でも卓越した創造力を発揮する。その雅味溢れる堅実な技量は、たとえどれほど小品でもクローズ・アップに堪え、たとえどれほど大作でも微細な鑑賞に応えることで実証される。
つまり、湧泉の絵画の第一の魅力は、どれだけ長時間の鑑賞にも堪えられるところにある。研ぎ澄まされた画題と、完璧な構図と、絶妙な造形。その秘密が、湧泉が古今東西の美術に精通し、中国や日本の画技はもちろん、西洋の厳格な写実画法にも熟達している点にあることも忘れずに付言しておきたい。
中国と日本の美的昇華は、口で言うほど簡単ではない。真剣に向き合えば向き合うほど、戸惑い途方に暮れることも多い。そうした時、湧泉はただ一心に研究を続け、二つの文化の本質を深く探求することに専念する。そして、長年の努力研鑽の結果、ある日突然新しい美の境地が開ける瞬間があるという。
一つずつ線を消し、一つずつ色を減らし、限界まで削ぎ落した先に立ち現れる、まだ誰も見たことのない新しくて懐かしい美。それは、湧泉のもう一つの目標である、新しい現代日本美術への確かな貢献でもある。
もう一つの真実の国際的な本格芸術が、ここにある。
※初出 秋丸知貴「中国と日本の美的昇華――黄稚(藤井雅一)」『亞洲藝術』第273期、関西華文時報、2014年7月15日。(改稿2021年8月19日)